誰かに影響を与えるということ

こんばんは。
お立ち寄りいただきありがとうございます。
今日も、ふと思いついたことを
思いついたまま
書いてみようと思います。

今年の春にWBCがあって
日本中が野球一色になっていた頃
私は特に変わらずに
過ごしておりました。

子どもが生まれてから
あまりテレビを見ないようになって
そのまま、いつの間にか
我が家のリビングからテレビがなくなり
一層、私はテレビから遠のいているのですが

同じく、あまりテレビを見せていなかった我が子が
ある日突然
「WBC録画しておいて!」と言い出しまして
それまでサッカーサッカーで
まったく野球に触れていなかったのに
突然
野球のために土日をつぶしてもいいから
野球をやりたい
と言い始めました

WBCで大谷選手の活躍に触れたことから始まって
WBC後には
あっという間に阪神ファンになり
応援歌が日常にあふれ
気が付けば私まで阪神の応援歌を口ずさんでいるほどに

野球を始めて8カ月。
試合の応援に行くたびに
その成長に感動します。

いつまで野球を続けるかはまだまだわかりませんが
この子の人生にとって
野球という世界を通じて学んでいることは計り知れません。

WBCをきっかけに野球に興味をもったり
野球を始めた子が
きっとたくさんたくさんいるんだと思います。

その子たち全員が将来野球選手になるわけではありませんが
きっと何人かはそういう子が出てきて
また、その子(未来の選手)がさらに誰かの憧れになって
そうやって繋がっていく。

野球選手にならなくとも
人生に何らかの影響を及ぼしていく

それってすごいことだなあ
と、なんだか
改めて思いました。

でも、そう思ったら
我々は誰でも
近くにいる誰かに影響を及ぼしていて
あるいは影響を受けていて
お互いに影響しあいながら生きてるんだなあ
と再認識して

それならば是非
少しでもいい影響を与えられる存在でありたいなあ
と思うのです。

一番身近にいるのが家族ですが
私は多分、夫と子どもに
すごく影響を与えていて
それは 良くも悪くも 与えていて
特に子どもには
成長する この人格の核となる部分に
本当に重大な影響を及ぼしているんだと思います。

同じように
私も幼少期・成長期に
家族から受けた影響というのがあって
それがきっと、私の核になっているんだと思うんですよね。

私の 潜在的に暗い部分 というのはきっと
そういう時代に形成されたもので
それを覆すのは難しいことかもしれないけれど
そうかといって覆す必要があるのかというと
そうではなくて
きっと、
そういう部分があっての私なんだと思います。

たまたま電車でお隣に座った方とのおしゃべりとか
急いでいる時にぶつかってしまった人とか
レジで並んでいる時の前後の人とか

日常で一瞬だけでもすれ違う全ての人が
知らず知らずのうちに
影響を与え合っているのかもしれません。

壮大な話ですが
一期一会

だから私たちは
誰もが 誰かに影響を与えているんだ
と自覚する

自分の思うように
自分らしく生きる先に
誰にどんな影響を与えているんだろう

ふとそんなことを考えた
今日この頃でした

とりとめもない散文にお付き合いいただき
ありがとうございました

明日も素敵な一日になりますように☆

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