【BROGLD】


 知識的なことばかりだと何ですので、ちょっとお店のことも書かせてください。『どうして脱サラする気になったのか』も書いています。独立を考えている人は参考になるかもしれません。ちょっと長くなるのであしからず...。


 最初の『きっかけ』で書かせていただきましたが私は“BROGLD(ブログルド)”という名の『タコ料理専門店』を経営していますが、最初は『縁蛸(えんたこ) 』という名のタコヤキ屋としてスタートしました。脱サラ、料理学校経験なし、まったくの素人で始めました。
その縁蛸は1999年の秋、京都市左京区一乗寺、宮本武蔵が吉岡一門と戦った八大神社の近く、北は曼殊院門跡、赤山禅院、修学院離宮、南に行けば銀閣寺、南禅寺、平安神宮といった名刹が「これでもかっ!!」と言うくらいある地域で開業。創業時はテナント契約、工事、融資、厨房機器の購入、保健所への届け出、仕入れ先の選定など、ほぼ全ての難題を奥さんと私、素人の二人三脚で解決してきました。それからもう20年余。

『よく続けてこられたな』
と本心から思います。別の言い方をすれば、

『辞める機会を逃し続けたのかな...。』

これの方が正解かもしれません。まあそれはさておき、『タコの旨味を活かす店』というポリシーを引っ提げ、意気揚々と創業。元在籍していた会社は安定企業、年収も文句なし。それを辞めて借金までして始めた店でした。前にも書きましたが当時は、

「5年後にはクルーザー買ってやるぅ~っ!!」

なんて豪語していましたね。失敗することなんかまったく考えてなかった。逆にそうじゃないと脱サラなんかできません。24時間湧き出るアドレナリンが私の感覚を麻痺させていました。

でも今更ながら世間は甘くない。すぐに夢が覚めます。開業した数日は様子をうかがいに来る付近のお客様がポツポツあるものの、それも1日10件もありません。目標に上げていた売上げも数か月は1/3いや1/4くらいだった。アドレナリンは枯れ果て息苦しく、悶々とする日々を送っていました。実は当時の何割かのお客様から受け入れられなかった理由が2つありました。『必ず焼き立てを出す。そのため注文後に焼き始めるから12~3分待つ』と『タコの旨味を味わうためソースを塗らない』ということ。実はコレこそが他の店と違うコンセプトだったのですが、大阪とは違い京都人はタコヤキに大して大きなこだわりを持っていなかった。それを理解いただけない方は一定数いて、せっかく来店した中の何割かの方は注文に至らず帰ってしまいました。正直なところホントにきつかった。でもここでポリシーを曲げたら絶対後悔する。どこにでもある特徴のない店になる。そうすれば結果的に人気店はなれない。そう思って我慢しました。では何故続けてこられたか? それはお客様の反応がすべてでした。

『京都人は... 理解できない』なんて書きましたが、もちろんそんな人ばかりではありません。ちゃんと私の主張を理解し、期待して待ってくれる人。ソースを使わない未知のタコヤキを食べてくれる人もたくさんいました。その中には、

 「生涯で一番美味いっ!!」

 「タコってこんなに美味しいのっ!?」

 「他の店にはもう行けないっ!!」

 「頑張ってくださいっ!!」

など、最上級のリアクションが高確率で返ってきました。これは食べ物をつくる者にとってはなによりの勲章。今度はアドレナリンではなくモルヒネみたいなもっとすごい脳内分泌物が出ているのではないかと感じます。コレを経験するともうダメです。お笑い芸人や役者を目指すもなかなか売れなくて貧乏している人と同じです。まして、既に少ないとは言え世間で評価されているのですから、変に自信を持ちます。

『そのうち絶対に上手くいく...。』

そう思って続けてきました。


 そうしているうちにテレビ局から電話。関西ではかなり人気の朝の情報番組に取り上げられました。その後、グルメ番組や有名情報雑誌、新聞など多くのメディアに掲載いただきました。中には関西の『粉もの(お好み焼き、タコヤキなど全部)』の中でランキングN.O.1に選ばれたこともあります。まったく夢のような話でした。
 ただ、取り上げられた時の繁盛ぶりは、あくまでも一過性のものです。日が経てばまたお客様は減っていきます。それでもほんの少しずつではありますがお客様は増え、何とか店を廃業することなく現在に至っています。


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