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生まれてはじめて入ったサウナで「菩薩様」に出会った話

そのサウナには、「菩薩様」が住んでいる。

あの日。私が生まれてはじめてサウナに入ったあの日。たしかにそこには、「菩薩様」が座っていた。よく笑い、よく話し、よく動く。一見「菩薩」とは程遠いようだが、ふと見せる沈黙のその居様はまさしく優しく寛大な菩薩像そのもので。そう、彼女は確かに、私を救った「菩薩様」だった。

睡眠不足が続いていた。理由はよくわからない。仕事が忙しい。自分の時間が足りない。ストレス発散のしかたが思いつかない。様々考えつくことはあるけれど、なにはともあれ眠れない日々が続いていた。

限界だった。

何かをしなければ。よくわからないけれど、「何か」をしなければ多分私は崩れてしまう。私が私でなくなってしまう。不安と焦燥感だけが募った。なんとかしなければ。思いつめた私が行きついた先。それが「サウナ」だった。

「ととのう」という言葉をインターネット上でよく目にするようになってからずいぶんと久しい。友人たちがTwitter上で「サウナイキタイ」「今日もととのった」などとつぶやいているのを知らなかったわけではない。もちろん興味がなかったわけでもない。だが数年前のとある体験をきっかけに、私はサウナに対してちょっとした「抵抗感」を持つようになっていた。

7~8年ほど前のことだっただろうか。仕事の都合で福岡に住んでいた頃のことだ。初めて行った岩盤浴。うら若き20代の私は「岩盤浴ってオシャレっぽくていいじゃん、否!いいじゃんですばい!」などと完全にシチュエーションに酔い博多の女ぶって(鹿児島出身)意気揚々と入浴していたところ、かつてないほどのひどい頭痛に襲われたのだ。ビックリした。視界がグルグルとまわるほどの頭痛なんて経験したことがなかったので、ただただ恐怖を感じた。「20代女性、岩盤浴への無理な長期入浴で脱水症状。大転倒の末救急車で搬送」だとかいうタイトルで危うく新聞に載ってしまう。偽博多の女は咄嗟にそう思った。20代のうら若き女性が大衆の面前で大転倒した上に新聞沙汰になろうもんなら、それはもうお嫁にいけないのである。いや、それがなくとも現在お嫁にはいけてないんですけど。まあそれはいいとして。いやよくないけど、それはいいとして。それくらい、それくらい酷い頭痛だった。もちろん、その時の体調や水分の取り方、入り方に問題があったことは重々理解しているつもりだ。だがなんとなく嫌な体験がよみがえるような気がして「自分には温熱療法のようなものは合わないのかもしれない」と、なかば自分に言い聞かせるようにしてサウナを避けてきた。

実はサウナへの足が遠のいていた理由はほかにもある。
「ととのう」ともっぱら噂のあのサウナ、もう周りのみんなは「体験済」、なのだ。いやいや。くだらない。断じてくだらないのだが、なんだか流行から3周、いや5周ほど遅れてはじめるようで、その事実もまたサウナ初体験をどんどん億劫に感じさせていた。何度も言うように本当に、本当にくだらないことではあるが、一応インターネット界隈の会社に勤務する私。インターネットで流行っているものに、流行っている渦中でジョインできなかったことがなんとも悔しかった。……おっとすみません。インターネット界隈で働いていることをアピールしたいわけではないのですが、うっかり「IT業界っぽいビジネスカタカナ」、使っちゃいました。ジョイン、だなんて。かたじけない。

いやね、とはいえ、そんな諸々があろうとも、睡眠不足や疲労感をチャラにして、健やかな日常を過ごすためには「サウナ」しかないと、眠れない頭がそう言うんです。「サウナ界隈にアサインされた」そう言わざるを得ないんです。あ、ごめんなさい。またITビジネスカタカナ使ってしまいました。

そんなこんなで、私の中の「サウナ初体験・プロジェクト」はNot StartedからIn Progressへとタグがはりかえられたわけでございます。

とはいえ、先ほども書いたように私はすでに「限界」がきていたわけで。
In Progressへとタグがはりかえられた「瞬間」というのは、自宅で迎えたわけでも職場で思い立ったわけでも近所のスーパーで決めたわけでもありません。温泉のサウナ室の前でのことだったのです。そう、すっぽんぽん。すっぽんぽんで「サウナ初体験・プロジェクト」In Progressしちゃったわけなのです。

人は追い込まれると、自分でも信じられないような突発的なことをしでかすとよく言ったものですが、まさにその通りで、なにか気分転換になるかもとやってきた近所の温泉。眠れず落ち着かない頭のままに入った浴槽の中で、はたと目に入ったサウナが私を呼んでいるように感じたのが運の尽き。もうサウナに入るしかない、入らないと帰れない。入ったら何かが変わる。今日から12時間睡眠できてしまう。仕事もうまくいき、年収は1000万円。彼氏もでき、11月22日に入籍する。無理なら誕生日でもいい。クリスマスだっていい。斎藤工、私はここにいるぞ。そんなことしか思えないような心持ちになってしまったのです。

だけど、だ。私はサウナ初心者。お作法もわからなければ、入り方もわからない。サウナにはそういう「ルール」がある気がするのに、全然知らない。そんなんでサウナに入ってもいいのかと躊躇する気持ちが生まれてくるが、でもなんとなく、うっすらとではあるが、どこかの誰かがTwitterで言っていたであろうサウナに関する知識がぽわんと思い浮かんでくるではないか。よかった、意味もなくたくさんTwitter見ててよかったと思いつつ、私の中にある貧弱なサウナデータベース(情報元:Twitter)から引き出されたたったひとつの情報を開示する。そう、そう、それはたしかそう、

「●分サウナに入って●分水風呂に。それを●セットくらい繰り返す」

やいやいやいやーい!ちょっと待てい!

違うのよ。その●の部分が知りたいのよ。交互に入るってのは知ってんのよ。でも今知りたいのは●なのよ。むしろ●こそが重要なのよ!
どうにかして思い出そうとするも、温泉の湯気のようにもやがかかって全然思い出せない。「ここまできてるの!もう出てきそうなの!ここまできてるの!」とのど元を指さしながら叫びたい気持ちになろうとも、どんなに数字をしぼりだそうとも、「●」しか見えてこない。むしろボヤボヤと湯気にかき消されるように、「●」が色濃くなってきた気すらする。「●」はなんだ!なんなんだ!だけど、だからといって、わざわざ脱衣所に戻ってスマホで調べるのは嫌!めんどくさい!やりたくない!あとなんか気持ちよくない!「●」を自力で出したい!「●」を絞り出したい!「●」と共に生き、「●」と幸せになりたい!もはや「●」がなんだかわからなくなってきたが、なにはともあれ今、私は今!「●」を知り、サウナに気持ちよく入らなければならないのだ!

待て待て。落ち着くんだ。サウナにビギナーズラックはない。たぶんない。ちゃんとしよう。初心者サウナーとして失敗しないために、一旦私のサウナへの疑問点を整理せねば。頭の中でリスト化……いやここはそう、アジェンダ、アジェンダを作らねば。誰と議論するわけではないが、そうアジェンダだ。アジェンダを作らねば。

・「サウナ●分、水風呂●分、それを●セット」
・サウナに入るときにノックは必要か
・サウナに入ったとき、中にいた人とあいさつを交わした方がよいか
・そもそもサウナの中に時計はあるのか
・タオルを敷いて座ってもよいか
・どんな顔をしていればいいのか
・どこに座ればいいのか
・どんな部屋なのか
・サウナってなんでサウナっていうの?は?もうわけわからん、すべてがわからない!

アジェンダはどんどん膨大になっていき、頭の中は「サウナワカラナイ」でいっぱいになってきた。どういうことだ。サウナってなんなんだ。概念か。軽いパニックになりながらも、いやいや待てよと思いなおす。私ももういい年齢の大人の女性。サウナのお作法は知らずとも、周りを見て真似をすればなんとかなるだろう。出てこない「●」を飲み込んで、【サウナ】と書かれた扉へ向かう。

すこしだけ透けて中が見える扉の前にたどり着く。本当にすこしだけ、なので、中がどうなっているかはほとんどわからない。さすがにじろじろ見るのも忍びないが、ちょっとはどうなってるか知っておきたいのが臆病者のサガ。ふと、扉の横に、サウナ内で座るときに使う黄色く薄い座布団のようなものが大量に高く積まれているのに気が付いた。サウナ内をばれないように覗き見ることに必死で、隣にあるのに全く気付かなかった。なるほど、これを持って入ればいいのか。「ひとり2枚まで!」と大きく書かれた注意文を何度も読みなおす。「無理なく入りましょう」「飲酒後のサウナは控えましょう」その他の注意文も、穴が開くほど読み倒す。だけど私のアジェンダを共に議論するような文章は当然どこにもない。どこにもないけど読み倒す。なにはなくとも読み倒す。みなさんお気づきだろうが、いよいよやってきたサウナ初体験の瞬間に、私はいつになく緊張していた。

いや、入れよ。はよう入れよ。いい加減、心を決めんかい!In Progressしたんじゃないんかい。自分を叱咤激励するように、黄色い薄い座布団をわっしとつかんだ。ざらりとした感触の座り心地のわるそうな素材に雑さを感じ、なぜだか勇気をもらう。「えい」とサウナへの扉を開けてみた。サウナという特性上だろうか。すこしだけ、その扉はズッシリと重く感じた。あ、しまった。そんなことよりノックしたほうがいいんだっけ。しなくていいんだっけ。

はじめてのサウナ空間。テレビで見たことのある独特なオレンジの光に包まれた空間には、3段になった木製のベンチが作り付けられていた。思ったよりもずっと広い。20人、いや頑張れば30人は入りそうだ。予想よりずっと開放的な風景にすこしだけ安堵する。きょろきょろしたい気持ちを抑え、謎に落ち着いている風を装って、ゆっくりと周りを見る。

その場所に、
「彼女」はいた。

ただ一人、サウナ室の3段目、一番高いところで背筋を伸ばし、胡坐を組んでじっと目をつぶる女性。70代くらいの方だろうか。30代である私の親世代よりも、少し年齢が上に見える。貫禄のある姿がなんだかかっこいい。そう、昔どこかで見た「菩薩像」みたいだ。そう思った。

ことこのサウナにおいて、菩薩様のような彼女はサウナ赤ちゃんである私の「すべて」であり「母」であり「模範」。師匠、そう師匠のような存在なのだ。そうだ、サウナの師として尊敬の気持ちを込め、心の中で「猛者」と呼ぶことにしよう。猛者はきっと、サウナベテラン勢に違いない。猛者を真似すれば絶対に間違いないだろう。

とはいえ、だ。全く同じことをすりゃいいってもんじゃない。私みたいな「サウナあとからアサイン勢」はベテランと同じことをしてたら倒れてしまう。それくらいはいくらなんでもわかる。わかった上で、さてここで問題です。

どこに座ればいいでしょうか。

そうだ、どこに座ればいいか問題、全く考えられてなかった。これだけの広さだ。選択肢が無限にあるような気すらしてしまう。どこだ。どこに座ればいい。考えろ、Think!Think clearly!Think Smart!あれ、あと一冊なんだっけ。

……よし、下だ。とにかく下段に座れば間違いないだろう。熱いものは上に向かって流れる。初心者には下段がちょうどいいに決まってる。猛者が上なら私は下へ。そうだ、そうに違いない。下段の、猛者をよく観察できる場所に黄色の薄い座布団を敷く。もちろん猛者と同じように、胡坐を組んでもみる。胡坐の姿勢なんて、普段めったなことではやらない。やるとすればたまにいい女ぶってヨガをするときくらいのもんだ。少しだけ恥ずかしいけれど、猛者に倣おう。ちらりとみた猛者は相変わらず目をつぶってじっとしている。眠っているようにも見える。サウナって寝て過ごすものなのか?わからない。わからないよ。

サウナに設置されたテレビでは、芸能人がさまざまな才能を査定されランキングづけされるバラエティ番組が流れていた。今はちょうど、とある芸人さんが自分で作った俳句を披露しているところだった。へえ、サウナの中にはテレビなんてあるのかなんてことを思った頃、ようやくサウナが暑いということに気づいた。信じられないことに、緊張のあまり暑さすらも感じられていなかったようだ。なるほど、サウナってやつぁ、やっぱり暑いんだな。でもそんなに耐えられないというほどでもないんだな。すこしだけサウナビギナーズハイ状態を抜け、冷静になった頭で周りを見渡すと、テレビの横に時計がかけられていることにも気がついた。

1本しかない針が11を指していた。なるほど、分数だけをはかる時計なのだな。たしかに「●時」はサウナには必要ないもんな。ということは、5分で出たいと思ったら時計の針が12を指した時に立てばいいのか。さてどうしたもんか。私は何分で出ようか。猛者をちらりと見る。胡坐をやめ、2段目に足を下ろしていた。ほほう?常時胡坐である必要もないし、2段目に足を置いたっていいんだな?いやいや。待て。待つんだ。わからないことをわかったフリして本当にいいのか。そうやって私は今までもいろんなやらかしを披露してきたんじゃないのか。私はふと、あの日の「失敗」を思い出していた。

それは会社でのミーティング中に起きた。

「あ、これってオーガニックの流入どのくらい?」
「●%です。オーガニックの流入、増えてきましたね」

交わされる会話の中、私はひとり頭を抱えた。オーガニックの流入ってなんだ。有機野菜か。コットンか。いやいや、絶対違うやろ。インターネットの会社ぞ。我インターネットの会社の人ぞ。オーガニックって実は何かの隠語なのか。もしかしてだけど、今、ちょっとえっちな話とかしてます?わからん。わからんぞ。ちょっといいスーパーで見かける単語がなんでこんなところに転がってるんだ。オーガニック、オーガニックってなんぞ。

「す、すみません。オーガニックって体によさそうなやつで間違いないですか」

ああ!やめやめ!コノ話やめ!恥ずかしい、恥ずかしすぎる!今思い出しただけでも顔がほてってくる、いやまあほてってるのは絶対サウナにいるからだけどさ!!そうなんだけど!そうなんだけども!でもそう、そうなのだ。わからないことをわかったようにふるまうことほど愚かなことはない。猛者が胡坐を組もうとも、足を下ろそうとも、どちらが正解かなんて今この段階で判断してはならぬのだ。あとオーガニックは広告などを除いた検索結果からのアクセスのことです!

オーガニックとはなんぞやを改めて反芻しながら時計を見る。針は12を指していた。

12、だと……?

えっ、いや、えっ、嘘だろ!?いやいやいや、いくらなんでも5分は経ってなかろう!テレビの芸人さん、私がサウナに入ってすぐに俳句を披露していたよね。そして今は575の最初の5の査読をされているところだよね?序盤も序盤。575の最初の5だよ?575の初めの5が始まったばかりだぞ??575の初めの5!5!いくらなんでも5分は経ってなかろう!5……5……?

そうだ、5だ!!

「5分サウナに入って●分水風呂に。それを●セットくらい繰り返す」

5!サウナに入るのは5分!575の5!
思わぬところから5という数字が導き出された。そうだ。たしかサウナに入るのは5分って言っていた。あ~~すっきりした!気ン持ちいい〜〜〜!そうだそうだ。5、だ。5って言ってたわ。5分!サウナに入る時間は5分でfixしました!

見ると時計は1を指していた。ああ、そうか、そうか。なるほど。これもわかったぞ。この時計、1分で1つ進む仕様なのか。納得。びっくりするわ、もう10分経ったのかと思った。サウナの時空歪んでるのかとか、私暑さでトリップしちゃってるのかとか、新聞沙汰になるぞとかいろんないらぬこと考えちゃった。オーライオーライ。そういうことね。落ち着け落ち着け。じゃあ私はあれね。11から入ったから、時計の針が4を指す頃にサウナから出ればいいのね。それが5分ってやつね。なんだ、簡単じゃん。サウナほぼ攻略したようなもんじゃん。

そうだ。こうなったらこっちのもの。目をつぶって呼吸を整えよう。猛者と同じように、静かに、優しく、どっしりと。サウナと私との間にはいろんなことがあった。時に喧嘩もしたね。言い争うことだってあった。でも今ならわかりあえるよね。スー、ハー。サウナの幸せ、願うことできるよ。スー、ハー。サウナってのは己との戦いですからね。鍛錬みたいなもんですから。師匠だって目をつぶってジッと己との対話に挑んでい……

アッハッハッハッハッハ

なんということだ、猛者が、あの静かな菩薩様のような猛者が、げらげら、笑っているではないか。テレビに映った俳句の先生を指さしながら「あーおっかしい」と爆笑し続けているではないか!!
正直なことをいうと、どこがどうおかしいのかも全く理解が及ばなかったのだが、とにかく、猛者が、爆笑している。サウナって静かにしてなくていいんだ!?ああ、そう?そうなの?ええ?
師匠!私、正しいサウナでの過ごし方がわかりません!
わからなくなりました!

(私の頭が)混乱の渦中、サウナ(の中の私の心)に混とんとした空気が流れはじめた頃、時計の針がいよいよ4を指そうとしていた。そろそろ頃合い、か。さっきまで笑い転げていた猛者は、今は大股広げ、ストレッチを開始している。体、めちゃくちゃやわらかいな。めちゃくちゃ自由だな。横目で猛者をとらえつつ、サウナを出ることにした。水風呂に入って、また戻ってこよう。そういやさっき持って入った黄色の座布団、置いてていいんだっけ。持って出たほうがいいんだっけ。迷いつつも、すぐに戻るからとひとまず置いて出ていくことにした。猛者もきっとそうするタイプだろう。そんなことを考えながら。

ざぶんと水風呂に入る。正直水風呂「●分」は思い出せなかったけど、きっと気持ちよいと思うくらいまで入ればいいんだろうな。ビリビリと体に電流が走ったような感覚を覚える。ほうほう、これかい。これが「ととのう」ってぇやつかい。たしかに悪くない。いや、すごくいい。頭がふわふわと浮遊する。まどろむような心地よさに何年も感じなかった、心のゆるみが生まれる。

そっか。私は自由なんだ。

ふと、そんな気がしてきた。そうだ、私は自由なんだ。
やれ扉をノックするだ、どこに座ればいいだ、どういう恰好で、どういう顔していればいいだ、どういう自分でこんな仕事をせねば、人とのかかわりの中ではこういう接し方をせねば、こんな話し方をせねば、こういうものを食べねば、頑張らねば、全力を尽くさねば、「こうせせねば」「こうやらねば」「こうあらねば」ねばねばねばねばねば。

窮屈な思考のループの中、ずっと、ずっと。私は私を縛り上げて生きていた。

サウナひとつとっても、私はなにか見えない敵にびくびくしていたような気がする。そうだ、猛者を見るがいい。彼女はサウナの中ですら自由だ。静かに己と語りあい、楽しいときに笑い、すきに体を動かし、生のど真ん中にちゃんといる。

そうだ。自由に生きるとは、自分が自分のままでいることなのだ。なぜ私はこんなにも自分に制限をかけてきたのだろう。自由でいることを拒んでいたのだろう。誰かの目を気にして、自分を偽って。ねばならないに縛られて。

そっか。

だから眠れなかったんだね。
だから疲れたんだね。
だから苦しかったんだね。

もういいよ、そのままでいいんだよ。一生懸命じゃなくても、頑張ってなくても、何ができなくても、私は私のままでいいんだよ。もっと自由に選んでいいんだよ。誰もあなたを縛ったりしないよ。自然でいいんだよ。自分のすきなことの上で生きればいいんだよ。

すこしずつ、すこしずつ、ととのえばととのうほど、強情で頑なな鎖にも似た鎧が剥がれ落ちるのを感じた。何年も、いや何十年も装備していた鎧が本当は自分で作り出していたハリボテだったって、なんで気づかなかったんだろう。

水風呂を出た。何分だったかなんてわからない。出たいから出た。それでいい。それでいいのだ。何分だっていい。なんだってすきにすればいい。
さあ、サウナ2ラウンド目だ。今度はテレビ、見てみようかな。おもしろかったら、笑ってもいい。あれだけ広いんだから、体を伸ばしてみたっていいじゃない。そんなことを思いながら、サウナの扉を開いた。最初に開けた時より、もっとずっと軽くなったように感じた。

2ラウンド目が終わる少し前、猛者は黄色い薄い座布団を手にサウナ室を出ていった。出ていく後ろ姿も、シャンとして、まっすぐで。やっぱりすごくかっこよかった。水風呂でまた一緒になるだろうな、そう思っていたけれど、私がサウナを出たころには、もうどこにも猛者はいなかった。ぐるりと見まわしてもみたけれど、ついぞサウナの外で彼女の姿を見ることはなかった。

もしかしたら、猛者は本当に「サウナの菩薩様」だったのかもしれない。私が私を取り戻すために現れ、そして消えた、自由を教える「サウナの菩薩様」。そんなことを考えてしまうほど、幻のような人だった。彼女はただそこにいるだけで、私に多くを授けてくれた。生きる自由を見せてくれた。

ありがとう「サウナの菩薩様」。私は私のままに歩いてみるよ。

さあ、ととのった。
脱衣所へ向かう足取りは軽い。自分で自分に着せた呪いの鎧はもう消えてなくなった。世界はこんなにも息がしやすかったのか。そうだ、今からだ。私の、私のための人生が始まるのだ。

心のラベルがCompletedに変わった。
そんな気がした。

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