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男子校は時代遅れ?

※この文章は、2021年6月に書いたものです。




近年、男女平等を推進する社会風潮の中で男子校が時代錯誤であるとして問題視されている。実際、ジェンダーフリーの観点から男子校への入学を危惧して共学校への進学を考える保護者も年々増えているという。

確かに、女子がいない空間で高校生活を過ごすことで、誤ったジェンダー観が構築される恐れがあるという点で見れば、男子校は「時代遅れ」なのかもしれない。そして、その対極に位置する共学校は、男女両方が同じ空間で共に過ごす、いわば男女平等と強く結びついた空間であるように思える。


しかし、共学校がジェンダーフリーと結びついた存在である、という見方は果たして本当に正しいのだろうか。高校生のジェンダー観に関する調査をもとに、この問いに関して考察を進める。


『高校生のジェンダー観と着装行動意識との関連性』によると、高校生としての立場で考えたときには男女平等の志向が高いが、結婚後の家事労働分担について尋ねた調査においては、特に男子校在校生と共学校女子においてジェンダーバイアスに基づいた意識が見られたという。

このことから、男子校在校生は一種の理想としての女性像を求めやすいことが伺えるが、一方で共学校女子がジェンダーバイアスに根付いた意識を持っているという結果から分かるように、共学校においてもジェンダーバイアスが形成される危険性は十分に存在する。

では、なぜ男女両性が存在する学校空間でジェンダーバイアスが形成されてしまうのだろか。


その要因の一つとして、周囲からの女子に対する見方の変化が考えられる。幼少期は周囲の大人から「女の子はお利口だ」と評価されるが、成長するにつれてその評価は一転し、「女の子は能力よりも容姿」といった価値観に晒される。この変化が要因となって、女子はかつてのような勉学に対するモチベーションが削ぎ落とされ、自尊心を失いジェンダーバイアスが根付いてしまうのである。


それに加えて、共学校における男女分業的な文化も要因として考えられる。例えば、男子校の運動部においては用具の管理や準備などは全て部員が管理するが、共学校の運動部ではそういった裏方の仕事は女子マネージャーに一任される。このような男女分業的な構造がきっかけとなって、生徒たちの間でジェンダーバイアスが育まれているのではないだろうか。

このように、一見男女平等と結びついているように見える共学校においても、実際はジェ ンダーバイアスに基づく意識が女子を中心に根付いていることから、共学校において正しいジェンダー観が育まれるという見解は誤りであると言える。

そして、将来の結婚生活を考えたときにジェンダーバイアスを支持する志向が高まったことからも、高校生のジェンダーバ イアスをなくすためにはそのような問題を現在のこととして捉えるのではなく、生徒が社会へ進出した後の「将来の話」としてジェンダー問題について考える機会を積極的に設けるべきである。

また、共学校の運動部で主に見られるような、男女分業的な価値観に基づいた「 伝統」も今後見直していく必要がある。

いずれの高校形態においても、前述したような対策が考えられるが、とりわけ男子校についてはジェンダーバイアスを解消する手段の一つとして共学化が挙げられる。昨今の男女平等社会推進の風潮からか、男子校から共学化する高校も多く存在し、実際1970年台には450近くあった男子校は2017年までに109校まで減少した。

『男女共学化過程の旧男子校と旧女子校における生徒のジェンダー形成』で、旧男子校 (A高校、F高校)が共学化したことによる生徒内のジェンダー観の変容について調査が行われた。

F高校では、男子校の校風そのままに共学化したことで、男子校としての「伝統」 が失われることに対する男子生徒からの反発が多く見られ、そのような男子校特有の文化に女子生徒が同化していく動きが働いたという。

一方、女子生徒の受け入れを意識していたA高校は、女子生徒からの反発こそ無かったものの、F高校と同様に男子校の伝統がそのまま継承された。

これらの事象からもわかるように、安易な共学化はむしろ男子生徒にジェンダーバイアスを再生産させ、さらに新たに入学した女子生徒の中でも異質な男子校の「伝統」を受容することで誤ったジェンダー観が根付いてしまう恐れがあるため、ジェンダーバイアスを解消す る手段として安易に共学化を行うことはあまり有効な策であるとは言えない。


このように、高校生のジェンダーバイアスは男子校においてだけでなく共学校においても根付く恐れは十分にある。これらのバイアスを解消するためには、男子校・共学校ともにジェンダー問題を現在のこととして捉えるだけでなく、将来を見据えた課題として生徒に対して展開するべきである。また、共学校においては部活や学校生活で見られる男女分業的な価値観に基づいた「伝統」を見直していく必要がある。


参考文献

片岡洋子、杉田真衣、渡辺大輔「男女共学化過程の 旧男子校と旧女子校における生徒のジ ェンダー形成」J-STAGEホームページ、2007年(最終閲覧日:2021年6月6日)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/taikaip/66/0/66_KJ00004766259/_pdf/-char/ja


土屋みさと、堀内かおる「高校生のジェンダー観と着装行動意識との関連性」J-STAGEホ ームページ、2008年(最終閲覧日:2021年6月6日)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjahee/51/2/51_KJ00006742252/_pdf/-char/ja


杉浦由美子「『女性に対する偏見を育てる』という批判も...男子校は時代遅れなのか? “御 三家”の校長に聞いてみた」文春オンライン、2020年(最終閲覧日:2021年6月6日)


おおたとしまさ「共学校が男尊女卑を促しかねないという逆説」東洋経済ホームページ 、2018年(最終閲覧日:2021年6月6日)




あとがき

今になって見返してみると、思いの外よく書けてる気がする。構成もそれなりに良い。

ただ、主張を裏付けるデータに説得力がない印象を受ける。周囲からの女子への見方の変化の話はただのネットの記事を参照しただけだし、女子マネ云々の話に至ってはほぼ主観で展開されている。

共学校の友人の話によるとマネージャーは性別によらないケースが多いらしいので、この辺りの主張は説得力が全くないと言って良い。全体的に、自分の論に都合の良い情報をかき集めて無理矢理こじつけているような印象を受ける。

また、結論で示されている解決策が抽象的なのもマイナスポイント。「ジェンダー問題を将来を見据えた課題として捉える」ことが具体的に何を指すのか言及すべきであった。


そんなわけで脆い箇所の目立つ論文ではあったが、提示したテーマ自体はキャッチーで、共学校が適切なジェンダー観を育むとは限らないという主張自体は的を射てる気がする。これがジェンダー問題への関心の入り口になってくれると嬉しい。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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