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湯と共に暮らす人たちに囲まれて、ある温泉街について考える

「ねぇ、絶対に通り過ぎてるよ!」
助手席に座る娘と目を合わせた。
温泉街に来ているはずなのに、どこを見ても温泉が見当たらない。
ここは熊本県水俣市だ。熊本空港からレンタカーを借り、約1時間半車を走らせて到着した。

熊本県には有名な温泉が幾つもある。1番有名なのは阿蘇の奥地にある「黒川温泉」だろう。反対に、あまり知られていない温泉の1つに水俣市の「湯の鶴温泉」がある。
どちらも空港から車でおよそ1時間半の距離だというのに、有名な温泉とそうではない温泉の違いは一体どんなところにあるのだろうか。

これは、高校1年生の娘が探究学習のテーマ決めをしているときに気になった項目の中の1つだ。どんなことを探究していくかまだ決定していないものの、数年前まで暮らしていた熊本に行くための口実が欲しかったことと、私も個人的にこのテーマについて一緒に考えたいという思いから、1泊2日熊本温泉の旅を実施することに決めた。
そして1ヶ月後の8月下旬、飛行機に乗り熊本へとやってきた。

水俣といえば、学校の授業で習った水俣病を思い浮かべる人が多いだろう。その他に何か知っているかと尋ねられてもすぐに思いつかない人は少なくないのではないか。
私が熊本市に住んでいたとき、職場が水俣産のレモンやグレープフルーツを使ったフレッシュジュースを提供していたこともあり、水俣といえば柑橘系のパラダイスという印象が強い。けれども他の知識は特にない。
そんな私が車を運転して辿り着いた先に、温泉街とは言い難い、柑橘系のパラダイスとも違う景色が広がっていた。午前10時30分、強い日差しを浴びながら水俣市にある湯の鶴温泉街に到着した。

実際に到着したのはもう少し前なのだけれど、温泉街をうっかり通り過ぎてしまい何分も経過してしまった。そのくらい人気を感じない静かな通りで、空いているお店も少なく、通行人もほとんどいなかった。車をUターンさせ、徐行運転しながらなんとか温泉街を発見した。早速見つけた温泉宿の人に今から入浴できるかを確認してみたが、午後3時開始のところがほとんどで、午前中に入浴できるのは2箇所しかないと告げられた。

道路と温泉旅館の間に流れる湯出川がキラキラと光る。すぐそばにあった無料の足湯に浸かりながら、私たちはこれからどうしようかと作戦会議をしていた。

「せっかくここまで来たのだから、この温泉街について誰かに話を聞きたいよね。」と娘に話していると、すぐ近くにある建物から2人の女性が出てきた。
声をかけ、東京からここまで来た事情を話したところ、営業時間外だというのに施設内を見学をさせてくれることになった。

ここは「Tojiya」という温泉ゲストハウスだった。外観は昭和の雰囲気そのままの温泉宿なのだけれど、中に足を踏み入れるとシックで広々とした空間がなんとも心地よい。
ゲストハウスなだけあり、台所をはじめ広々とした共用スペースが印象的だ。建物の地下部分にあるという大浴場は、部屋から階段でそのまま繋がっているような、そこに温泉があることに正直びっくりするような凝った作りだった。(温泉は当日見学できなかったため後日ホームページで確認した)

このゲストハウス、実はなかなか人気があって予約も先まで埋まっているそうだ。リピート率がとにかく高く、またここに来たいと思わせる旅人たちの理由に興味が湧く。宿泊者の世代や性別は様々で、幅広い層から支持されているようだ。
「お客さんを増やすために何かしていることはありますか?」という娘の質問に対して、「無理に増やそうとはしていない。」という予想外の言葉が返ってきた。「ただ宿泊者数が増えれば良いというわけではなくて、この人たちに会いたいとか、この町が好きだという人に来てほしい。」そんなことを話してくれた。実はこの宿はリピート率がとにかく高く、予約も先まで埋まっていて幅広い層から支持されているそうだ。

オーナーの男性と計3人で住み込みで働いているという彼女たちからは商売っけを感じなかった。それでも2人との会話から、この湯の鶴温泉への愛情はたくさん伝わってきた。
「次来るときはここに泊まってゆっくり過ごし、お2人ともっと色んな話をしたいし、この土地についてもっと知りたくなりました。」素直な気持ちを伝えると、2人はとても喜んでくれて、「夕飯は目の前の屋台で食べるのが楽しいよ。夜だけ空いてるんだよね。」なんて、私たちの好奇心をさらに広げてくれた。
ゲストハウスというスタイルは、宿のスタッフや旅人たちとの交流する機会が増えるし、キッチンで手を動かすことで、暮らすように過ごすという体験にも繋がる。
会話している中で、リピーターたちは観光しに来たというよりも、帰ってきた。そんな感情になるのではないかと思った。
「ガイドブックを見てるような人じゃなくて、旅にもっと別のことを求めているようなマイナーな人たちしか基本的には来ない。」そう話してくれた彼女たちの顔は、なんだか誇らしげだった。
短時間ここで過ごしただけでも、独特な居心地の良さが彼女たちからも宿からも感じた。
またここで再会しましょうと約束をして、彼女たちと別れた。

「Tojiya」の近くに、唯一の観光物産館「鶴の屋」があったので寄ることにした。ここは2階はレストランで1階がお土産屋さんだ。しかしあまり商品はなく、世界的な工業デザイナーが手掛けたという水俣市自慢の建物に、少し違和感を覚える。私たちはお店のおばさんにも話を聞くことにした。

この温泉街は元から外国人観光客は少なく、国内観光客が主だったそうだ。コロナ前までは比較的賑わっていたけれど、コロナ禍で観光客激減に耐えられずに閉店したお店がいくつもあると話してくれた。そしてこの物産館も近々閉店するという。
この温泉街はどうなってしまうのだろうとぼんやり考えていると、「ここは水俣市が綺麗な旅館にするのよ。取り壊すんじゃなくて、基本的にはこのままの形を残して旅館にして、観光客を増やすつもりみたい。」そんな話をしてくれた。
綺麗な旅館を作ったところで、観光客が帰ってくるのかは疑問だったが、目の前で働いているおばさんが望むならまた雇用されて、ちゃんとお給料がもらえたら良いな。1番にそのことを思った。

お昼も過ぎお腹が空いたので、店のおばさんからオススメされた近くの食堂で昼食を取ることにした。「日替わりが品数豊富でとにかく美味しいの!この町の人たちに愛されてるお店だよ。」そんなことを言われたら、行かない理由などない。
店名は「食事処かしわぎ」。

よくある町の定食屋さんという外観だ。店内に入るとご年配の女性店員2人が顔を出し、席に案内してくれた。昼のピーク時間だけれど、客は他にいなかった。
食事に来た経緯を話すと、「鶴の屋さんなんてレストランやってるのにうちなんかを薦めてくれるなんて!」と、とても感激してくれた。
数分後に提供された日替わりランチは、地元の食材がたっぷりと使われた、どれも手作りのやさしい味に思わずため息が出てしまう。熊本らしい麦味噌を使ったゴーヤの和物や、自家製の揚げたてさつま揚げやもっちりとした胡麻豆腐、どれもこれも他では食べられないお母さんたちの味に、愛情と美味しさをいっぱい感じた。

あまりにも喜んでる食べる私たちを見て、2人は厨房からニコニコと笑っていた。そして帰り際に、自分で編んだというコースターをお土産に手渡してくれた。「お二人が元気にごはんを作っているうちに、私たちはまた食べにこなくちゃ!」そんなことを話すと、「今度はゆっくり泊まりでいらっしゃい。」なんて、まるで祖母のような言葉をくれて、思わずウルウルしてしまった。

店を後にし、この時間に入れる温泉2ヶ所へと向かった。
1つ目が「喜久の湯」。さきほどの食事処から車で5分とのことだが、今いる温泉街から一つ奥まった通りにあるようだ。GoogleMapsで検索して目的地付近にいるはずなのに、どうやっても辿り付かない。「喜久の湯」用の駐車場だけはすぐに見つけられたので、そこに車を置き、お風呂セットを持って歩いて探すことにした。
駐車場の前には温泉らしきものは無く、目の前には学校と、その横には住宅がずらりと並んでいる。あきらめて次の温泉に行こうかと駐車場にもどったとき、湯出川に降りるための階段があることに気が付いた。
もしかして?そう思った私たちが恐る恐る怪しげな階段を下りると、川沿いに小さな小屋がひっそりと佇んでいた。そう、目的の温泉はプレハブ小屋のような、まるでどこかのおうちの倉庫のような姿で現れたのだ。

中に入り「すみませーん!」と大きな声で呼びかけるも返答はない。受付をよく見ると、大人100円、この中に料金を入れてください。と書かれた紙が貼ってあり、貯金箱のようなものが置いてあった。水俣市以外の入浴者は住所氏名を書くように記されていたので、記入し、2人分200円を入れて女湯の方へ入っていった。

脱衣所と風呂のみ。洗い場もない温泉。唯一あった桶で体を流して入浴する。
トロトロっとした良いお湯に、旅の疲れが吹き飛んだ。
いつ誰が勝手に入ってくるかもわからない、無人で鍵もない温泉だけど、不思議と安心しきってのんびりとくつろいでいた。
地元の方と話したときに、「喜久の湯」がどんなお風呂なのかあえて説明してこなかったのは、ここに住む人たちにとって当たり前の温泉だからなのだろう。ギョッとするのは何も知らない余所者だけだ。
それを確信したのは、「喜久の湯」からの帰りに話しかけた地元のおじいさんとの会話からだ。あの温泉はどの時間が混むのかと尋ねると、「夕方地元の人たちが入りにくるからその時間が1番混むかなぁ。」なるほど、毎日家の風呂に入るように喜久の湯に入りにくるのか。
あの淋しげな浴槽が、夕方には地元の人々の声と共に賑やかになっているのだろう。
そんな景色も見てみたかった。
ちなみにこのおじいさんは偶然にも喜久の湯を管理しているという人だった。
温泉街のメインの通りから喜久の湯に行けるように川に橋が掛かっていたんだけど、壊れてしまったために別の道路からしか行けなくなり、分かりにくくなってしまったそうだ。

「ゆっくり直すよ。」というおじいさんの声に、観光客を取りこぼしたくないというガツガツとした感情は全く感じられなかった。「怪我しないようにゆっくり直してね。次来たときは橋渡って温泉入りますね!」私はそう伝えた。おじいさんはにっこりと笑っていた。
この後、湯の鶴温泉保健センターの「ほたるの湯」に行き、休憩所や産直野菜の販売がある、よくある地方の温泉センターで、つるつるとした源泉掛け流しの湯を再び堪能して、この地を後にした。

バス停もあるため、地元の人だけでなく観光客もちらほらいるのか、10人には満たないがこの日1番多くの人を見た場所だった。

14時過ぎには温泉街を後にし、湯の鶴温泉へのリサーチを終えた。短時間でたくさんの人との交流があり、地元の方々の声を聞くほどに、課題が何なのか分からなくなってしまった娘は、頭の中がすっかりパンクしているようだった。けれども今夜一度リセットして、明日は観光名所である黒川温泉に行くのだ。

翌朝、遅めの出発で黒川温泉を目指した。
水俣に向かうときは高速道路で、運転していてもあまり面白みを感じなかったけれど、黒川温泉へは阿蘇を通過していくので、壮大な山々に胸が熱くなる。阿蘇はカルデラが特徴的で、他ではなかなか見ることのできない風景が、観光客にも喜ばれるのだろう。

運転に疲れてきたころにあらわれる熊本の名物ともいえるジャージー牛乳のソフトクリーム屋さんや、あか牛を売りにした食事処も憎い。ついついつられて、ソフトクリームを食べてしまった。

阿蘇の展望台に寄り道したりと、今日は昨日と違ってすっかり観光気分になっていた。
黒川温泉に着く前にリサーチした温泉が、どれもこれも個性的で、温泉巡りをしたくなる人たちの気持ちがよく分かる。
黒川温泉指定の駐車場に辿り着くと、すぐ隣の施設ではお得に温泉巡りが楽しめる温泉手形が販売されていたり、温泉街に入るとお土産屋さんや飲食店もずらりと並んでおり、たくさんの人で賑わっていた。


私たちは昨日と同じく2つの湯に入ることにした。
1つ目は「山の宿新明館」の洞窟の洞窟風呂。珍しさで選んだ。実際にはいると本当に洞窟の中で、脱衣所もザルが置いてあるだけ。薄暗くて、ゴツゴツとした洞窟の中の温泉に浸かるという体験はなかなか面白かった。

2つ目は「歴史の宿御客屋」。こちらは黒川温泉でもっとも古い歴史があり、約300年前の元湯である露天風呂「古の湯」に入浴した。
老舗旅館ということもあり、接客も丁寧で入浴前にお水を飲んでもらってから案内するというきめ細かいサービス。館内も歴史を感じつつ清潔感があり、高級な場所に慣れない私たちは少し緊張してしまった。

温泉はサラリとした湯の印象で、とても気持ちが良かった。温泉街やこの宿の受付は混んでいたものの、温泉の中には私たちだけで、黒川温泉は宿泊者が多いように感じた。せっかく来たのだから、どれだけ多くの湯に入れるのか、そう考える人が多いのだろう。
身体を癒すために温泉を楽しみたい高齢者はもちろんのこと、若者たちにはアミューズメントパークのようにも利用でき、幅広い層に好まれる温泉地だと感じた。

黒川温泉は湯の鶴温泉と同様に、熊本市内から車で1時間半というなかなか不便な場所にあり、かつてはゴーストタウン化していた温泉街だったが、現在では全国でもトップクラスの温泉街へと復活を遂げた。
黒川温泉のホームページのトップに、「黒川温泉一旅館・温泉街がまるでひとつの旅館のように」というタイトルが書かれており、温泉街全体でお客さまをもてなす取り組みがされている。一軒で儲かるのではなく、地域全体で黒川温泉郷を盛り上げたいとの思いから生まれた数々の施策が、今の黒川温泉の人気を後押ししているようだ。中でも、全ての旅館の露天風呂に1,000円で自由に入ることができる「入湯手形」は他の温泉街でも好事例として取り入れられている。

実際に訪れて黒川温泉を満喫し、人気の理由はよく分かった。けれども2つの温泉街を比較して、私が残しておきたい記憶が多いのも、また訪れて関わりたいと思ったのも、湯の鶴温泉の方だった。
なぜなら観光地化された温泉街よりも、さびれたというよりも鄙びたという言葉の方がよく似合う、湯の鶴温泉街の方に魅力を感じたからだ。
湯の鶴温泉が生き残るために成功例である黒川温泉に寄せていくと、今ある魅力は激減してしまうだろう。けれども何もしなければお客さんが今後も減っていく可能性は高い。遺って欲しいと思う場所が、今後どうすればそこにいる人たちにとってもベストな形で遺り続けるのか、とても難しい問題だ。けれども、何かしらの形でも支援していきたいし、関わっていきたいと思わせる魅力が、湯の鶴温泉にはあったのだ。

*****

今回の旅から娘は一体どんな課題を見出していくのか、とても楽しみだ。
娘が高校在学中に、どうしても必要だから水俣にまた連れて行ってと言われるのを期待している自分がいる。
なぜなら、湯とともに暮らす人々に囲まれて、湯の鶴温泉街という好きな場所が増えたからだ。
今度は迷うことなく喜久の湯に行き、地元の人のような顔をして湯に浸かるのだ。そして特に何もない景色を楽しみながらランニングをして、お腹が空いたら日替わり定食を頬張りに行くのだ。
忘れられているかもしれないけれど、また会いたい人たちもいる。

そんな私の感情を生んだ湯の鶴温泉は、Tojiyaの宿主からすればある意味成功なのかもしれない。

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