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[ポーランドはおいしい] 第10回 綿毛降る

初めてポーランドに行った1992年の夏、ワルシャワのオケンチェ空港に着いてみると、手違いで私の機内預けの荷物が届いていなかった。モスクワに置き去りにされているという。今日泊めてもらうことになっているクラクフの知人に電話しようとするが、空港内の公衆電話は具合が悪く、近くの郵便局から掛けると留守である。どうしていいか不安になり、日本の友だちが教えてくれたワルシャワ在住ポーランド人の番号に2、3掛けてみるがみんな留守。ひとりで何もわからぬまま、とりあえずバスでワルシャワ中央駅に向かい、クラクフ行きの急行列車に何とか乗り込んだ。

ヨーロッパに初めて来て、これから約40日間ポーランドで過ごすというのに、突然日本にいるみたいにショルダーバッグとカメラだけの身軽な恰好になってしまった。でも緊張はしているものの、かえってさばさばした気分になった。明日空港に電話すれば、というか、自分はポーランド語がまだあまりわからないからクラクフの知人に電話してもらえば何とかなるだろう、と腹をくくった。どうしようもないときはじたばたしても仕方がない。それより、何もかも初めて見るものばかりで珍しくて楽しくて、周囲を観察するのに忙しかった。

急行列車の車両は片側に廊下があり、一等車は6人掛け、二等車は8人掛けのコンパートメントが並んでいる。私の座ったコンパートメントには明るい労働者ふうのお兄さんたちがいた。床に置いた大きなボストンバッグから、小さな黄色い桃のような果物を取り出しては皮ごと食べている。私にもくれた。「ポーランド語でこれは何と言うのですか?」と訊くと、moreleと答えてくれた。あとでわかったがこれはアンズだった。私は車内や窓の外の景色で気づいたことを手帳にメモしていた。目の前にいる人々の様子をさっとスケッチしてお兄さんたちに見せると、そこから少し会話ができた。みんな気さくで親切なので楽しかつた。

moreleはアンズのこと(1996年8月サンドミェシュにて撮影)

車内は少々暑かった。開いていた窓から風といっしょにしょっちゅう綿毛が入ってくる。タンポポの綿毛よりもずっと大きい。直径3センチくらい。ほよほよしている。むかし聞いたケセランパサランという言葉で私がイメージしていたのはこんなものだ。

ひとつ覚えで、また「ポーランド語でこれは何と言うのですか?」と訊いてみる。puszekだと言われた。「綿毛」だ。そんなことは見ればわかる。何の綿毛かと訊いているのに。

綿毛は入ってくるたび、ほわほわとコンパートメント内を飛び回っていた。そのうちそれにうんざりしたのか、強風が当たるのを嫌ったのか、一人が窓を閉めてしまった。

綿毛が雪のように降るイメージは、私のポーランドの第一印象としてかなり強く残った。これ以降、何度となくワルシャワ・クラクフ間を往復しているが、このときのようには綿毛は入ってこない。たまたま1992年7月が綿毛の飛びやすい時期に当たっていたのか。それとも天候のせいだったのか。よくわからない。

クラクフ駅に到着してからもう一度知人に電話するとようやく通じた。「先月来ると聞いていたから用意していたのに…。今日来るとは思わなかったわ」と言われる。何か連絡の手違いがあったらしい。

この年、ポーランドの帰りに寄ったモスクワでは、歩道わきに、解け残った雪のように綿毛が積もっていた。

綿毛まみれの車(1999年6月撮影)

1999年にはクラクフのシチェパインスキ広場の駐車場で、車が綿毛まみれになっているのを見た。綿毛はバナナのような形にまとまったままシャシーにまとわりつき、だんだん埃に汚れて、ずたずたのぼろ雑巾がまぶしてあるように見えた。車はポプラの木の下に駐めてあった。

手元のポケット植物図鑑を見ると、ポプラには雌雄があり、雌株を町なかに植えることは、周辺に綿毛を散らかすので避けなければならない、とある。

クラクフ・プワシュフ駅のポプラ(2001年12月撮影)

©SHIBATA Ayano 2004, 2017

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