車種決定

【 1983(昭和58)年5月 20歳 】



 興奮し勢いよく出かけたのはいいが、服装はちょっと軽装だった。上下は少々くたびれたスウェット。その上にデニムのジャケット。足元はやや薄手の靴下にサンダル。いくら5月下旬とはいえ山陰地方の真夜中である。ちょっと自然を舐めすぎていた。ゆるゆるの首元から入る風は寒く時間とともに体温を奪ってゆく。アパートを出てから10分くらいだったか…鼻水が出てきた。身震いもする。

『ん…寒い…やっぱ帰ろうかな…。でも一件くらい…。』

そう思って根性入れてもう少し進む。つくづく思うがこの根性を勉学に活かすことができればどれだけいいだろう。まったく救いようがない馬鹿である。それから更に10分くらい走ったところでやっと情報誌に載っていた一番近い店に辿り着いた。国道沿いのためか、営業時間ではないが、防犯と展示車を見る人を意識してか照明は点いていた。ただ、バイクを停め展示車に近づこうとするが、ぐるりとロープで柵が張り巡らされていた…。まあ…当然のことである。それにしても4~50台はあっただろうか…程々に大きな店である。私はロープの外から目的の車を探した。情報誌によると1979年製、走行距離28000kmのものがあるはずだ。だが…ない…奥の方を見渡しても…ない。業を煮やした私は遂にロープを超えて中に入った。が、展示場を一周するがやはり見つからない。さて仕方がない、どうしようかと思っていたら、

「ちょっとすいません。勝手に入られては困ります。」

と突然声をかけられた。どうやら店員さんのようだ。聞けば防犯の為、社員が当番制で事務所で寝ているそうだ。そこに私が現れ、何等かのセンサーに引っかかったらしい。

「あっ…すいません。外から見つけられなかったので…。」

私は店員さんに情報誌を見せ、例の車を見に来たことを説明した。すると、

「そうですか、でも中に入るのはダメですよ。」

「はい。すみません。」

「で、その車ですがね。10日くらい前に売れました。今は整備中でここにはないんですよ。」

「えっ…そうなんですか。」

「数が少ない上に結構人気のある車ですからね。程度が良ければ早くなくなることが多いですね。」

「そんなに人気あるんですか?」

「ありますよ。生産も終わりましたから尚更ですね。」

「はぁ…。」

「今度いつ入るかわかりませんが、電話番号教えてもらえれば連絡しますけど?」

「あっ、いや、まだ決めた訳じゃないので…。すみません。」

「そうですか。中古車はタイミングですからね…。こう言っては何ですが、本(情報誌)を見てから来られても人気車は売れてしまっていることが多いですよ。」

「はい。わかりました。あっ、中に入ってすみませんでした。」

「では、これ私の名刺です。何かあったらお願いします。」

「はい。ありがとうございました。」

とりあえずその場にいても何なので、私は数百メートル離れた自動販売機がある場所にバイクを停めた。冷えた身体を温めたかったので悩んだ挙句缶の『おしるこ』を選んだ。『コーンポタージュ』と最後まで迷ったが『おしるこ』の甘さが決め手だった。身体も気持ちも和らぐ…。これは『コーンポタージュ』では成し得ない芸当である。そう言えば以前ギターを買うために始めた郵便配達のバイトの時もそうだった。大きな赤い自転車をこぎ配達地域に行く途中、いつも同じ自動販売機で今と同じ『おしるこ』を飲んで身体を温めていたのだった。
 それにしても店員さんの言う通りだと思った。中古車である以上、同じ車種でもそれは同じ車ではない。製造年月日、走行距離、ボディーカラー、前オーナーの使い方。状態によって一台一台価値が全く違うものだ。早く欲しいからと言って焦ってはならないが、中古車情報誌を見てからでは遅い。情報戦略を練り直して事に当たらなくてはならない。また、『早い者勝ち』であるが故に場合によっては即断即決も必要である。果たして学生の私がどれだけ冷静に対処できるかは甚だ疑問だが、明らかなのはできるだけ多くの中古車販売店を回り情報を収集し相場を見極めるということだ。言うのは簡単だがこれは想像以上に大変なものだ。
 それが分かればもう今は十分。営業していない販売店を見て回っても収穫は少ない。早く帰り早く起きて時間を有効に使う方がいい。何より折角『おしるこ』で身体が温まったうちに帰るのがベターである。私はバイクで帰路を走りながら決心した。

「セルボ(スズキ自動車)を買うっ!」


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