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はじめましての自己紹介と仕事紹介

はじめまして、ヘッドピースデザイナーのヒシカワ アユコと申します。

はじめましてと共に自己紹介と仕事紹介、この仕事に出会うまでについて書きたいと思う。私自身と、私の仕事について少しでも皆さんに知ってもらえたら嬉しい。

現在私はNYと東京を拠点に、ヘッドピース/アクセサリーデザイナーとして活動している。(HPはこちらhttps://www.ayukohishikawa.com/)

NYに来て早7年。というとアーティスティックで聞こえは良いが、きっかけは夫の転勤についてきただけだ。

しかし、移住前からNYには縁があった。とはいえまさか、人生でこんなに長く、30代という人生の割と波の大きい世代を、この場所で生活する事になるとは、全く予想も計画もしていなかった。

MILLINERという仕事

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私の仕事は、日本語では分かりやすく「ヘッドピースデザイナー」や「ハットデザイナー」と言う事が多いが、英語ではMilliner(ミリナー)という職業である。訳すと「婦人帽子職人」という職業だ。

歴史は長く、18世紀のヨーロッパで栄えた婦人帽子。映画'マイ・フェア・レディ'でオードリーヘプバーンが冠っているようなツバが大きい帽子をイメージしてもらえると分かりやすいかもしれない。流行や時代の変化で形を変えながら、クラシックな物から今ではレディガガ等アーティストの頭を飾る奇抜なデザインの物まで、様々なデザインや素材の物がある。

色々な定義はあるのかもしれないが、細かい事は気にせず要は頭に乗れば何でもいいと私は思っている。笑

そもそもMillinerなんて単語は聞いた事も無かった私が、どうこの仕事に出会ったのか。

今の仕事に出会う前の人生迷走期

この仕事に出会うだいぶ前、アメリカテキサス州の大学で建築学を学んでいた。卒業後、迷った末日本に帰り、東京のゼネコン系企業に就職した。設計志望だったがなぜか柄でもないスーツを着て、営業職をしていた。周りからは向いていると言われたが、私は仕事が嫌すぎて外回りに出ては駅のホームで泣きながら親に電話していた(情けない笑) 。テキサスの大自然の中のびのび学生生活を送っていた私は、こうしてすぐに逆カルチャーショックと東京の社会の荒波に打ち砕かれ、1年もしないで辞めた。

まだ設計をしたいという希望を持っていた私は、大手では無く個人のインテリア事務所に転職した。設計とは言えないがパソコンで図面を書く仕事は確かにできた。が、今度は完全ブラックで劣悪な労働環境の中、湿疹や謎の鼻血が出てきて限界を感じ始める。そして私が創りたいものはパソコンの中の図面ではない!となめ腐った考えで、また一年で辞めた。

今思えば完全に若気の至りというか、社会をなめていた。そして忍耐力がみじんも無かった。満員電車に毎日揺られる事すら耐えられなかった。


こうして私は25歳でプータローとなり、塾講師等で食いつなぎながら私が本当に創りたいものは何なのか、を探す迷走クリエイターの旅を始めた。

そして運良く且つ勢いで、26歳で結婚してプータロー主婦クリエイターとなった。

運命のMillinerという職業との出会い

結婚後も迷走期は変わらず、とりあえず片っ端から興味があった色々な物に手を出した。

・イラスト/ロゴ制作

・水墨画(区民センターでおじいちゃん達と渋い絵を習った笑)

・写真

・粘土(で謎な物体を創る)

・アナログで描く絵

・フラワーアレンジメント

・プリザーブドフラワー  等々

当時流行り始めていた、ハンドメイドのアクセサリーにも手を出し、販売を始めてみた。売れない訳ではないけど、何かが違う。もっと素敵なアクセサリーがたくさん売っているし、私のは・・やはりいまいち。

そして誰でも創れる様なこのアクセサリー・・果たして私が創って売る意味があるのか。私にしか創れないものは無いのか?そしてなんだか小さいし物足りない。

今となれば、自分にしか創れないものなんか、人間国宝とかで無い限りこの世にはほぼ無いと思っている。でもその時の私は、まだ自分にしか創れないものがあるのでは、と探求していた。

そんな時、何をきっかけにかは忘れてしまったが(恐らくヘッドドレス系の事を調べていた)、ネットである海外のハットデザイナーの作品が目に留まった。

Anya CaliendoというNYのハットデザイナー、Milliner(ミリナー)であった。https://anyacaliendo.com/

私はその作品に釘付けになった。な..なんだこの美しい物は。美しい。素敵すぎる!その時始めてmillineryという単語も職業も知った。

まるで美しい一つの物語を頭に乗せている感じ。私もこんな物を創れるようになりたい!

Anyaのサイトを見ると、millinery classの文字が。どうやら有料で帽子制作のクラスを開いている様だった。奮い立った私は、早速メールにて問い合わせた。

はっきりは覚えていないが、「日本から来た日本人でも習えますか?」と言った様な内容だったと思う。

「今まで日本人の生徒はいないけど、もちろんokよ。」との返事。

しかしそのクラスはもちろんNYにて1ヶ月。授業料に加え、1ヶ月滞在する必要がある。ホテルは高すぎて無理だ。

また問い合わせた所、近くにホームステイ出来る家があるという事で、紹介してもらい、私はNYに1ヶ月、修行の旅に出る事にした。

その時29歳。30歳になる直前で、迷走に迷走を重ね、ようやく私は、私が創りたいものはこれかもしれない、と思うものに出会えたのだ。

ここから私のMillinerとしての修行が始まった。

旅行では学生時代に訪れた事があったNYだが、長期での滞在はその修行が始めてだった。その時は、まさか数年後にNYに7年も住む事になるとは、夢にも思っていなかった。

怒濤の初修行の1ヶ月と、NYに移住後の約7年の話は、これから追って書いて行こうと思う。

長文を読んで頂き、ありがとうございました!





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