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《うれしげ》小泉綾子

1

私の身体はメルカリでよく売れた。

チェキで撮った顔写真が六百円、肩のタトゥーが見えるタイプが千円、胸のタトゥーなら千五百円で、サイン入りはプラス三百円。

タトゥーを入れる勇気のない子、私の生き方に憧れる子、彰人の女だから憧れる子。そういう子たちが写真を喜んで買ってくれた。

けんかがヒートアップすると彰人は私を殴る。私もきれて殴り返す。
手あたり次第ものを壊す。

何度も投げるからスマホの液晶はひび割れていたし、
ターンテーブルなんかレコードを買う前に壊してしまったし、
誕生日にあげた焼酎グラスは彰人の趣味じゃなかったようで、微妙な空気が流れたからむかついて、あげて一分も経たないうちに床に叩きつけ粉々に割った。

彰人は無表情で、私の耳たぶを掴んで引っ張り頭を床に押し付ける。
私は薄ら笑いを浮かべながら、すねと腰を蹴る。
私がどんなに暴れても彰人は崩れない。
怒鳴ったり顔を歪ませたりするのを見たことがない。
醒めた顔をして私を見るから、本心が全然わからない。

さむいケンカが終わると私は一人でトイレにこもり、
怒りに燃え目に涙をにじませながら、殴られて赤くなったところを写真に撮りツイッターに載せる。
そうするとみんなが喜ぶことを私は知っているから。

「最悪大嫌い、もう別れる」。

そう書き込んで、だけどこの怒りは半日もすればどこかへ消えてしまうこともわかっている。

なぜなら怒りは次から次へ、尽きることなく生まれてくるから。

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2

ユナの生き方は切ない。

私よりも年下の、中学生くらいの子がそう呟いているのを見る。

なんだか危うくて、痛々しいんだよね。全力で生きてるってかんじ。そこに憧れるんだけど。

ユナ様最高。美しくて尊い。

彰人とユナは最強のカップル。傷つけあって、かっこいい。私もそんなふうに生きられたらいいのに。
ユナと彰人は永遠に幸せでいてほしいよね。そう思う人はリツイート。

そう言ってファンの子たちが私の写真を買ってくれる。写真をもとに絵を描き、優しい言葉を添えてアップしてくれる。

申し訳ないと思いながら、ゴミみたいなボロい私物も売って、月に五、六万稼いだけど、それだけじゃ全然足りない。

同じようなことをして、露出高めの写真を売った結果アカウント停止になった子を知っているから、これ以上の露出は無理だな。そうぼやくと、

「ここのタトゥーなら二千円でいけんじゃね?」

と、彰人がパンツを脱がしてきて、流れで冷蔵庫の前でセックスした。

隣の部屋には彰人の友達の篠田が来ていて、最近彰人は篠田がいる時しかやってくれない。
私はそれをわかっていて、篠田に聞こえるようにばかみたいに喘ぎ、同時にむなしくなる。

だけどそれでもいい。

だって彰人のことが好きだから。

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3

初めて彰人の部屋で吐いた時、たったの一回でトイレを詰まらせてしまったから、あの部屋ではもう吐けない。あれは焦った。

吐ききって体力消耗しているのに、彰人がバイトから帰ってくる前までに元通りにしなきゃと、慌ててホームセンターまでポンプを買いに走ったのだった。

太るから食べたくないだけ。
一六八センチで四十キロより痩せられないくせに拒食症? 
まさか。
そんなこと恥ずかしくて言えるわけがない。

いつも頭がふらふらする。立ち上がるのに時間がかかる。

一日は長く、目覚めた瞬間から眠るまでずっと食欲との闘いだった。
これは修行なのだ。
我慢すればするほどきっといいことが待っている。
私がこの程度の完成度なのは、まだまだ修行が足りないからだ。

空腹に負けそうになると、鏡で自分の姿を見ながら輪郭を指でなぞった。
どの角度から見ても自分の記憶通りであることを確かめるためだ。

あごのライン、鎖骨の形、二の腕の太さ。大丈夫、まだ許容範囲。
それから大好きなタトゥー。太陽も月も、小さなバラもマリア様の瞳も、女王蜂の「鉄壁」の歌詞も私だけのもの。
全部思い通りの形でここに収まって、私のことを守ってくれている。

だけど我慢するほど食欲は爆発する。
食べてしまったら、全部吐きだすまでが私の食事だった。

一週間か十日に一度の、コンビニでの爆買い。
コンビニ袋を両手で持ち、帰り道をたどる時からすでに正気を失っている。
すれ違う人にぶつかりながら、この食べ物を早く全部身体に詰め込みたいと、それしか考えることができない。

 部屋に着くなり十五分で完食のち嘔吐、疲れきってベッドに倒れ一日を終えた。
翌日目を覚まし、吐きまくったせいでむくんだ顔で部屋を見渡して、食べ散らかした袋や容器の多さに驚き絶望する。

菓子パン八個、カップラーメン五個、冷凍パスタ二袋、たこ焼き、プリン、アイス、肉まん、おにぎり一〇個ってまじで? 
なんだこれ。
ねえこれ、私一人で全部食べちゃったの? 
炭水化物は一生禁止って言ったよね? 
寝てる間にフードファイターが家に来たとか、そういうのじゃないよね? 
ユナまじ、なにやってんの。
どうしたらこんなふうなっちゃうの? 
てか大丈夫かな。きちんと胃の中のもの全部吐いたよね?

分別なんかせず、コンビニ袋に昨日の残骸を全部ぶち込んでごみ箱に捨て痕跡を消す。

そしてもう二度とこんなことはしない、私は食べ物なんか死んでも食べない今度こそ絶対と、自分に誓う。


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4

彰人と知り合ったのは下北沢駅から五分坂を下った先の、沖縄料理の店だった。

知り合いのライブの打ち上げに誘われ一服して遅れて入ると、すでに二十人ほどが三つのグループに分かれ、騒いでいた。
すだれで仕切られた畳の個室は薄暗く、店員の顔も、オリオンビールのポスターも、よく見えなかった。

私の横にぴたりと張り付き、芸人の深夜ラジオの話を一人三役で延々と再現してくる男がやっとトイレに行ったので、
通路側に移動し、薄いさんぴん茶割りを飲んで頭の中の余計な情報をリセットしていると、突然頭をぽんぽんと触られた。

「君ってさあ、なんかすげえかわいそうだよね」
見上げると彼はそう言った。

「は? 誰あんた」
私は頭を振って手を払った。

彼の顔を見上げる。
本当は彼を知っている。
最近、彼のバンドのことをみんなが話しているから。

ナインシティというバンドのボーカルの彰人。
ナインシティは、「夜が似合うバンド」と評され、音楽オタクたちにファンが多く、ラジオ局が選んだネクストブレイクアーティストで一位になったらしい。

たしかに今日のイベントでもトリだったし、座敷に通された時から彰人の存在は際立っていた。

くせのないさっぱりした顔。
笑うと女の子のように表情が一気に柔らかくなり、その場の空気が一瞬で華やぐ。
誰といたって彼一人だけ輝いて見えた。

本当はずっと彼が気になっていた。
私だけじゃなくて、きっとみんながそう。

だけどそんな気配は全く出さず、近くにいるまじでどうでもいいやつと、盛り上がったふりをしながら話しつつ、彼に声をかけられるのを待っていた。まさに、この瞬間だった。

「わーい! やっと彰人がこっちに来たー! 私も彰人と話すー」

誰の知り合いかはわからないが、よく打ち上げで顔を合わせる、高円寺の古着屋で働いているらしい女が割り込んできた。
綿菓子のような甘い匂いが強くする。

「俺はこの子と話すから、おばさんはあっちに行っていいよ」

彰人は笑いながらその女を押しのけ、私に話しかけてくる。
二十代後半に見えるのに、おばさんなんて言われてかわいそうだな、と思って女を見るが、酔いが回っているのかさほど気にしていない様子で、

「ひどーい! まだおばさんじゃないもーん」
と笑ったまま、漂うクラゲのように席を離れて行った。

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5

「ねえそのタトゥー、何個あんの、それ」
「十五くらい。途中から数えてない」

最近入れたばかりの、右小指の外側に入れた細い矢の絵が見えるよう、
さりげなく前髪を触る。

「君は有名人かなにかなの? すげえ美人だよね」
そう言われ、「私? 別に。ただの一般人だよ」と首を振る。

「さっきそこで話してたらさあ、君のフォロワーだっていう子がいたよ。君、ユナ様って言うんでしょ。様付けで呼ばれる人と初めて会ったわ」

肩が触れ、その拍子に彼の顔をちらっと見るが、気にしていない様子なので強気に目をそらす。
やばい、何かペースみだされてる、と慌てて気持ちを立て直そうとするけど、彼はもう一度私にくっついてきて、手の甲を見せた。

「俺もここに入れたんだけどさあ。ほら見える?
こんな小さいのに、親にばれてめっちゃ怒られた。うちの親教師だからさぁ、そういうの色々厳しくてね」
「そうなんだ。でもうち、親も入れてるから」
 へえ、と彰人はふいに冷静に私の顔を見た。

「でも母親に、男の名前だけは入れるなって言われてる」
 そう言うと、あはは、すげえ立派な親じゃん、と彰人は笑った。

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最初に入れたのはLOVEという文字。
いつも指名して切ってもらっている仲良しの美容師の、双子の兄がやっているという、タトゥースタジオで入れてもらった。

二卵性だしあっちは男だから、全然似てないよと言われていたが、スタジオで会ってみるとやはり仕草や後姿はよく似ていて、少し喋っただけで、すでに二人は私に関する情報を不思議な力で共有しているように思えた。

候補はいくつかあったが絞り切れず、だけど今すぐ入れてほしくてLOVEにした。

身体に入った文字を保護フィルムの上から指でなぞり、私はうっとりとその形を眺めた。
少しの痛みを我慢するだけで、自分の身体を思い通りにできたことが嬉しかった。

それまで身体というものは、私に反抗し続ける敵でしかなかった。
私を困らせ、命令を聞かず勝手に太ったり欲したり、熱を持って暴走した。だけど私は今この瞬間、敵を服従させられたのだ。
あんたのボスはこの私なんだよ。わかったか。
わかったならおとなしくしてろ。
 
「これは?」
と、バンドマンの彼が二の腕を指さす。

「これは最近いれた。女王蜂の『鉄壁』の歌詞を、英語に直して入れてたの」

女王蜂のアヴちゃんを見ていると、自分の容姿も生きざまも醜く思えて、生きているのが苦しくなる。

彼女はどうしてこんなに完璧なの?
どうしてこんなにも強くて、まっすぐ怒りをぶつけていて、何も恐れずに堂々と立っていられるの?

ステージ上の彼女の美しさやパフォーマンスは圧倒的で、感動や興奮を通り越して、私を激しく傷つけた。

眩しすぎて、もう観ているのが辛いのに、目が離せない。
好きという気持ちが、得体のしれない激しい憎しみに変わりそうで、そんな自分が怖い。

だけど、そんな神々しいアヴちゃんが書いた詩は、私にも寄り添ってくれる。なんでアヴちゃんが私なんかの気持ちをわかってくれるのだろう。同じように眠れない夜を過ごしたりしたのかな。

共感できるフレーズを見つけると、それは私のためだけに歌ってくれているような気がして嬉しかった。

曲を聴いている一瞬だけでなく、もっとしっかり私のものにしたかった。彼女のきらめきを、いつも見えるところに残しておきたかったのだ。

「女王蜂? 好きなんだ。あのバンドださくね?」

そう言って笑う彼を私は無言でにらむ。

女王蜂のライブとさっきのあんたたちのしょぼいライブじゃ、オリンピックの開会式と、町内会ののど自慢くらいの差があるだろ。ばーか。
さっきのライブのしょぼさを、今ここでコケにしてやろうかと、頭の中で言葉を集めていると、

「ごめんごめん、嘘」
と、彼は笑って謝った。

「で、これ何て書いてあるの?」
「奪われるのには疲れた・・・・・・」
私はゆっくり答える。

「ふーん。この平和な日本で何を奪われたわけ? わかった、処女?」
ぎゃははと笑い、シルバーリングをはめた人差し指で二の腕の外側の文字をなぞろうとしたので、とっさによける。

「ねえ、さっきから何なの? 失礼だしうざいよね。あんた酔ってんの?」
「はぁ? まだまだ。九州男児は酒にめちゃくちゃ強いんで」

「へー、九州から来たんだ」
「そう。『君たち天才だ』って偉い人におだてられてさ、ノリで上京しちゃったんだよね。あ、そうだ。ユナ様の身体に、うちのバンドの歌詞も入れない? いい宣伝になるかも」

「ふざけんなよ、いやに決まってるじゃん」
「何で?」

「さっきライブ見てたけどさ、おしゃれなだけじゃん。フロアも結構さめてたよ」
 鼻で笑い、さっきの仕返しとばかりに私はけなした。

「うわ、辛辣! でも率直な感想はありがたいよね」
ネットには書かないでくれる? と、彰人は笑った。

笑うとキュッと目が細くなり、左側だけ八重歯になっているのが見えて、子供みたいでかわいいと思った。
保育園の時に似たような男の子がいた気がする。
一つ上のお姉ちゃんにべったりくっついて、よくお漏らしをして怒られていた子だ。
知らない子に話かけられただけで、すぐに泣いちゃう子。

「でも君さ、テーブルの上の食いもんをじっと見て、貧しい国の子供みたいだったぞ」
 ほら、と誰が使ったわからない割りばしで唐揚げをつまみ、私の口の前に差し出した。

「やめてよ、汚い」
「なんで」
「だってそれ、誰かの食べ残しじゃん。いらない」

食べるときは自分のタイミングで食べたかった。
そうでないと、身体がおかしくなる。
いつも負荷をかけているせいかもしれない。
頭痛がしたり、立ち上がれないほどめまいがしたりする。
それ以前に、唐揚げなんて超高カロリーで、食べちゃいけないリストの最上位にある危険な食べ物だ。だから私は強く拒んだ。

「汚くないって。最後の一個だから気を遣って残してるんだよ。俺食っちゃうよ?」
「勝手に食えよ」
「ほらー、意地張らないでさぁ」
「いらない」

なんで? いいから。
押し問答になる。
食べ物のことで人目を引きたくない。

ユナってさあ、全然食べない割に超デブじゃね? 
なんか変だよね。

誰もいないところではめちゃくちゃ食ってたりして。
そんなふうに陰でみんなに言われている気がするから。

「食わないのは、何かの病気?」
しつこいなあ、お願いだからもうほっといて。小声で答えると、
「じゃあ食いたいもんは食おう。な? 俺が食わせてあげる。ほら、あーん。人生は短いんだからさ」

彰人は強引に唐揚げを食べさせようとする。

なんなのこれ。

誰かにからかわれているのかもしれないと、辺りを窺う。
イケメンにかまってもらって照れるユナを見てやろうぜ、という魂胆なのかも。
だけど座敷をぐるりと見渡しても誰も見ている気配はないので、仕方なく口を開け、至近距離で彼をにらみながら唐揚げを頬張る。

「な、うまいだろ。知ってた? 唐揚げは全人類を幸せにすんの」
(続く)
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