見出し画像

ジェンダーを学ばなければもっと楽に生きられたのかもしれない

こんにちは、新米フェミニストのあやなです。

私は、ジェンダーを学んでいるからこそ、自分自身をジェンダーに縛り付けているなと感じる時がしばしばあります。

ジェンダーを学んだことによって、知識と同時に、女性も男性も同じように活躍できる社会にしたいという想いを強く持つようになりました。

しかし、女性も男性も同じように生きることにこだわるあまりに、女性である自分が女性的であることを嫌い、男性性を求めるようになってしまいました。
また、必要以上に性別という枠組みにとらわれ、その人個人の純粋な気持ちを汲み取れなくなりました。

髪型や服装、言葉遣いは男らしく。
可愛いと言われることを嫌い、強くみられることを望む。

「俺がお前を幸せにする。」

そんな言葉を聞いたら、この人は男だから女を幸せにしなきゃいけないと思って言ってるのかな、と思う。

ジェンダーにとらわれて、本当の自分がどこにいるのかわからない。相手の気持ちをどこか斜に構えて見てしまう。

そうじゃない。

女だとか男だとかLGBTQ+だとか、そんなことはどうでもよくて、私やあなた、それぞれが1人の人間であることを大切にしたいだけ。

それだけなのに、ジェンダーを勉強していると、気づかないうちにずぶずぶと性別の枠組みにとらわれている時がある。

学ばなければ、今よりもっと素直に個々人と向き合えたのかもしれない。

それでも私がジェンダーを学び続けるのは、理解しないと変えられないと思うから。

かっこつけて言ったけど、具体的に社会を動かす方法を他に見つけられていないだけです。困った。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?