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わたしの父。

その人は、寡黙である。

その人は、読書とK1とお笑い芸人のさんまが好きだ。

あと、才能のある若い人を見て、その才能を褒めることも好きだ。

自分が才能を評価できる目を持っていることがすごいだろ、と言わんばかりにどうしてその人がすごいのかを自信満々に語る。

そんな時、寡黙ではなくなる。


その人は、よく日記をつけている。

何を書いているのか知らないけれど、人はインプットが多すぎるとストレスが溜まると思う。自分の考えていることを吐き出す時間が必要だと思う。

だから、寡黙なその人は、その日記にいろんなことを吐き出しているのではないかと思う。

わたしも、書くことが好きだ。幼い頃はとても内向的だったから、毎日日記をつけてその日、嫌だったこととか、どんなにハッピーだったかとかを書き連ねていた。

そんなところで、血が繋がっていることを実感する。


わたしが8年ぶりに実家で暮らし始めて、半年くらいたったが、その人と会話することが前よりも減った。

わたしは三姉妹の中でもその人とはよく語り合う方だったけれど、わたしもその人も少しずつ変わっていく。以前はなんだかその人に認められたくて、小難しい話を持ち出しては、自論を展開していたのだけれど、今はそんなことはなくても穏やかに繋がっている関係が尊いと感じる様になったからだと思う。

人は人で自分は自分。必要な時に少し言葉を交わすだけでも、十分満ち足りた関係というのもあるのだ。


その人ももうすぐ還暦を迎える。

長年、お勤めお疲れ様でしたと言いたい。時代背景や家庭の事情など、いろんなことが絡み合って、あまり好きな仕事につけたわけでは無かったその人。流石にもう、それはそれと受け入れて嘆くことはないけれど、今、まさにやりたいことを仕事にしようともがいているわたしからすると、それを受け入れるまでにどれほどのことを考え、心痛める決断だったかをうっすらとだが想像することができる。

わたしにはまだその覚悟がないから、あがきもがいているのだ。

これからは好きなことをして、のびのびと、余生を送って欲しい。



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