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行為に対して正当な判断をしてもらえるように

「明日、本当に仕事行きたくないの。」そう話す友人に毎度のウジウジだと思いながらも理由を聞くと、放火と思われる行為で二人亡くなった事件の国選弁護人に選ばれたらしい。数分前のニュースで流れた事件のことだ。
「放火殺人だと裁判員裁判になっちゃうねぇ…。」と言うと「何とか失火と過失致死にして、裁判員裁判だけは免れたい」と友人はつぶやいた。
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平成21年5月21日、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資すること」を目的に裁判員制度が始まった(裁判員法1条)。
かかる目的からは、国民の常識的判断が妥当な量刑に繋がり司法の信頼が向上しているかに思える。
しかし、裁判員裁判に携わる者にキャパを超える過度の負担がかかれば、それを避けるようになり、本来処罰すべき犯罪での処罰をしない。
結果として、国民の司法への理解は進まない。

先の友人は、「場合によっては中止犯や正当防御を裁判員に説明しなきゃいけない」とその苦悩を想像して沈みかえり、
「伝える大変さに引き換え、給料上がらないし、心すり減るから本当に嫌なの。」と食事にもあまり手を付けない。
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人一人が1つの仕事に割ける労力に限りがある上、
司法全体で犯罪に対応出来る人の数と能力にもキャパがある状態では、
なるべく裁判員裁判にならないよう刑を軽くする方向に動くのは分かっていたはずだ。

勿論、素晴らしい能力を途切れることのない熱意で邁進し続けられる検察官や先生もいらっしゃる。
しかし、組織の方針や毎日の暮らしがある中で、
当事者双方の言い分を全て聞き、法律に疎い人に懇切丁寧に説明をし、真実に沿った罰を課すように頑張ることが出来る
そのような体力と熱意を持ち続けることが困難な人間もいる。

そうすると、加害者の処罰は検察官や弁護士の気力次第の処罰で、加害行為に応じた処罰にならない。
結果、場合によっては被害者に我慢してもらうしかなくなる。
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1つの事件ですら重いのに常に80件程の事件をもち、今年が猛暑であったことにすら気づかず、流れるように時を過ごし、仕事のない日が久しくない彼に、
「裁判員裁判、頑張って」なんて言えなかった。
それは彼が加害者の弁護人であることはもとより、
弁護士が参るか、被害者に飲んでもらうか、それほど疲弊しきっていたからだ。
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1ヶ月後、「裁判員裁判にならなかった、失火と過失致死でおさめれそう」
そう安堵する彼に、被害者の無念を感じずにはいられなかった。それと同時に少しばかり彼の健康が守られたのだとも思う。

被告人が犯した罪は、軽いものだったのか、本当は重罪を犯したのではないか。
被告人が主張するいくつもの偶然は、知人たる被害者が認識していた出来事と合致しているのだろうか。
労力を費やしきれない結果、軽い刑になってはいないか。
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もし司法の多忙さが重罪を軽い罪に導いているのなら、政策の失敗と思える。

裁判員裁判が過度に負担がかかるものならば刑を軽くするのではなく、他の方法はないだろうか。このままでは被害者があまりにも無念であるし、国民の司法への理解も信頼増進も図れるとは到底思えない。

誰の健康も奪うことなく、
行った犯罪に見合った刑罰が下ることで、被害者の無念が少しでも晴れることになるように、そんな日がいつか訪れますように。

そう願わずにはいられなかった。
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※ご参考※
失火の場合 刑法第116条
失火により、第108条に規定する物又は他人の所有に係る第109条に規定する物を焼損した者は、50万円以下の罰金に処する。

現住建造物等放火の場合 第108条
放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

過失致死の場合 第210条
過失により人を死亡させた者は、50万円以下の罰金に処する。

殺人の場合 第199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)