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写真フォルダ

ふとした瞬間に、

あ、ここ、誰々と行ったなぁ

忘れかけてた記憶を急に思い出して、

そういえば、写真撮ったような、、と思って、
携帯の写真フォルダを見返した。

ここら辺だったような。
あれ、もっと前だっけかな。

なんて具合でフォルダを漁り散らかしていたら、

あ〜笑
こんな時もあったなぁ笑笑

と、昔を思い出す。

楽しかったなぁって。

別に今が楽しくないわけではない。
だからといって、特別楽しいわけでもない。

別に病んでるわけでもないと思う。
疲れてはいるかもしれない。

そうか、もう戻れないし、
もう一度もないんだ。

そう思ったら、無性に、寂しいというか、
悲しいというか、切ないというか。
そんな気持ちになっている満員電車は、
いつもよりも更に億劫だった。


1.環境と表情

人それぞれにターニングポイントは必ずあると思っていて、
それは受動的であろうが、主体的だあろうが、
大きさの大小に関わらずあると思う。

私の場合は、意図してターニングポイントを作った。

サラリーマンを辞めて、フリーターになり、
モデルを目指すということ。

海外にも行ったし、ショーも歩いて、
それなりの数の撮影もしている。
まだ売れっ子では全然ないけど。

周りの人間の大切さを知った。
応援してくれる人、変わらず接してくれる人、
新しく私を知って、付き合ってくれる人。

あの頃の写真を見返したら、
私はまるで別人で、眉毛もあれば髪の毛もあって、
何だか表情までも違う気がした。

人間性までは変わらないというか、変えたくないつもりだったのに、
人がその時、身を置く環境は、表情を変えるのかもしれない。

昔の自分と今の自分。
同じ人間なのに、今の私は、少しだけ昔が羨ましい。
隣の芝生は青く見えている。
同一人物だというのに。

不思議だなぁ
きっと昔の私が、今の私の状況を知ったら、
羨ましがるだろうな。

記憶と情報を持ったまま、私は来世に来てしまったみたいだ。

サラリーマンの時の私。
今の私。

一応、楽しそうではある。
というか、吹っ切れた感すらある。


2.昔への羨望

何で昔が羨ましいかって、考えてみた。

でも意外と簡単で、答えはすぐに出てきた。

きっと、今持っていないものを持っていて、
この生活にマンネリしてきたんだろうな、
ってこと。

今が満ち足りていないということ。

そしてあの時は満ち足りていたと錯覚していること。

他者への羨望ではなく、自己への羨望。

だけどあの頃に戻れたとして、
やっぱり今に戻りたくもなって、、、
そんな自分が想像できるから、
この思考はメビウスの輪なんだろうなと思う。

あの頃には戻れないからこそ、今羨ましがっていて、
すぐ戻れて、行き来できるなら、
羨ましがってすらいないかもしれない。

人というのは、わがままである。


3.今と経過

できればモデルだけで生活してみたいし、
できれば友人や家族と近くに住みたい。
できれば毎日お酒を飲みたいし、
できればもっと人を愛したい。

この生活が続いて、気がつけば、2度目の桜が咲こうとしていた。

ついこの間、サラリーマンを辞めた気がするのに、
もう1年半も経っている。

私は、自分では気が付かないほどゆるりと、
人格が変わってしまっているのかもしれない。

もはや昔の自分がどうとかは思い出せない。

ただ、変わらず付き合ってくれる人がいるから、
きっとまだ大きくは変わらずにいるのかな、と思う。

東京の電車にも慣れた。
狭い我が家にも。

2、3ヶ月、それ以上に1回しか家族や友人と合わないことにも慣れてきた。

今週は、はやかったなぁ、とか、
今週は何だか遅く感じたとか、
1週間単位で生き延びることにも慣れて、
その積み重ねが4回で1ヶ月であって、
もう3月も終わってしまう。

だいぶ先だと思っていた目標や行事も過去になっていって、
また一層、写真が増えた。

自分の写真フォルダを遡った時、
こんなにも昔だったか?と思って驚く。

ただ、そのそれぞれを鮮明に覚えていたり、
全く覚えていなかったりで、
やはり私は、時を積み重ねていたんだと気がつく。

1日は1日でしかなくて、それが7回で1週間。

当たり前で、当然の認識。
理論的な答えと、感情的な答えは違う。

もっと大切に生きなきゃいけない。
って思うけども、なぜだかそんなに頑張れない。

ただ毎日を浪費してしまっている。

最初の頃はしんどかったし、辛かった。
けれどもその温度には慣れてしまって、
今はぬるいくらいに感じる。

やらなきゃなぁ!やるぞ!
って決意は、次の日の朝には忘れていて、
またその日の同じくらいの時間に、また、
はぁ、やらなきゃ!本気出すぞ!
と思う。

進展もしなければ、減退もしない。
山もなければ谷もない。

肉体労働で、自然についた筋肉と手の平の豆ですら
私に月日を感じさせる。

明日はあったかいかなあ、そろそろ桜咲くかな、
明日は何食べようかな、
今日も疲れたなぁって。
ただ、それだけ。

そうか、いま、あの時のサラリーマンと同じなんだ。

今に刺激を感じていない。


4.変化と刺激

刺激を作るったって、どうやって?と思うし
変えられないものもある。

いっそ引越しでもしてしまおうかな、
と思うけれども、そもそもお金に余裕はない。

それは、またモデルとして海外に挑戦しなきゃいけないから。

毎日をモチベーション高く生きていける人ってすごいなぁと思う。

例え、モデルだけで生活ができるようになったとしても、
もしかすると、きっとそれが1年も経てば、
またいくつかの過去に戻りたくなってしまうのだろうな。

どうやら私は定期的に自分に刺激を与えなければならない性分らしい。


5.きっかけ

でも今の生活を変えるつもりはない。
だからその中で違う刺激を求めて生きていこうと思うことにした。

芸術に触れてみたり、
やってみたいことをやってみたり、
たとえば、陶芸とかボルダリングとか、SASUKEとか。
思い切ったことを、しよう。

幼稚園の頃、私立の幼稚園だったから、茶道の時間があって、
その時飲んだ抹茶はとてつもなく苦かった。

しかもそれには、甘過ぎるほどのお菓子も付いていて、
それが相乗的に、
「お菓子を食べないと飲めないくらい苦い飲み物」
という風に記憶させていた。

なのに大人になってから飲んだ抹茶は、
コーヒーやビールと同じくらい苦くて美味しかった。

当たり前だが、大人になっていた。

そうやって、大人になって、違う経験をしたら、
モノの見方が変わってくることもある。
(まぁこれは味覚の問題だが)

昔、あまり得意じゃなかったものを、
今更になって挑戦してみるのも、面白いかもしれない。

探せば世の中には面白いことが溢れているかもしれない。
知らないことばっかりなんだよきっと。

だから、今のうちに、たくさん色々なことをしてみて、
人として、深みが出て、良い方に変わっていけたら良いなと思う。

でも、昔の私も、今の私も、本質は変わらずにいたいな。
変わらずに、接してほしいな。

もし私が、昔に比べて、人間的に良くない方向に走った時、
その時は遠慮せずに言って欲しい。

やっぱり私は、ずーっと、私でいたい。

まだまだ新しい写真を増やして、
たくさん思い出を作って、
いろんなものを食べて、嗅いで、見たい。

生きるって難しいけど、でも、たまにすごく楽しい。

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