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わたしの元彼


その人と結婚するのだと思っていた。

大学1年生で同じサークルにいたその人は、2年生の時、わたしのことを好きだと告白した。
その気がなかったわたしは、付き合うことを断った。

でもその人は、何度も告白してきた。
その人はこだわりが強くて、字が下手くそで、落語が好きで、肌が白かった。
プレゼントのセンスはとびきりよかった!

不思議なもので、何度も告白されたり、どれほどわたしが好きかと下手くそながら味のある手紙や、遠回しで逆によくわからない言葉、あの手この手で告げられると、もうこんなにも愛してくれる人には一生出会えないかもしれないと、貴重な気持ちになって、そんな人と歩む人生は幸せに違いないと気持ちが変わっていった。

その頃読んでいた「永遠の0」もわたしの背中を後押しした。

戦時中、たった一夜を共に過ごし、戦地へ赴く夫。
その夫を一生思い続け、愛す。

今と戦時中では状況が違いすぎるし、それ以外に選択肢がないからそうなった、とも考えられるけれど、一夜の強烈な記憶や思い出が、誰かが誰かを一生思い続けるエネルギーになることもあるのだと思った。

誰かを思い続ける形に時代は関係ないし、信じるということは、状況や選択肢の問題ではなくて自分が何を信じたいかによるのだと思った。

だから、その人のことを一生信じてみようと思ったのだ。それでどうなっても、ひとつの人生だと、思ったのだ。


全て過去形なのは、その人と別れてしまったから。



結局のところ、選択肢の多すぎる世界に翻弄され、惑わされてしまった。

選択肢が多いことは、基本的には幸せなことだが、選ばれなかった誰かを傷つけたり、選ばれなかった道にあるはずだった幸せが、永遠に失われることでもある。

もちろん選ばれる道にある幸せは、選ぶまで出会うことがないのだから、どちらをとるのかはそれぞれの価値観だ。



そう思うと現代は昔に比べると選択肢が多く、選択するスピードも頻度も増えて、それが多様性や複雑性を生んでいると思う。

それが面白いとも思うけど、選択し続けるよりも、覚悟を決めて一つ選択したものを一生選び続けるということの、潔さと心地よさもわたしは知っている。

その人と過ごした5年間は、何があってもその人がいれば大丈夫という安らかさに包まれていた。

わたしの中の愛の象徴であり心の拠点となる人だった。

でも、別れてしまったのだ。


その人共に歩くはずの人生は、
その人がわたしと共に歩くはずの人生は
失われてしまった。

けれどわたしは無責任に、
わたしもその人も、
今いる道で、幸せになってほしいと
願う。


複雑で多様で何が正解かわからないこの世界で、私たちは、選んだ道で幸せになるしかないのだ。

悔やんだり、後戻りすることは、できない。


その人がこの世界にいる間、わたしは、その人を選ばなかった人生を一生懸命、幸せにしていくしかないのだ。


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