【タコの冷凍保存について】


 さて、前のテーマで書きましたが、

『基本的に地元の一部や特別なもの以外、流通するタコは冷凍されます』

とあるように、皆さんが口にするタコはそのほとんどが冷凍後に流通されたものです。この際はっきり申し上げますが私の店で仕入れているものも冷凍です。ただ、“生”の冷凍です。しかしこの、“生”と“冷凍”という言葉が広く世間一般には、持つニュアンスに不確かな理解があります。例えば、

「ウチの店のタコは産地から直接送られています。その生タコを調理しています。」

と言えば、お客さんの何割かの人が、

「すごい。生きているタコですか?」

と返してきます。

「いやいや、さすがに〆られた死んだものですよ。」

と答えても、ここまではいいのですが、

「冷凍で送られたものを解凍したものです。」

と言った途端に残念なリアクションをとる人がまあまあ居られます。

「ええっ... こんなにこだわっている店なのに冷凍なのですか...?」

なんて言われたこともあります。もちろんそこまで活きのいいタコを調理できたら私の気持ちも昂ぶるでしょうけど、現実問題としてそれは難しい。当たり前ですが、

『どれだけのコストがかかるのか? 余った分はどうするのか?』

経営者としてはそう考えます。予約が殺到する高級な人気店なら、仕入れにコストをかけることや、無駄のない消費が可能かもしれませんが、結局それは値段に反映されることです。私の店のような庶民的な店では無理です。高級店でないと不可能です。もちろん安定的な仕入れも難しい。不漁続きの日々もあります。悪天候で漁師さんが船を出さない日が続くこともあります。

 別の手段として中央卸売市場に買いに行くことも出来ますが、産地から冷凍ものを宅配便で送ってもらうのに比べかなり高額です。中間マージンも加わりますので仕方がないことです。あと正直なところ、夜遅くまで店を営業し早朝に買い付けに行く体力も根性もないです。

 そうそう、ここでハッキリ書いておかなくてはなりません。“生のタコ“はちゃんと扱われて冷凍されたものなら全くと言っていい程その食材としての本来の価値は下りません。そればかりか美味しくなる効果もあります。

 タコを調理する際、昔の人はタコの身が柔らかく仕上がるように『大根でたたく』ということを伝承してきました。大根の大きさ、重さ、固さがタコの身を傷つけず筋繊維を断つのに丁度いいと思われていたからです。それはなるほどと思います。でもそれとは別に、

『大根に含まれる酵素がタコを柔らかくする』

という料理人もいます。んっ!! ちょっと違和感が...

『いやいや、それはないやろっ!!』

っと私は思います...。だって、

『大根おろしに漬け込む』

のならわかりますが、皮をむかずにそのままの大根でたたいても酵素がタコの筋肉組織に効率よく入り込むとは考えられません。その上皮も分厚いですよ。仮に影響しているとしてもどのくらいですか? 影響させるとしたらどれだけの時間たたく必要があるのでしょう。長時間たたくならもはや酵素は関係なくないですか? 単純に長時間たたいているから柔らかくなっているのではないですか? 世の中にはいろいろな人がいます。それを実験した人がいるようです。予想通り、皮をむいた大根でたたいたのと、棒でたたいたのと比較したところ、結果に違いはなかったということです。つい先日もTVでタコ料理専門店の料理人が『大根の酵素が...。』と言っていましたね。やれやれ... まったく... 根拠がないことを尤もらしく言う輩は多いものです。私見ですが、江戸時代や明治の一般的な調理場には棒のような『たたく道具』はありません。そこにたまたま大根があったから使われて何かの切っ掛けでそれがマニュアル化されたのだと思います。そして近代になって大根の酵素の存在を知ると、誰かがそれっぽく理由(効果)を付け足したんじゃないかと思います。あくまでも私見です... 私見。


さて、ちょっとエキサイトしましたが、ところ変わり地中海でタコを食べる代表的な国としてギリシャがありますが、そこでも同じようなことをしているそうです。漁港に到着すると漁師はコンクリートや石積みの波止場にタコを何度もたたきつけるそうです。『タコ殴り』ならぬ『タコ叩きつけ』ですね。大根よりかなり乱暴ですが目的は同じです。タコは超筋肉質ですからこういった処理をせずに火を通すとすごく固くなってしまいます。薄く切ってお造りにするならいいでしょうけど、煮物にすると固くて失敗作のレッテルを貼られる残念な結果になります。また筋繊維が断たれた状態のほうが味も染み込み易くなりますから一石二鳥です。因みにタコを炊く場合、味醂を入れるとタコが固くなるようです。是非使いたい調味料なのに難しいものですね。

 またまた余談が長くなりましたが、それが冷凍とどう関係があるのかといいますと、いくら筋肉質とは言えタコの身は水分がたっぷりです。冷凍するとその水分をたっぷり含んだ肉が膨張し筋繊維が程好く切断されるのです。そして解凍すると冷凍前のタコより柔らかいタコができあがるのです。外見上も傷つくことはありません。また、大根でたたくより、どの部分も均等に柔らかく仕上がります。タコは冷凍により劣化するどころか、その肉質を手間をかけずに柔らかくすることができるのです。ただしその分、熱を加えると身の中の旨味を含んだエキスが流れ出しやすくなります。それを防ぐのが私の大きな仕事です。

 あと衛生面ですが、

『48時間以上冷凍すると雑菌(食中毒菌)の殆どが死ぬ。』

なんてことを聞いたことがあります。『それはラッキー』と喜んだものですが、実はそれは間違いのようです。一時的にいくつかの菌の働きを抑えるだけだそうです。解凍したら菌も元通りだとか... 残念ですね...。やはり加熱するのが一番です。ただ、寄生虫は死にます。そう、あの有名なアニサキスも死にます。それだけでも有り難いですね。特に内臓にはアニサキスのリスクが程々ありますから助かります。もちろん冷凍すると死ぬ雑菌も有るそうなので、少しはメリットがあると思っていいでしょう。

結論。水槽から活タコをまな板にのせ豪快に調理するのはお客様に見せて楽しませることができる店。そういったことが出来る調理人を羨ましく思いますが、それはそういったお店にお任せします。しかし調理の仕方によっては冷凍が勝ることもあるのです。保存しやすく流通コストも低い。売り手も季節を問わず安定収入が見込める。価格が抑えられ消費者にも安く提供できる。タコを扱う者にとって冷凍はメリットの多い保存方法なのです。一部のグルメ漫画やメディアが、本意ではなかったにせよ『冷凍食材は本来の味を台無しにする』といった風評を一般に拡げてしまった感があります。もちろん食材によってはそうかも知れませんが...。また、事実、一部の不届き者の行いで美味しくない冷凍されたタコが流通していることも否めません。でもそれは別次元の話、冷凍そのものに問題があるわけではないのです。


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