映画の感想を書くときに。

ここ最近、フィルマークスで映画の感想を書くことにハマってしまい、感想を書くために映画を観る、などという倒錯した動機も半ば冗談、半ば本気で自覚しながら映画館に足を運んでいる。

長文で映画の感想を書いているときに自分が何を考えているのか、というのも感想を複数本書くに従って見えてきたので、備忘がてら書き残してみる。

まずもって重要なのはもちろん「観て面白かったかどうか」なのだけれど、面白いと感じる映画はどういった特徴を持っているのかと分解してみると、あくまで自分の感性においてという但し書きはつくものの、いくつかの共通点があるように感じられる。

創作本でよく言われる「コンセプト」と「テーマ」については、映画についても重要な視点で、鑑賞したあとによく考える。コンセプトは言ってしまえばその映画の「ウリ」で、どんな特徴を持った映画なのかを指す。テーマについては、その映画を通じて伝えたいこと、描き出したい思い、表現したい概念などを指す。こう書いてみると違いがわかりにくいかもしれないけれど「大迫力のカンフーアクションを通じて親子の愛情を描く」という映画があったとしたら、カンフーアクションがコンセプトで親子愛がテーマ、ということになる。

なぜコンセプトとテーマが最初に来るかといえば、それが映画自体に与えられた存在理由であると感じるから。何のために作られた映画なのか、何を表現したくて撮影された作品なのか、という問いは、ストーリーや各シーンの必然性の根拠になる。親子愛がテーマであり、対話の大切さを丁寧に描いてきたのに、クライマックスで生じる問題の解決が無言で行われたら説得力が失われる。単純にいえばそんな話なのだけれど、多くの人々が関わり分業体制となっている映画の場合、テーマがどこかへ行ってしまうケースが散見される。

映画を面白いと思う気持ちは感情由来のものと定義しがちだけれど、その感情を起こさせるためには映画内での説得力・必然性の積み上げを丁寧に行う必要があるし、それは実のところ整然とした論理に立脚するところが大きい。悪い意味で「え?」と思わせる瞬間が増えるほど観客は感情移入から遠い位置に連れていかれてしまう。

それをクリアして初めて、ううむと唸らされる工夫の領域の話になる。テーマをより深く表現するために、対立する二人の人間が実は同じことについて苦しんでいたり、近い立場の人間が全く異なる方法で解決を試みていたり…というような対称性。登場人物の感情の動きを風景の映像で間接的に描写することで共感を強める演出。それらを畳み掛けられると作品にのめり込む度合いは強くなる。

逆にいえば、どんなことを描こうとしているにせよ、その映画が生まれた理由に対して製作者が真摯に向き合っていることが伝わってくれば、そこで描かれている思想が自分にとって承服しがたいものであったとしても、良い映画だったと思えるのだろう。

そしてそこに役者の演技、美術の妙技、編集の力、演出の魔力が加わっていけば何よりパワーを持つ物語表現として結実するのだろうし、そんな映画に出会えることを期待して自分は劇場に足を運ぶのだろう。

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