おことばですが。

「草生える」をネット上で使い始めた人はすごいなと思う。

(笑)→ 笑 → ww → wwwwwww → 草生える → 草

これ考えた人すごいなと。今は林や森もあるとかなんとか。その一方で、僕の先生たちの世代や、母親とのやりとりでは、カタカナの使い方がとても興味深い。「ネ!」とか、「アッ!」とか。感嘆詞やカタカナにすることで平らな文面に強弱をつけている。草が大草原になるとか、森になるとかの規模じゃなくて、凸凹で表現されているような。

ただこれは自ら文字を打つからそうできるのであって、聞き手が編集する場合は【笑】とか。【「〜ですけどね」と笑いながら話す】とかになるのだろう。そう考えると最近は日本語としてのカタカナではなく共通言語としてのカタカナが増えたのかな。外来語を無理に翻訳するのではなくそのまま用いるという意味で。

でも、ブランドを立ち上げるときとかはカタカナを使う人も多い気がするのはその言葉に複数の意味を込めるからなんだろう。ブランドも無理やり訳するなら「商標」とか、意訳するなら「象徴」とか「概念」「自我」とか?



そんなこんなですが、この仕事(染織業)をはじめて、言葉の意味を考える機会が増えたように思う。

手仕事に用いられる言葉は、現在使われている用途の前の、本来の意味を持っているなと感じていて、それはそれは、勉強になる。例えば


組織:織物の柄を出すための経糸と緯糸の構成「組織どうする〜?」とか「これは飛び花やから組織変わりますね〜」とか。糸の通し方、踏む足との組み合わせ方によって模様が変わる。

ヨリを戻す:糸が捻れるのを「ヨリがかかる」と言うので、その捻れを直すときに「ヨリを戻す」と言う。拗れた関係にある人は捻れた糸をしっかり見直して丁寧に解きほぐすといいのかも。原因がわかる。ちなみに「ヨリをかける」作業もあります。撚糸と言います。

あとは、ツムギとかつむぐとかの言葉は柔らかいし素敵な表現だと思うけど、糸を紡ぐ現場とかはもっと見てもらわないといけないなぁとか。僕自身もここに来るまで知らなかったし。「織りなす」って表現も「編む」とはちょっと違うし、言葉の元々の意味を理解するって大事なことだなぁと思うようになってきた。

言葉がいっぱいあって、素敵な表現もたくさんあるけど、中身を知らずに綺麗な表現ばかりを使うことはしないようにしていきたいなと。

僕自身は自分のことで頭がいっぱいになって相手が見えなくなることが多いので、相手があっての自分だということ、相手がいるからさせてもらえることの意味を心に留めておかなければいけないなと思っています。

肩の力を抜いて、心を整え、自分をコントロールして、相手と向き合う。

私への、おことばです。

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こないだ高千穂でこんなほん、と。出会ってきた。ありがとうございます。



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