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4月の短歌✧♡

 今日は月に一度の短歌の会であった。(2024.4.17)
 会場は、はっちという街中にある施設の5階。街中の駐車料金を惜しみ、前回は遠くの無料の場所に停めて、だかだか歩いた。しかし、今日は雨降り。お友達の足がスコシ悪いK さんを送ることを考えるともっと近くに停めようと、グランドホテルの駐車場。美味しい食パンをゲットして、一応、罪悪感を無くす( ´艸`)
 開始時刻10分前に着いたのに、すでに皆で歌を読み合っている。
 きゃああああ~。どゆこと?
 今日も、何票か得票したか、ただ私が気に行った歌を紹介する。

手のひらゆこぼるるほどの幸せはもはや望まぬエゴ降りしきる

 私も一票。私の解釈。毎朝、湯舟たっぷりの温泉に入っているが作者は手のひらゆこぼるるほどの幸せ、と小さな幸せしか望んでいないのに、それもなかなか手に入らない孤独な中にある。それは自分の好きなように生きてきた人生だから、他に何も望まない、という解釈。ところが、先生曰く、「手のひらゆ」の「ゆ」はお湯ではなく、「~から」という意味だという。相当短歌に親しんできた人の歌で、全体のリズムもいい。結句の「エゴ降りしきる」も、世間の事なのか自制した自分のことなのか、どうとでも読めると言う。解釈が多いほど、面白い歌なのではないか? 

まだ少し眠り足らずや春蚕首をふりふり白い糸吐く

 私も一票。私の解釈は、蚕という虫の珍しさにも惹かれたのと、眠り足りないのは作者か蚕か?首をふりふりしている様が面白い。
 蚕は、皇室でも育てていますよね?と誰かが言う。
 先生曰く、小4で、蚕の観察があり、皆で、桑の葉をもってきて育てるらしい。蚕は繭を作るまでに4回眠る。そして、最後の、繭を作ったあとの眠りがやってくる。
 蚕の眠りと作者の春になって眠たい眠りがだぶった面白い歌。

彷彿と夫(つま)かと紛うその仕草その声までも吾子は受け継ぐ

 初めは「彷彿と夫かと惑う子の仕草その声までもDNA継ぐ」だった。
 この体験はあるあるだと思うが、先生が直したことによって、凄く良くなった。やはり短歌は説明じゃない。

潤む先桜の花びら青に映え見ていますかと呟いてみる

 桜の時期に伴侶を亡くしたという鑑賞者が選んでいた。先生が、潤む先というのが、泣いていると言う表現だと思うが、潤む目としたらどうかと言った。最後に作者が、新聞に発表されるので、恥ずかしいので、表現をぼかした、わかる人がわかってくれればいい、このままでということになった。分かりやすいことがいい歌の条件ではないと私も思う。
 前回、自分の歌への言葉の変更に悶々としたが、きちんと自分の思いを先生に伝えればいいだけと知り、なんだか安心した。

すぅすぅと伸びてつぼみをふくらませ咲くを計りぬ水仙の春

 咲くを計りぬという表現が素敵。春はあっという間に通り過ぎていく。
 ぅを大きくしたら?と先生。いえ、このままで、と作者。( ´艸`)

人住まぬ家がかすかに咽(むせ)ぶ朝ひかりの中に春霞たつ

 私も一票。毎朝、歩いている散歩コースにやはり、家主が不在になった家がある。前年の畑の作業等、見るともなく見ていれば、不在になったことが分かる。しかし、主無き庭に、夏は朝顔が乱れ咲き、今は美しい小さな白い桜が咲きそうになっている。
 私もいつかその桜を詠んで見たいと思っていたのでこの歌を選んだ。
 鑑賞者は、田舎の道に、よくそのような家を見かけることがあると語った。たしかに、八戸市内でもそうなのだから、さらに過疎の町や村に行けばそのような家は増えると思われる。
 私の母の家だって、そんな家だ。そんな家が人が知らずとも咽ぶ日があるかもしれないなと心から思う。

目が冴えて眠れぬ夜は深呼吸 気のうちそとを入れ替えてみる

 歌の真ん中に空間というか一文字空白がある。誤読を避ける意味と、シーンを変える意味があるそうだ。いつも圧倒的に、投票数の多い先生の歌が、今日はそうでもない。皆のレベルが上がってきたということなのだろう。私はデザインあの「うちとそと」という楽しい歌を思い出した。
 呼吸して、自分の内側にあった空気が外へ。外側の空気が自分の内側に移動したことが面白い。

みちのくの棟方の柵観るほどに秘めし精気に心うばわる

 棟方の作、となっていたが、柵にした方が棟方のよさが伝わると先生。
 確かに棟方志功は版画を板画と言ったし、作品のタイトルにはよく柵とある。独特の言葉を発明する人だ。自分の知らなかった言葉を自分の歌に使うことに抵抗はあるだろうが、そこは私も先生に一票を投ず。

 棟方の板にすれすれに顔を近づけて板を彫る姿は、どうやって作品の全体像を見ているのか、謎、そのものだ。伊勢白山道さん(彼は霊能者)によると、鉢巻きを依り代として観音様が乗っていたそうだ。棟方志功には、有り得ると感じた。
 「うばわる」という言葉も、はじめは「うばはる」だったが、先生から、新仮名遣いと旧仮名遣いは、同じ作者の中では統一した方がよいという忠告があった。旧仮名遣いは存外、難しいらしい。(高木さんやってみてw)

一樹にて群れて囀る雀らは日だまり残しお宿へ帰る

 散歩の途中でよく見かける光景。ある樹に五月蠅いほどの雀の囀りがある。近づくと一斉に飛び立ったり、そのまま鳴き続けていたり。すずめのお宿って言葉も聴いたことがある。

再手術にわかに神様仏様わらしにかえり大泣きしたい

 前回の歌会を欠席したSさんの歌。不整脈の手術をしたそうだ。
 鑑賞者の言葉も、「そんな時は大泣きするのがよいと思います」「普段は省みない神様仏様にすがりたくなるのが可笑しい」「大の大人だって泣きたい時がある」といろいろの感想が集まって面白かった。
 先生曰く、短歌は、わざと婉曲な表現にしたり飾ったりするものでもあるが、この歌のストレートさも良きとのこと。

大雪に折れたと見えた南天がスクッと立ちて待ち望む春

 先ほどのSさんの鑑賞。南天のところを、たとえば飼い犬に置き換えて、「大雪に埋もれた犬」と想像してみると作者の気持ちがわかった。南天は作者にとって大切なものなのだろうと言う。次の鑑賞者もつられて、私にとってその南天は「笹」ですと述べていた。( ´艸`)

緩やかにどこからともなく流れくる目覚めうながす珈琲の香り

 カラオケの会のKさんの歌である。朝の空気感と言葉運びが善きと先生。コーヒーというカタカナを珈琲に変えていっそう香り立つ。
 今まさに、焦って記事を書いている私のそばで黒帯がコーヒーミルで豆をひいている風景が、我が家にもある。

思い切り春の息吹を吸い込みてふうと吐き出す昨日の自分

 昨日の自分を吐き出し、別な自分へと前向きな心。春の新鮮な息吹を吸い取って、昨日の自分を卒業する爽やかさ。最も票を集めた歌であった。
 前回の「清しき風」も素敵だったし、Oさんの歌は清涼感がある。
 
 今回、自分の歌をまだ発表していないのにすでに2700字を越えた。
 今回はいいなあと思う歌が多かった。季節は春で、会員の歌の中にもそんな春の躍動があったと感じる。先生は、皆さんの投票もいい感じにばらけたし、今回は三首選ぶのが難しかったのではないですか?こんなに面白いお歌が集まる会って他にないと思います、うちの会はすごいわあと言ったので、皆で大笑い。1年経ち、とても楽しい会になってきたなあと感じる。

 さて、私の今月の歌は。
 今まさに咲こうとしている桜に感じたことを詠んだ。

毎朝見ているこの姿

ひきしぼる弓の如くに張りつめて膨らむつぼみの表面張力

あやのん

 物理的観察力がよくわかると、作者の観察力と言葉の使い方を褒められた。あの咲く前の桜の充満してパンパンになったエネルギーをどう表現すれば、あの姿が表わせるのか考えていると、ひきしぼる弓と表面張力という言葉がぱっと頭に浮かんで組み合わせた歌である。
 4月の歌を投稿するため、毎朝詠んでいたら、ある朝、誕生した歌。
 何年も桜の散歩道を歩いていて、毎年感じていることを初めてキャッチできて、表現することができたと思った。

 今年は短歌というカメラを得て、春を逃がさなかった✧♡

















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