「狭間」は儚く美しい。
枕草子では「秋は夕暮れ」「冬はつとめて(早朝)」が素敵だと書かれているが、清少納言は、今と同じ夕暮れを見ていたのだろうか。
私は休職してから2年、基本的に16時に保育園のお迎えをしているので、16時台は外にいることが多い。
私はこの時間の空の、変わりゆくグラデーションをこころの底から愛している。
毎日決まった時間に家を出るので、季節の流れにより日の長さが変わることも実感できる。
グラデーションになる時間が、だんだん早くなり、そしてまだまだ寒いけど今はもう結構遅くなってきている。
日が伸びたってことだ。冬至はとっくに過ぎたから。なんならもう立春なんだって。(🐻さん情報)
うつで休んで半年の頃なんかは、家に帰りたがらない息子をそのまま公園に連れて行き、私はよく空を眺めていた。
快晴であまりに美しい空色の日は、息子とともに立ち止まって空を見上げた。
ひとけの少ない道。数少ない通行人がちらほら通り過ぎていく。
この時間の、16時台の夕暮れの美しさを、現代人はどれくらい知っているのだろう。
毎日こんなに心惹かれる美しい空があるのに、空を見上げる時間がある人はどれくらいいるのだろう。
なんでこんなに美しいと思うのだろう。
昼と夜の狭間だから?
うつりゆく、変わりゆく瞬間に惹かれる?
子どもから大人に変わる思春期の頃なんかは、創作の主人公に多いし、狭間の美しさや変わりゆく美しさというのは間違いなくある。
子どもがまどろみ、眠りにつく瞬間も美しい。まぶたがゆっくり、開いたり閉じたりしてまつげが揺らぎ、そして静かに動きを止める。
大人にだって、狭間の美しさがあってもいいよね。
私と同じ30代女性であれば、結婚か、家庭か仕事か、転職か、妊娠出産か、何かにつけて「私このままでいいの?」タイムがある。
年代問わず、誰にでもあるのではなかろうか。
その迷い悩み、揺れ惑うことは、渦中にいると別に美しいともなんとも感じないが、もしかするとそれは人間が人間たる輝きを放っている瞬間なのかもしれない。
はざまのときこそ、いとをかし。
それでは。
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