父のこと

父、湯浅とんぼについて

少し書いてみようと思う。
父は私が生まれた時からとにかく忙しい人だった。
朝、たまに見かけるだけでいったい何をしているのかわからない。そんな人だった。夜は当然母と2人、もしくは4歳離れた妹と3人の生活。

私にはあまり記憶にないが、朝出勤前の父を時々見かける事があった。私はたまにしか見かけないその人を父と認識していたのかどうか?送り出す際に必ず「また来てね」と行っていたようだ。あれは凄く恥ずかしかったと母には後日何度となく言われた。

休みの日もほとんどいない。たまに遊んだ記憶は自宅の周りを裸足で歩いたこと。あれは今も鮮明な記憶で残っている。石ころやアスファルト、土や草花のサワサワと靡く音、足の裏を通して五感が研ぎ澄まされるあの感覚がなんとも言えず心地よかった。

父と早朝、鉄棒をしたことがあった。逆上がりの練習をしていたから小学校の低学年位だったのか。朝、学校に行く前に一緒に近くの空き地の鉄棒に毎日通った。とにかく毎日毎日練習した。だからだろうか、未だに逆上がりはできるのだ。縄跳びもした。二重跳び、何回跳べるか毎日記録の更新をしていくのが楽しかった。

とにかく良いという事はとことんやる、周りにも薦める。家族は巻き込まれる。健康オタクな一面もあり、豆乳、玄米、玄米スープ、胚芽米、圧力鍋でご飯を炊く、呼吸法などなど、父から受けた恩恵は計り知れない。

中学校時代のエピソード、玄米と胚芽米しか食べたことがなかった私は、夏のお弁当がとにかく嫌だった。胚芽独特の匂いが鼻につく。色も黄色くてあまり美味しそうに見えない。美味しいよりも身体に良いが我が家のルールだったのだ。

父の仕事に何度かついていく事があった。保育士さん向けだったり、子ども向けの講座だったか?アシスタントのように私もみんなの前に立って父をサポートしていた。その時のことは今思い出しても、恥ずかしいという記憶ではない。

父がギターを始めたのは30歳頃だったか、毎日5分は弾いていた。とにかく努力を惜しまない。そして挑戦し続けるパワー溢れる少年のような人だった。ピアノも、作詞作曲も、始めたのは大人になってから。
父は常に何かを書いたり読んだり、常に学ぶことを忘れない。そしていつも私のはるか先の方を走り続けていた。

つづく



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