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展覧会は一人で見に行く派

展覧会は一人で行きたい派

私は本来、ものすごい自分勝手で狭量で執着が強い人間なのだが
若い時はそれを丸出しにしていて
人間関係はかなりハードモードだった。

そこである時一大決心をし、意識的に性格改良をしてきた。
優先すべき事項は「幸せになること」と「生きやすさ」。
それ以外の文学的思想的哲学的大義名分は捨て去ることにした。

友人付き合いに関しては、自分を消すという手段を選んだ。
「相手と自分の折り合いをつける」という
曖昧なやりとりができるほど器用でなく
だったら完全に周囲に合わせて動いた方が簡単だった。

試してみたところ、友人関係は突然シンプルになった。

相手の意図をくみ取り、相手が喜ぶ返事をして、その通りの行動をする。
そうしたら人ってのはご機嫌になる。
不協和音としての私は消えた。イージーモード。

人はもしかして、友人には鏡のような存在を求めるのだろうか。
自分とは異なる存在だけれども
自分と全く同じ内面を反射して見せてくれれば
人は満足なようだった。

そんな人間関係にストレスは全く感じない。
空虚さを感じることもない。
とても楽しく平和な時間が流れる。
なんならコミュニケーション能力が高いという評価さえ下される。

長年、こういった人付き合いをしていると
私は誰かと一緒にいると
「同行者の希望」しか頭にない。
「自分はこうしたい」とか「自分はこう思う」が脳裏によぎりもしない。
正直、人と食事をしていると、味があまりわからない。
美味しいと言われれば、美味しいと答え
イマイチと言われれば、イマイチと答える。

そんなこんななので
美味しいものを味わいたいときや
見たい映画を見るとき、展覧会に行くときは一人で行く。
自分のありのままの感想を感じたいのだ。

しかし娘は別だ

しかし娘だけは展覧会へ一緒に連れていくことがある。
そういったものがあることを知ってほしい、できれば興味を持ってほしい。
かといって無理やり連れて行って
「すごいつまんなかった、嫌い」という悪印象を持たせては元も子もない。
娘が興味を持ちそうな展覧会を厳選して厳選して連れていくことにしてる。
今までは
国立科学博物館の「ヒカリ展」
日本科学未来館「トイレ展」
六本木ヒルズ「マリー・アントワネット展」
日本化学未来館「デザイン『あ』展」
そして今回の「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ展」だ。

こうしてみると、子供の成長さえも感じる。

現代美術館

ディオール展が開催されているのは東京都現代美術館だ。
事前予約したとき「ちょっと遠いなー。駅からも遠いな」と思ったのだ。
たしかにそう思ったのだ。うっすら記憶にあったのだ。

が、当日私はなぜか「近いなー。駅からも近いなー」と思いながら
国立現代美術館の前にいた。
美術館正面でディオール展の看板も何もなく、ハッと気づいたのだ。

ここは国立現代美術館(九段下)で東京都現代美術館(木場)ではない。

新年早々、思春期の娘をだましだまし連れてきたのに
美術館を間違えてしまった。
…これは最悪だ…
ここから木場までまた電車を乗り継いで、さらに駅から歩かせて
展覧会の事前予約時間の11時に間に合うだろうか?
娘にも申し訳なさすぎるし。

そこで私はタクシーに乗ることにした。
普段、なんなら電車代さえケチって生きているが
なんとかタクシー利用で私のポカを挽回したかったのだ。

しかしタクシー移動でも30分近くかかってしまう。
まだお正月休み中だったので都内の道路は空いていたが
確実に11時は過ぎるだろう。

どうしよう、予約時間を過ぎても入れるのかな?

と不安になって予約確認メールを開いたところ
また新たな事実を発見してしまった。
なんと予約時間が11時ではなく11時30分だった。
場所だけでなく予約時間も間違っていたのだ。

怖い…自分が怖いが、これは不幸中の幸いなのか?

結局、予約時間ぴったりに東京都現代美術館に到着できて
入場することができた。

「ごめんね、新年早々、間違えちゃって」
と娘に謝ると
「まぁしょうがないよ。間に合ったし」と怒る様子もない。
が、そう言う娘の顔色が青白い。

もともと娘は車酔いするうえに
遅れそうだからとすこし走らせたりしたせいだろう。
「すこし気持ち悪い」と言う。

それでも健気な娘は展示をスマホで撮ってたりした。
「すごいね~」とか言いながら。

私は私で「自分が場所も時間も間違えたこと」
「娘の具合が悪いこと」が気になって何も頭に入ってこない。

ざーっと回って階下に降りてベンチを見つけると
娘はついに限界がきてベンチに座り込んだ。

娘に介抱しながら思う。
一体、私は新年早々、何やってるんだろう。
なんだこの余計な動きは?
単に娘を連れまわして
場所も時間も間違えて
具合を悪くさせて、なんだろう?
新年早々、自分のアホさに情けなくなってくる。

しばらくすると娘は元気を取り戻し
お昼に美味しい中華を食べ、機嫌もすっかり良くなって帰宅した。

ディオール展自体はほとんど記憶に残らない結果になってしまったが、
私は思うのだ。
娘には申し訳ないけれど、これはこれで楽しい展覧会だったなぁと。

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