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歌うこと、踊ること、自分を表現するということ

何の前触れも前置きもなく
いきなり本題に入っちゃうけど
わたしは歌うことが好きだ


中学生のころまでずっと
ピアノを習わせてもらっていたけど
クラシックや練習用の曲は大嫌いで
わたしにとってピアノは
歌を歌うためのアイテム


ギターコード譜を買ってもらい
自分でコード(和音)を見つけて
毎日毎日ピアノを弾きながら歌っていた


その当時のわたしは
家にも学校にも居場所がなくて
毎日が憂鬱で仕方がなかったけど
歌っているときだけは楽しかったし、
自分らしくいられるような気がしていて
ピアノの前だけが唯一の居場所だった


小学校のころから20代まで
ずーーーっと毎日毎日
死にたいと思わない日はなかったけど
死なずにこの世に留まれたのは
わたしが異常な怖がりだったことプラス
歌うことがあったからだと思う


アーティストぶった感じの発言で
あれやったらごめんやけど(笑)

わたしたちは本来
どこまでも制限なく自由で
クリエイティブな生き物なので
自分を表現できないことや
それを奪われてしまうということは
ものすごく辛いこと


わたしは勉強もスポーツも
まったくできない子だったけれど
コミュニケーション力の低さっつったら
誰よりずば抜けていた(笑)


最近知り合った方には
あまり信じてもらえないけれど
人見知りすぎて
挨拶するのさえやっとだったし
自分の感情を表現するのも大の苦手


素直に喜んだり
ニコニコ笑顔でいる女の子が
羨ましくてしょうがなかったけど
そうしたくてもできなくて
いつも表情はムスッとしていて
おしゃべりするのもうまく話せない


そんな風なので同級生とも
うまくコミュニケーションがとれず
人と向き合うのがもう嫌すぎて怖すぎて
高校に行くつもりはなかったけど
高校は出といたほうがいいと説得され
かなり渋々受験生になった


受験生になったからといって
勉強嫌いなわたしが
勉強をがんばれるはずもなく(笑)
あいかわらず歌とピアノに没頭していると
ある日、母からピアノを弾くこと
歌うこと、CDを聴くこと
音楽に触れることの一切を禁じられた


少しも勉強しなかったわたしも
どうかと今となっては思うが、
ピアノの前だけが唯一の居場所だったのに
それを禁じられたわたしはその後
いろいろ問題を巻き起こした
(ヤンキーではない方向性の問題児ね、笑)


「なぜそんなことをしたの?」
と先生や両親に問われても
当時はなぜそのようなことをしてしまう
クレイジー中学生になってしまったのか
自分でもわからず、答えられなかったけど
歌うという表現方法を失ってしまって
とうとう心のバランスが
保てなくなったんだろうな


それは大人になってから内省したり
インナーチャイルドを癒していく過程で
やっと気づいたことだった


高校になってから発覚したバセドウ病も
どうやらそれが影響していたらしい
(喉元の第5チャクラは自己表現のところだしね!)


大人になってからは
好きなだけカラオケに行ったり
それなりに自由になったので
おかげさまでバセドウ病は
すっかり完治したけれど
それを経て、人は生きるために
病気になることがあるんやなと感じる


なぜなら病気が生き方を見直すための
気づきのきっかけになったりするから


歌うことがただ好きだし
それに救われてきたし
歌うことはいつでもどこでも
言われなくてもやる、というか
率先してやりたいことなのだけど
今インナーセルフ ノアさんから
「やって」と伝えられているのが踊ること


「体操するより踊って♪」
と言われているのだが、
家で踊るのなんて自分しか見ていないから
好きにやればいいだけなのに
これがめちゃくちゃ恥ずい!!(苦笑)

 
習いに行こうかなーとか思ったけど
ノアさんは自分の思うまま、
感じるままに踊りたいらしく
習いに行くのはわたしの場合違うらしい


そんなことを言いながら11月初旬に
長与町で行われたイベントにて
ダンスのステージを見ながら
姪っ子と一緒に踊り狂っていたのは
このわたしです(笑)


うそやろ(笑)
恥ずかしがってたの何やったん!
ってさすがに自分でも思うけど(笑)


その日は体験ペーロンのお手伝いで
参加させてもらっていたのだけど
「今日は何も食べなくていいから
ハイボール飲もうか!」
とノアさんから伝えられ、
朝っぱらからはりきって飲酒していた


お隣のブースが
飲み物屋さんだったこともあり
気づいたときには5本も飲んでいたが(!)、
おかげさまでついに踊ることができた


あれだけ恥ずいと言っておきながら
記念すべき1回目が大勢の前というのも
どういうつもりかと我ながら思うけど(笑)


もとはといえば
ダンスを一緒に見ていた姪っ子が
身体でリズムをとっていて
ダンスは好きだけど超絶シャイで
踊りたそうにしながらできずにいたから
「自由に踊っていいんだよ!」
って伝えたくて踊りはじめたんだけど
姪っ子のおかげでオバも殻を破れたし
オバの影響で姪っ子も殻を破っていた


これぞ学び合い♡


そして、お手伝いに行っておきながら
誰よりもハイボールをかっ喰らい
おしゃべりしたり踊ったりして
1日中遊び倒したってことに関しても
どういうつもりかと我ながら思うけど(笑)


でも、いつも活動を共にするまいまいが
「それがあゆみさんの役割だし
踊ることも本質的なことだと思うから
むしろ楽しんでてください」
と意図を理解してくれて
たくさんフォローしてくれたおかげで
思いっっっきり楽しめたし、
本当に自分の殻を破れた記念日になった


前のわたしなら
お手伝いとして参加するからには!と
おりこうさんにお手伝いだけをして
楽しむことそっちのけで
帰ってきていただろうし、
みんなが忙しいというのに
自分だけお酒飲んで踊ってるなんて
許されるわけないじゃんと
たとえインナーセルフから
言われたとしてもきっとやれてない

 
身体に力が入るし、恥じらいもあって
人の目を気にせず全力で楽しむとか
自分を解放するということが
難しかったりするので
お酒の力を借りてのことではあるけれど

本っ当ーに楽しかったし、
このイベントの日の出来事が
ここ数日間で起きていることと相まって
今、大きな気づきに繋がっていて
あの日、お酒を飲むことも踊ることも
必要なことだったんだなと実感している


そもそもインナーセルフは
わたしたちが成長し、本来を生きるために
必要なことしか言ってこないけれど
自分の都合の悪いところには蓋をして
都合のいいことにしか
耳を傾けようとしないのがわたしたち(苦笑)


わたしの場合はきつい苦しいことは
割とやってしまえるのですが、
(意地と強がりと勢いで。苦笑)
楽しむとか喜びを感じることは
すごくすごく受け入れることが難しい


「わたしは楽しんではいけない
わたしの人生には
幸せや自由や豊かさは似合わない」
という思い込みがいつも前提にあるからだ

そういう思い込みを持っているのって
わたしだけではないと思う


意識にあがっていなくても
多くの人が潜在的に
そういう囚われや思い込みを
抱えたままでいる

でも、本当は幸せになることや
喜びや豊かさが似合わない人や
ふさわしくない人なんて
自分も含め、誰一人いないと
きっとみんなどこかでわかっているはずで


なぜ豊かな生き方を自分に
ゆるすことができないのか
そう在ることがむずかしいのか
っていう部分がわからなかったり、
薄々気づいてはいても
見て見ぬふりをしてしまっている
だけなんだと思う

自己表現というのは
踊ったり歌ったりものづくりだったり
芸術的なものだけではなくて
身につけるものや仕草や発言や
自分の発しているものや
その人の在り方すべてのことを指す


最近大きなリボンをつけて
出かけているわたしは現在40歳


リボンはまいまいお手製のもの♡


こういうチュール素材のリボンとか
女の子らしいものが
子どものころから大好きだけど


”わたしなんか“がこんな
かわいいものをつけて歩くなんて
「お目汚しなのでは」とか
「ほぼ違法なんじゃなかろうか」とかって
世間が許さんだろうというのを
あれこれ心配しながら出かけていた


だけど、インスタで写真を見た
同い年の友人から
「堂々とその美しさをみんなに見てほしい!」
とメッセージをもらったとき


許してないのは世間でも
他の誰でもなく自分自身だよね
と感じて涙が出た


この数年間、
自分癒しに取り組んできたけれど
まだまだ癒しを必要としていることも
ゆるせていないこともたくさんある


これからも歌ったり、踊ったり
思いっきりあそんだり
かわいいものを身に着けたり
自由に自分を表現していくなかで
自分を癒し、受け入れながら
本来の自分を目指していきます


そのなかで一緒に楽しんでくれたり
おもしろがってくれたり、
そして、もしもそれが
「わたしも好きにしていいんだ!」
って誰かの自由への扉を開く
きっかけになったとしたら
こんなに嬉しいことはないなと思います


長文になってしまいましたが、
最後まで読んでくださり
ありがとうございます!

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