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感受性が邪魔をする

小さい時から、心配性だねぇ、感受性が豊かだねぇ、と言われてきた。
幼い時、ブランコに乗るのが怖かった私は、初めてブランコに乗れた時、嬉し泣きをした。
初めての映画でハム太郎を観に行った時、感動して泣いた。
何かとすぐ泣いてしまうし、泣かずとも目の際にじわっと涙が溢れてきて、ツーッと流れるのは日常茶飯事です。最近ほろりとしたことは、インスタでディズニーランドに行った人の動画が上がっていて、あまりに嬉しそうな様子にもらい泣きしたこと。私はディズニー関連になるとますます涙腺が緩くなる。ディズニーオタクだからかもしれないけど。
(そうそう、ディズニー100周年の映画ウィッシュ、ボロ泣きした、大号泣)

そんな訳で、何かにつけて泣いてしまう私です。
ただ本当にしんどい時って、涙が出ません。あるあるだと思うけど。今しんどくて、どうしても涙を流したい、そういう時にディズニーの動画を見ても、あまりにハッピーな映像なので、余計に泣くことが出来ません。人というのはとても厄介なものです。

タバコを吸って、ちょっと一息。

感受性が低ければ、
人との関係に悩むことも
先生から叱責されて泣くことも
英語の授業で当てられて泣きそうになりながら答えることも(泣いてる?って先生に気付かれそうになった)
人の話す内容で自分がやられてしまうことも無かったのかな。

いや、どっちにしてもASDの過敏さで、ダメージを受けてしまうことはあるだろうな。

過敏で、いわゆる繊細(笑)な自分が嫌です。
もっと図太く生きていきたかったです。
自分のことを過敏だとも繊細だとも思ったことはありません。ずっとこれで生きてきたから。
「白井さんは(人の様子や気持ちに対して)よく気付くね」
と言われるけど、それが普通で生きてきました。

普通ってなんですか。
普通、に当てはまる人って案外少ないのではないでしょうか。
私が気が付いていないだけで、世の人は大抵のことを適当に流し、適当に受け入れ、こなしているのでしょうか。
私は、適当が出来ないのだと思う。
やらなきゃいけないことは完璧にこなし、学生時代は特に進学校ではなかったけど、成績上位クラスに入り、黙々と勉強していた。
そんなに勉強しなくても生きていけたのに、過ごせていけたのに、と思うけど、当時はきちんとやらないといけないと思っていました。サボる方法を知らなかったのです。
そもそも、サボってはいけないと思っていました。
本当は学校に行きたくありませんでした。
でも、知り合いと同じ電車で通学したりということがあったので、気の弱い私はそれが出来ませんでした。
その程度のしんどさ、息苦しさだったと思えばそれまでです。
でももう少し楽して、過ごしたかったです。

行きたい大学も無かったし、そこまで勉強に捧げることなんて無かったのに、どうして自分はそんなに頑張っていたのでしょう。
上位クラスに入らずのんびりと過ごせていればそれでよかったのに。
テスト勉強も1週間前から初めて、6割くらいの記憶力でやればよかったのに。

学生時代、楽をしなかったことを後悔している。
かと言って、友達と楽しく遊びたかった訳でもありません。
私は学生時代何がしたかったのだろう。
きっと学校に行くことをずっと辞めたいと思っていたのだと思う。

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