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10年ひと昔

春めいてきて
思い切り春になって
あっという間に春真っ盛り。

季節の移り変わりってやつは
いつだってすっきりさっぱり潔いし
少しセンチメンタルになったりするけれど
春だけはなんか違う。

春が来るのはとても待ち遠しいし
春だけはとてもわくわくする。

今年は特にそう思うのかもしれない。

わたしが社会人になって
まるっと10年経ったのだ。

ちょうど10年前の春の日を思い返す。
希望に胸膨らんでいた…かな?
不安に押しつぶされそうだった…かな?

案外ぼんやりとしているけれど
憧れの東京に出てきて
わくわくしていたのは確かだ。
出てきた途端に花粉症が酷くなって
ずいぶん辛かったのも確かだ。

わたしは九州の端っこの南国
いわゆる田舎で育った。
田舎といってもその周辺では
わりと賑やかな地域で若い人も多く
比較的大きな街だった。
そんなに不自由ないところだったはずだが
わたしはその街がそんなに好きではなかった。

元々、両親は2人とも
都会で育った人たちだった。
親戚もみんなその近辺にいた。
幼い頃は1年の3分の1くらいを
祖父母のところで過ごしていた。

そんな環境だったので
自分の生まれ育った街に対して
特別に「ふるさと」という認識もなく
いつもどこか居心地の悪さを感じていた。

わたしにとっては
両親の生まれ故郷の方がずいぶん楽しかった。
祖父母もいたし従姉妹もいたし
都会のキラキラがただただ眩しかった。

それに比べてわたしの街は…

こうしてわたしの田舎コンプレックスは
見事に完成されたわけだ。

父親の転勤の関係で県内を転々としていて
移動が多かったこともあるかもしれない。
自分のルーツやふるさとというものが
かなりぼんやりしていたのかもしれない。

そうしていつもこの街は
自分の居場所じゃないと思っていたし
とにかく早くこの街を出たいと
ひたすらそう思いながら過ごしていた。

念願叶ってようやく街を出たのは18歳。
学生時代を関西で過ごして
就職を機に、やっと東京に出てきた。

そして10年、踏ん張ってきたわけだ。
ここまでよくがんばった。

自分ひとりでここまできたわけじゃない。
両親はいつでもどんな時も
わたしの希望を尊重してくれたし
わたしのことを応援してくれた。

でもこの春だけは
自分を思い切り褒めてやりたい。
10年ふんばってきたことにも
そしてこのタイミングで
また新しく一歩を踏み出す勇気にも
すごいね、と言って祝福してやりたい。

先日の帰省で母に言われた。
「あんたは都会が好きだからねえ。
ここに帰ってくるつもりはないんでしょう。」
少し寂しそうな横顔だった。

親不孝で悪いなあと思いながらも
わたしはやっぱりまだ諦められない。
東京で自分の居場所を見つけることを。

あんなに憧れていた東京に
10年暮らしてみたけれど
いまだにしっくりこないし
こうして居場所を探しているくらい
手探りの状態で一向に落ち着かない。

東京はなんでも受け入れてくれる。

でもその自由さが逆に不自由というか
厳しいと感じることも多々ある。
自由だけども厳しいなかで
みんな一生懸命に戦っている。
だから基本的に自分のことで精一杯だ。
あまり自分以外の人には興味がない。
そういう厳しさには
何度か打ちのめされた。
背筋が凍るような思いもした。

都会の人は冷たい、ていうけれど
まあそうだと思う。
田舎の人間からすると
冷たいというより他人に厳しい。

でもわたしはそのなかで10年
できる限りのことを
精一杯やってきたつもりだ。

これからどんどん
いろんなことが変わって
どこにいてもなんでもできる
「場所」に捉われない生き方ができる
そんな新しい世界になるのかもしれない。

でも、東京はわたしの夢だったから。
もう少しここにいたいなと思う。

ここまでよくがんばった。
わたしは夢をひとつ、叶えたんだ。


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