見出し画像

手渡されたタコスにサルサソースを乗せるような

皆既日食を観にメキシコに行ってた。
4月4日から4月18日までの15日間、3人の子ども(9歳・4歳・3歳)を義母に預けて、夫とふたりで行ってきた。

出発の前日、近所の神社へお祓いを受けに行ったのだけど、思い浮かぶのは子どもを置いて行くことに対する罪悪感ばかりで、お祓い中もえんえん泣いた。
(置いて行った理由は、長男が行きたがらなかったこと、チビだけを連れて行く負担、治安など複数の要因が絡まって)

今生の別れとばかりに腹を括って出発したものの、メキシコに着いてしまえばどれだけ心配しようが私が子どもたちにできることなど何もなく、じわじわとあの赤い国に染まっていった。

初級に毛の生えたようなスペイン語を使って会話する。
屋台でとうもろこしが放つ独特な香りを嗅ぎながら、肉のタコスを注文する。

「Que?(何?)」

目で煽る威勢のいいメキシカンに、目の前にある肉の部位をとりあえず指さすと、切り株のようなまな板の上で中華包丁を振り下ろし豚肉をチョップしてくれる。
手に持ったトルティーヤで細かな肉を挟み、プラスチックの平皿に乗せて渡される。
その一連の動きは何らかのフロウに乗って瞬く間に行われ、皿を受け取ると彼のエネルギーごと私の手の中にある。
カウンターの上には、どっさり刻んだ玉ねぎとパクチー、半分にカットされたライムの山、緑と赤のサルサソースが置かれており、自分の好きなだけ玉ねぎを乗せ、ライムを絞り、サルサをかけて口に運ぶ。
サルサはかけすぎると超辛いし、かけなければパサパサして食べにくい。
立ったまま、手で、中身がこぼれないように口から迎えにいく。
その荒々しい食事を、体当たりのようなコミュニケーションを重ねるうちに、自分という人間の輪郭がハッキリと浮かび上がり、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。


帰国後、あれだけ心配していた子ども達はというと、全然普通だった。
もちろん義母を中心に、義妹や友人達が関わってくれたのが一番大きい。そのおかげなのは当然なのだけど、子どもたちは逞しく彼らなりの新学期の迎え方をしていたし、私たちの不在をそれなりに楽しんでいたようだった(重ね重ね、義母の力がすごいのは言うまでもなく)。

でも家の様子を見るうちに、私は彼らに「自分で自分のことを始末する喜び」を知らせてなかったんだなぁと痛感した。

・お菓子を食べた後のゴミを捨てる
・脱いだ服を畳む
・おもちゃを片付ける
・ものを出したところに戻す

枚挙にいとまがないのだけど、これまでは私が母という役割を背負ってハイハイハイと全部やってた。私がやった方が早いし確実だし。

旅を終えてみれば「本当は自分でできるのにしようとしない」ことに私の時間を費やすのは嫌だなと心底感じた。
「自分のことは自分でしましょう」って教えには、自立を促す大人の思惑のようないやらしさが隠れてるようにも見えるけど、「自分のことを自分でできる」って本来、幸せなことじゃない?
そこには喜びがあるんやで。


子どもたちとのやり取りの数日後、「Twitter」をやめることにした。
2009年から持ってるアカウントを消すのは、なかなか忍びなかったのでとりあえずホーム画面から消した。
「やめよかなぁ、でも面白いこともあるし、役立つ情報もあるもんな」
ここ半年くらいそんな感じでダラダラ、スクロールしてたけど、帰国してからというもの会ったことも見たこともない人たちが口々に呟く“意図の塊”みたいな文章に、時に惑わされ、時に揺さぶられる自分がいたことに落胆した。
遠い世界の国々で起こったこと、噂話のような裏事情を知ることにどれほどの価値があるのか、その重みを知るのに私は未熟すぎる。

それと同時に砂糖の過剰摂取もやめた。


皆既日食を、私は夫とふたりで観た。
それは言葉ではどうあっても言い表せない、体の奥底から溢れるように湧き出る涙でしか、美しさを表現できないものだった。
人類が誕生してから何度も見てきたであろう、この光景への畏怖と崇敬は私のDNAに刻み込まれ、私が今流してる涙は、呼び覚まされた古代の人々の魂の震えだと思った。


私を取り巻く世界では、親切という名のもとにパッケージ化されたシステムが次から次へと差し出される。
「こういうものだから」
社会を調和させるために、“意図の塊”を、“完結した商品”を享受し続けた結果、私の境界線は溶け出し、伸び切ったブヨブヨの触角で感じ、読み解き、味わっていたんじゃなかろうか。

わたしの体には今、明快で新鮮なエネルギーが循環している。
それはまるで手渡されたタコスに、好きなだけサルサソースを乗せる時のような。
そこには喜びがあるんやで。


この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?