見出し画像

変わらないでいることと、変わっていくもの


2019年が始まった。私は私のペースで、でも今年はできるだけたくさん自分の文章を書きたい。日々の中で思考がサラサラと流れていって「あ、書きたいな」と思ったことをそう思ったすぐそばから忘れていってしまうのだけれど、そんな思考の断片もできるだけすくい上げて私の言葉で綴りたい。拙くて伝えきれないことに歯がゆくなるけれども、それが私でもあるから、まぁぼちぼち書き続けることに意味があるんだ。今年はnoteをたくさん更新しよう。

1日の中でふと思いついて、でも次の瞬間には消えてしまうこと。
そんなことがたくさんある。
忘れてしまいたくないのに、私はたくさん忘れてしまう。

5日に東京へ戻る新幹線でも同じことを思っていた。Uターンラッシュで人がすし詰めになった車内で猛スピードで景色が変わっていくのと同じように私の心の中も目まぐるしく変わっていた。3号車の窓際の席で外を眺めながらiphoneにメモしていたのが下のテキストたち。

//////////////////////////////////新幹線が東京へと出発した。駅のホームをゆっくり抜けるとどんよりした灰色の空に、空の色よりももう少し濃い色のグレイッシュな屋根の家々がひしめく街並みが見える。高架を走る新幹線の窓から市街を見渡すと「つまらない街並みだなぁ」とぼんやりする。この街に何があるのだろうか? 
 何もない。この窓から見える景色には、何もない。何もない。
ただそう感じて軽い絶望感。

「何もない」って「何」がないんだろう??
「何」がここには「ない」のか。

稲刈りを終えた田んぼは、粉糖をまぶしたようにうっすらと雪が降り積もっていて綺麗だ。長岡を過ぎるとグレイッシュな家の屋根も雪をかぶっている。その方が街が幻想的で美しく見える。私はこっちのほうが好き。
上越新幹線は乗車率200%で加速していく。短く刈り上げた田園に雪をまぶした幻想的な世界が遠く、遠く一面に広がっている。
この光景には何かがある。さっきの市街地の街並みには感じられなかった「何か」が。

トンネルを抜ける瞬間、車体が風を切る音が瞬時に切り替わって、その轟音
で目が醒める。するとあたり一面、真っ白で覆われた雪景色が目に飛び込んで来る。見渡す限りの広大な白銀の世界。雪の白は灰色の空すらも明るく照らしている。

県境のトンネルを抜けると真っ白だった田園風景はどこへやら。
黄金色の田園風景に西日が差した穏やかな景色が広がっていた。空は関東の冬の青い空。興醒めして「あぁ、もう私の街じゃない」と思う。トンネルを抜けるとそこはもう誰か知らない他人の街だった。
上越新幹線はその手をゆるめることなく、大宮を目指す。西日に照らされた街はどこか物悲しい。無味乾燥。遠く遠くまで平野が広がって、冬から春にかけての日差しだと感じる。空にはちぎれて離れ離れになった小さな雲が2つ。彷徨うように漂っている。街はまた新潟市街に似たようなひしめく住宅地。そして関東平野。このあたりの平野も「何もない」絶望感。一抹の侘しさ以外の何かはここには何もない。

洒落た一戸建てから母親と小さな子どもが出てきた。彼女たちの視界に入るのは、自分たちの家とその周囲の景色だろう。でも高架を走る私の位置からはその家の後ろにどこまでも広がっている関東平野が見える。
彼女たちは気づかないけれど、自分の視界の外に膨大な世界が広がっていること。そんなことを感じた不思議な対比だった。

わたしが感じた「何か」の不在はもしかすると
新幹線の窓からは見えない場所にあるだけなのかもしれない。
母子から広大な関東平野が見えないように、私に知られないように「何か」はちゃんと存在しているのかも。そうだったら救われる思いがする。

関東平野は次第にゴミゴミとしていく。住宅の密集度が上がり、工場が見え、人と人がひしめきあって暮らす都会へその姿を変えてゆく。そのうんざりするような街並みを眺めながら確信する。ここにだって「何も」ない。
「何か」を探して東京を目指す人は多いけれど、ここにだって何もない。

西日に照らされて、車体の影が落ちる。ぐいぐい進む影。

大宮を過ぎて、ライブがあるのか人でひしめくさいたまスーパーアリーナ。やがて在来線と新幹線がぴったり併走しながら上野を目指す。街はミニチュアのように見える。巨大な大型マンションの小さな窓のひとつひとつには、見知らぬ誰かの暮らしがある。その人が日頃眺めている景色を新幹線は容赦なく秒で通過していく。

やがて新幹線は地下に潜り、上野。そして終点。帰ってきた東京。私がサバイブする街。ここで何の保証もない日々をそれでも懸命に生き抜こうとする私はわざわざどうしてこの場所でファイトしてるんだろう?って時々バカらしくなったりする。さっきまでの私を育んだ街から離れて300キロ。
随分と遠くまで来た。
//////////////////////////////////
東京駅に戻ってくるといつも虚しさに襲われる。上京して10年以上。ずっとこの虚しさは変わらなかった。だからこれからも変わることはないだろう。

新幹線から降りようとする頃、前日に東の街をドライブしたことを思い出した。私は新潟市の西の人間だから東のことはよく知らない。
街並みは見知っていても、そこがどんな場所かは知らない。でも案内してくれた人が東の街のことを教えてくれた。この街の人たちは、”ちょっと派手なものを好み”、”自分たちの地区に誇りに思っていて地元を出ない人が多いこと”、”このバイパスを境に〇〇エリアとは呼ばない”ことなど。
「ふうん」と聞いていたけれど、「何もない」ように見えた街並みに少しだけ親近感を覚えた。東の街にもその街に住む人たちの物語があるんだなって。私は自分が知らないだけで決めつけてしまうところがある。
そんなことを思い出して軽い絶望感が少し和らいだ。

こんなことを約2時間、途中うつらうつらしながら考えていた。
コロコロ気持ちが変わっていく自分が少し怖かった。
今日の私は明日全然違う自分になっているかもしれない。それは私もあなたもそうなんだねって。人は1秒ごとに変化していくんだなって。
変わらないでいることの愛おしさと変化していくことの寂しさと。

私の中の小さな、でも目まぐるしい変化はこんな感じで毎日毎日湧き上がってくる。

#小さな営み #Uターンラッシュ #母子 #1秒ごとに #上越新幹線 #越後平野 #エッセイ #東京オリンピックまであと563日 #note書き初め

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?