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アートの世界で生きるために、通信制大学に入学した

Bunkamura Galleryに勤めて、アート業界で生きていきたいと思うようになりました。人に魅力を感じたからです。

私が20代の頃(2000年代のはじめごろです)は、今よりもっと人生に「周囲からの期待」というレールが、明確に存在していました。友人たちも期待に応えて、存分に実力を発揮し、期待のレールに乗っかっていました。けれど、彼らにはなんだかどうも人間味が欠けているように、私には思えていたのです。

一方で、Bunkamura Galleryで出会うアーティストや取引先のギャラリストは、みな人間臭くて、趣味が豊かで、話が面白く、ファッショナブルで美食家。若かった私の目には、ものすごく魅力的に映りました。

文化の薫りのする大人たち。

「そんな人に、私もなりたい。」と、思ってしまったのです(笑)

美学/美術史はアートの世界の基礎知識

そこで、現京都芸術大学の通信教育部に入学し、芸術学を学びはじめました。アートの世界で生き抜くための土台を築くためです。

大学で学ぶ以外にも、私塾に通ったり、自分で本を読んだりして知見を広げることは、いま思えば十分に可能だったと思います。ですが、その頃の私にとっては、大学に通うことしか考えられませんでした。結果的に最高によい選択だったと思います。

ほんとうは高校時代、よしもとばななに憧れていて、日大の芸術学部(文学のほうで)に進学したいと考えていました。ありがちな話ですが、その希望は、「文学は食っていけん」と親に一蹴されて諦めざるを得ませんでした。

私が大学進学にこだわったのは、その恨みもあったのかもしれません。たとえ一度は人に期待される道を選んでも、結局は私は私の道を行く選択をもう一度したというわけです。

もともと、社会学を修めて4年生大学を卒業していたので、学士入学でした。

通信教育でアートの何が学べるのか?

当時の京都芸術大学通信学部は、社会からリタイアした中高年の余裕のある層の学び舎でした。私のような二十代はごく少数派。

結局、4年をかけて芸術学を修めました。

人に、「いま芸術学を通信で学んでいます」と話すと、「通信で何が学べるのか」と呆れられ、その度に随分と腹をたてていたものです。

学びきった身からすれば、通信のほうがずっと質の良い学びを得ることができます。

すべては自分次第な通信教育

まず年度始めに分厚いシラバスが届きます。

卒業要件となる単位数を自分で確認して履修計画を立て、受講する講座を決めたら、その講座の該当ページから課題を調べ、自分でテキストを読んで締め切り日までにレポートを書いて郵送で提出するのです。

自宅で教科書を読むだけではなく、必要があれば、図書館や美術館図書館に足を運び、資料を調べて書いたレポートは、なかなかの力作。

すると、講師が赤ペン先生よろしく点数をつけて感想とアドバイスを記載して返送してくれます。

A判定なら、小躍りしますし、内容が十分ではない場合は遠慮なく「D(不可)」判定が付き、再提出が課されたりします。これが芸術学を通信教育で学ぶ基本フローでした。

学び始めは友人・知人もおらず、シラバスと講師の赤ペン先生だけが頼りの綱。心細い学習環境でした。が、それにより、自分で調べて計画を立て、行動する、自立心がメキメキと育っていきました。

なんでも「いつか誰かが教えてくれる、やってくれる」なんて、期待して待っていても、欲しい学びは永遠に得られないからです。

のちにフリーランスとして自宅で仕事をするようになった頃、「自宅環境で仕事できるの?」と、周囲の人に不思議がられたものですが、実はこの通信教育で鍛えられた側面が役に立っていたのかもしれません。

芸術学の学びは本当に楽しく、面白く、まだまだその様子を紹介したく、次の稿でも、通信で芸術学を学んだ実感について話をさせてください。


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