諸戸明

働きたくない人間です

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隙間手記

 空いた時間に、なにやら書いてみようと思います。もし、これを見つけたかたがいらしたら「職場のパソコンをひまつぶしなんかに使うなんてけしからんやつだ」「空いている時間があるなら、なにか仕事を探してこい、ふまじめなやつめ」と眉を顰められることでしょう。しかし、私はこれでもなかなかまじめにやっているつもりでございます。ちょっとばかしの息抜きとして、どうぞご寛恕ください。ほんの、一分、二分、三十秒のすきまをみつけて、かたかたかたかた、キーボードを打っているだけでございます。  これを

    • みまかり

       このごろ、死ぬことばかり考えております。  ただただ歩いているだけだのに、わけもなく涙が出てしまうのです。ふるふると手が震えてしまうのです。胸がきゅうきゅう締めつけられて、苦しくて。それでも、いったいなにがそんなに悲しいのか、わたくし自身にもさっぱり分からないのです。  わたくしには別段悩みなどございません。幸福な家庭に生まれ育ち、両親に愛され、優しい配偶者に恵まれ、親切なおともだちも幾人かおります。お仕事にも就いておりますし、借金もございません。趣味は読書、このあいだひと

      • まぼろし博覧会

        午前3時50分。 しかけたアラームよりも30分早く目が覚めた。連れ合いは夜勤のため、今朝はひとりきりである。 水槽のライトをつけると、まだまどろんでいるのか2匹の金魚は寄り添って底でじっとしていた。エサをぱらぱらと入れると、ふよふよと水面に近づいてぱくぱく吸い込んでいた。 昨晩何を食べたわけでもないのに胃がじりじりと焼けるように痛み、食欲がわかない。以前買置いたクリーム玄米ブランを鞄に入れて、野菜ジュースだけ飲んで朝食を終えた。 さて、なんだってこの日曜日、連れ合いもい

        • 飲み会

           職場の飲み会。お好きなかたはいらっしゃるだろうか。  少なくとも、自分と連れ合いは好きではない。大して仲のよくない人間と同席し、料理を出されたらみなさまにお取り分け、飲めない酒をむりくり飲まされ、腹にたまらぬつまみを食らい、無礼講と言いつつ上司にはお酌とお追従、胴間声で耳を痛くし、興味のない身の上話を延々と聞かされて、無茶ぶりで芸をやらされて白けさせ、お時間になったらきっちり飲み放題込みの代金をお支払。帰って来たときには全身煙草臭。いったい全体なにがたのしいというのだ。いい

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        • 労働厭記
          1本

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          生きるのに向かない

           転職をした。事務職である。PCに向き合い、カチカチひたすらにデータを入力するだけの、非常に自分に向いている仕事だ。少なくとも前職よりは適性があると思っている。  人もいい。みなさま親切にして下さる。理不尽に怒鳴り散らしたり、ハラスメントをしたりするような方はいない。とはいえ入って一か月だから、内心「ダメなやつが入って来た」と思いつつも大目に見て下すっているだけなのかもしれないが。  非正規社員だから給料は安いが、いい職場にやって来たとは思う。残業は月一、昼休みはきちんと一時

          生きるのに向かない

          死にたさ

           死にたさというものは、からりと晴れた、気持ちのよい日にふっと湧いてくる。ああ、こんな日に死ねたらどんなに幸福なのだろうと、このごろよく思う。  それは、別に「苦しくて苦しくて、ああ辛い、消えてしまいたい」という種類のものではなく「ああ、なんだか死にたいな」というふわりとしたものなのである。ふわりとしているが、その一方、切実なものもあり、なんとも複雑な心地なのであるが。  自分は、決して不幸な境遇とは言えない。幼いころから自分は両親や祖父母に大層可愛がられて育ってきた。高校や

          死にたさ

          さぬきうどん

          さぬきうどんの汁を飲みたい。  と、喫茶店でベーグルを食べながらふと思った。  時刻は午後5時。早めの夕食と決めたベーグルを食べている最中である。ラージサイズのコーヒーだって、たっぷり残っていた。  まあ、そのうち気も紛れるだろうと本のページをめくりながら、紙カップに入ったコーヒーをすすった。  だが、それがいけなかった。余計さぬきうどんの汁を飲みたくなってしまったのだ。  なぜかというと、先日くら寿司で飲んだだしを思い出してしまったためだ。  あのうまいだしは汁椀で

          さぬきうどん

          25

          気がつけば、25になっていた。なんだったら、今年の8月で26を迎える。 25になったならば、ある程度のことはできてあたりまえだと思っている。ちょっとできる程度で得意になっていてはいけないと、思っている。 高校時代、自分は他人よりちょっと文章が書けたし、内心それを誇っていた。 しかし、気がつけば25。こうなれば、整った文章が書けることは大して珍しいことではない。ただただ文章さえ書ければ褒めてもらえる年齢ではなくなってしまった。 25 自分にはその数字がずっしと重みをも