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愛より大切なこと

「愛してる」より「大丈夫だよ」って頷いててほしい


「愛してる」なんて、まあ、言われたことはないんだけど、言葉にされたら、なんかつまらないな〜と感じてしまう。

「愛は地球を救う」の24時間テレビも昔から嫌いだし、自分を愛そう系のセルフラブも、ぶっちゃけよくわからない。

こんなふうに思うのは、私が可愛げのない女だから、、なのと、たぶん、愛の言葉の裏に「執着」を感じるから。


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愛を語るほど「愛たるものはこうあるべき」というルールがちらついてるようで心地が悪くなる。

それを語る人たちに、もちろんそんなつもりないのだろうけど、

愛を言葉にした時点で、愛は動詞になって執着に近づいて、

やがて、憎しみにつながってくのだと思う。



愛と憎しみは紙一重


愛と憎しみは紙一重と昔からよく言われる。


「憎しみ」までいかなくても、愛するがゆえに「なんでわかってくれないの!?」と、

イライラを相手に表現してしまうことは誰でもあると思う。

時には不機嫌な態度をもってして。


その延長で、きのうまで仲良く愛し合っていたはずの2人が、ある出来事をきっかけに、罵り傷つけ競いながら、憎しみの果て別れる、、なんてことも珍しくない。(私を含め。。)


愛が深まるほどに憎しみは深まる。

これって、とてもとても悲しいことじゃないか。

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愛より大切なもの


愛を教えるキリスト教の世界ほど、戦争がなくなってない。

歴史を見ても、現在進行形でみても明らかだ。

ますます、愛に疑問を感じる。だって、愛が地球を救うのなら、今頃、それなりに地球は救われていてもおかしくないはずなのに、現実はますます破壊が進んでいるのだから。

大切なのは、愛じゃないのではないか。少なくとも、巷に溢れる愛ではない。

愛より大切なもの。それは、慈しみなんじゃないだろうか。

とくにパートナーシップは慈しむ心が命みたいに最近よくよく感じている。


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愛の正論合戦



私は完璧じゃないし、あなたも完璧じゃない

完璧じゃないもの同士が一緒にいるのだから、気に入らないこともある。迷惑をかけることだってある。


そこにいちいち

「私が正しい、あなたが間違っている!」と愛を盾に正論合戦をしたり

「あなたのためだー」と愛を押し付けたり。。

そんな愛を交換するためのパートナーならいない方がまだマシだ。そこにある愛は本当の愛ではなくただただ幼稚なエゴだから。

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パートナーシップは本当の自分に還る場所


愛してるという言葉より、「大丈夫だよ」って頷いていていてほしいのは、「大丈夫だよ」っていう頷きの下に慈しみの心を感じるから。

人は、愛のなかでは安らげないのだと思う。愛には条件がつけられやすいから。

だけど慈しみのなかでなら安らげる。慈しみは愛を覆うもの、無条件の愛とは慈しみのことなのだろう。


慈しみのなかで、やっと「どんな私でも大丈夫」と心から思えるようになる。

慈しみのなかで、やっと安心して本当の自分に還っていける。


魂にこびりついた埃を、プライドとしての「誇り」に変換し、本当の自分に還っていく。

それを、実現させてくれるのがパートナーシップだ。


パートナーは本当の自分を見つける鏡,
パートナーシップは本当の自分に還る場所


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愛 < 慈しみ


愛を語ろうと思えばすぐできる。愛を語ればすぐに喜ばれるだろう。

慈しみの心を育てるには時間がかかる。語れる言葉もそれほどない。地道な練習が必要だ。

それでも、愛より慈しみを育んでいきたい。「大丈夫だよ」って、自分にも相手にもたくさん頷いてあげることを増やしたい。


そうすることで、不機嫌を相手にぶつけることもなくなるだろう。尖った言葉で相手を傷つけることもなくなっていくだろう。

そして、そうされることもなくなっていくだろう。こちらが変われば相手も変わるから。


人生がさらさら流れるようにもなっていくだろう。


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完璧でないもの同士が一緒にいるのだ。一筋縄にいくことの方がありえない。

ねじれて、もつれて、絡まりあった縄を、ちょっとづつ解いていく途中に本物の愛とやらに出会うのだろうか。


あらゆるヒントはパートナーシップのもつれのなかにある。まずは慈しむ心のタネをまいていこう。

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11月22日 いい夫婦の日に思うパートナーシップについて、だらだら書いてみました。


最後までありがとう!


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