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「藤田嗣治展」の感想。part.1

台風がくる前日、雨がシトシト降る中「藤田嗣治展」を観に行ってきた。
いろんな画家の作品を観てきたけれど、いちばん好きなのが藤田さん。
昔は「絵なんてわからない」と思っていたけれど(それは今も変わらないけれど)、それは自分の好きなテイストに出会ってないだけだった。藤田さんの”作品は出会うべくして出会ってしまった”ものなのだ、私にとって。
藤田さんが残してくれたたくさんの作品をたっぷりと堪能して、私の中にその作品が放つキラキラした欠片のようなもの、心に大切にしまって置きたい何かが当分生きていける分だけ降り積もった。こういう美しい本物との出会いが、自分を見失わずに現世を生き抜くパワーを与えてくれるのだと、けっこう真剣に思っている。

今回の展示は素晴らしい展示で、何がよかったって、時代の移り変わりとともに藤田さんの作風がどう変化して行ったのか、わかりやすく構成されている。藤田さんが活躍していた1920年代ころのアーティストたちは、第一次世界大戦など、戦争や社会情勢に自らの人生や活動を振り回されてしまう運命にあった人たち。やむを得ない状況に巻き込まれ、意図しない運命に導かれていくことこそがドラマティックで、物語に欠かせない要素だと私は思っている。そしてアールヌーヴォー・アールデコが全盛を迎えていたこの時代は、美意識に溢れ、”世界がいちばん美しかった時代”だと思う。私が心惹かれる芸術は、たいていこの時期に生み出されている。

藤田さんは1886 年生まれ。1913年、27歳のときに渡仏している。奇しくもその翌年、第1次世界大戦が勃発。展示されていた初期の作品は、自分自身や父親の自画像、アトリエから見える鬱屈としたパリの風景が多い。東京芸大の卒業制作の課題は、自画像を描くのが伝統で、今もその作品が芸大に残っているが、この自画像が展示の冒頭にあってすでにため息ものだった。というのも、斜に構えたポージングに知的で鋭い目つき。丹念に整えられた清潔感のあるヘアスタイル。意思を感じる固く結ばれた口もと。襟高のシャツに赤いチーフ、襟を立てたコートの着こなしと、野心をうちに滾られせた情熱溢れる感じと、一方で静かに前を見つめる冷静さを感じさせるような、正反対の要素が相まって、1枚の絵で自分自身を語ってしまっていたから。それはもう、立ち止まって見入ってしまった。自画像はその後も何度も描かれるが、パリに渡るといわゆる藤田さんのアイコニックな姿、おかっぱ頭に丸メガネの自画像になる。ダリが重力に逆らうチョビ髭にしたように、芸術の都パリで東洋人が画家として成功しようとしたときに、いかに自分を印象づけるか、藤田さんが戦略的に考えたスタイルなんだと思う。端々に、そういった戦略が感じられるところにも、私は藤田さんにゾクッと魅力を感じる。

→part.2に続く。
#芸術 #レオナールフジタ #東京都美術館 #没後50年   #藤田嗣治

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