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真っ赤な噓

突然だが、私はSixTONESの曲の中でも、
髙地優吾と松村北斗、通称ゆごほくのユニット曲「真っ赤な嘘」への思い入れが非常に強い。
真っ赤な噓芸人が開催されるとしたら、真っ先に立候補したいくらい大好きな曲だ。

SixTONESを好きになるきっかけとなった映像であり、初めて買った関連アイテムでもある「Feel da CITY」ツアーのDVD本編の中で、一番心をグッと掴んで離さなかったのが、真っ赤な噓の松村北斗だった。
それまでのステージでは、荒々しいパフォーマンスと表情で客席を煽っていた彼が、少しゆったりめの白ロングパーカーを身に纏い、クリアサングラスで登場した時、その表情の変わりように衝撃を受けた。
同一人物だよね……?そう疑ってしまうくらいに別人だった。
繊細で脆い殻に覆われた彼の視線が、歌詞以上の言葉を見ているこちら側へ伝えてくる。
どこかすべてを諦めたように憂鬱で、反面、形のない何かに縋ろうともがいているようにも見える情緒がちぐはぐな男の姿だった。
曲中で感情を表現する彼の手のなんと美しいことか。
「上手く笑えず身を知る雨が」と指先で無理やり笑顔を作ろうとする健気さが切なく、
「花びら落ちてく気がするの」の身体のゆらぎに、こんな表現が出来るアイドルが居るんだと鳥肌が立った。
そして、ユニット相手の髙地との対比も凄く良かった。
陰の北斗に比べると、彼は圧倒的な陽だ。
曲のパートでも、二人の現在を肯定するような歌詞を担当している。
ステージの上で世界観に没入する北斗と、世界観に飲み込まれすぎない髙地。
対照的な二人が「真っ赤な噓」という曲に、ぴったりと一致していた。
さて、ここからは歌詞の超解釈。
私にとっての「真っ赤な噓」は、偽りの愛の物語である。
「正しい愛を掴んでいる」そう言う時点で、既にその指先からするすると大切なものが零れ落ちていっていることに気づかぬふりをしているだけだ。
ここをあの髙地が歌っているというのも、凄くいい。
自分は大丈夫、上手くやれている、そう言い聞かせているだけで、相手のことなど何一つ見えてはいない。
しかし、もう一方は、ずっと前からその綻びに気付いている。
破綻した関係、とっくに互いの相手への想いは薄れていることに。
「カタルシス感じない」って相当な表現だ。そしてその表現が、北斗によく似合っている。
自分からは、言えない。失うことが怖いから。
怖いと思う根源は?繋ぎ止めているのは情?意地?
愛だったらいい、愛だと信じたい。
その反面、二人の間に起こる事象は、どうせ飽きられる演出だと諦めてもいる。
関係を長く続けてきたがゆえの「曖昧」を「愛」と捉えるか、「惰性」と捉えるか、根本的な考え方が違う二人。
このジレンマに苦しめられ続けて、二人は、最終的に分かり合うことができるのかというと、否だろう。
季節が巡り花弁が落ちていくように、彼らの関係もいつか散ってゆく。
決して永遠ではないと突きつけられる。
だからこそ、より一層この楽曲を美しく儚く感じるのかもしれない。

破綻した愛の物語とみるか、新しい愛の形を歩み始めた二人とみるか、きっと人それぞれで正解なんてないけれど、私は前者が好きです。

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