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『理由は、できなかったことをできるようにしようと思ったからです。』


少し前のことになるが
娘が小学校の全校集会にて登壇した。

全校600何人の中で4人選出されたそうで、
作文を発表する機会を与えてもらえた。

一体どんな文章を書いたのだろうか。
私が知らないだけで、とんでもなく文章力構成力が上がっているのだろうか。
正直お世辞にも文章力は、、、だと記憶していたけれど。

その話を聞いたのは、習い事のお迎え時だったので、帰宅後その原稿を見せてもらうことに。

・・・

すみません、親バカ全開なのですが
すっっっごく素晴らしくて大号泣でした。

先に断っておくと、感動する
"ポイント的なもの"はどこにもなかったです。

絶妙なオチとかもついていて、クスッとなれる
ところまであるくらい。

ただ、心の核に反応を起こす
とてもとても真っ直ぐな文だった。

本人はあまり自分について語らないので、なぜ選ばれたのか最初はわからなかったけれど、文章を読んであぁ!そうか。と感じた。

が、その後
普段お互いに会話をしないけれど
長く同じクラスメイトの子がいて、
(お互いを尊敬し合っているんだろうなとは感じる)
その子が夕食の際に、家族に娘が選ばれた理由を話してくれたそう。
(なんて素敵な人だろう)

わたしはそのお母さんからお話を伺うことができて、理由を知ることができた。

それから娘に訊ねると
そんな感じだったと思う、との返事。
そして断片的に教えてくれた。

理由は 『◯◯さんだなぁ、らしいなぁ、と文から感じる。正直で嘘がない文だったから』 だそう。

嘘がないかどうかの証明はしようがない。
だけど、なんとなくそれというのは
瞬間瞬間の中で分かってしまう気もする。


私には娘の学校生活は見えていないけれど
少なくとも作文を読む限り
よく見せようとか、良い感じにまとめようなどを一切感じさせないものなのは確かだった。


綺麗にまとめる。
これって年齢を重ねていけば行くほど
無意識にやってしまいがちで
"素直だけ"を維持し続けることはなかなか難しいことだと思う。

少なくとも小学4年生のわたしは
もう少し他者を意識したものを書いたと思う。
もちろん、それが必要になることはあるし
マイナスなこと、ではないと思っている。
バランスだとも思う。

そんな私だったからか、
無意識に自分の価値観で
娘の"文章力"についても決めつけていた。

たしかに句読点や改行など、いわゆる基本からすると改善すべき点は多々ある。
だけど、そういう外面ばかり気にしていると
大切な中身を観られなくなると感じた。

実際、他の家族に読んでもらったら
『すごい簡潔で分かりやすいやん!文章力あるね!』だった。
確かにそうなのだ。

おそらく、わたしが思う上手な文じゃなかっただけだ。
自分の物差しで決めつけようとしていたことに
気付く瞬間。

本当の文章力ってテクニックだけでは
到底クリアできないものだということ。

そして、今回の作文のお題は
後期前半頑張ったこと、後期後半がんばりたいこと だったのだが、
作文の冒頭には1番大事なことが書いてあった。

【わたしは後期に入って2つのことを頑張りました。一つは◯◯です。
理由は『できなかったことをできるようにしようと思ったからです。』】

ほんとうに、それだ。

もともとすごくマイペースで、人と競うことは
苦手というかあまり興味がなく、
淡々と自分の成長のために頑張る子ではあったが、

この数年本人の中で
たくさんの葛藤がありながらも、
目指したい自分の姿だけを見て
淡々と努力してきたことが
淡々とした文だからこそまっすぐ伝わってきた。

また、むすめは文章の中で
特定のクラスメイトの名前を上げているのだけど
それは自分が現状できていないことをできている子であり、その子たちが日々頑張っていることが
自分の心を奮い立たせてくれたということも書いてある。

人と比べないけれど、
なりたい先にいる人をしっかり観て
そこに自分を合わせていく。

きっと彼女を取り巻く環境が素敵なのだと感じた。
それをつくっているのも彼女自身なのだけど。


そして今回は目的と行動と結果が一致していたからこそチャンスを手にできたのだと思う。

娘は今4年生だが、あの流行があり
入学式が6月にひっそりと行われ、その後3年は
全校集会が開かれなかった学年である。
やっと今年に入り全校集会が再開された。

だからこそなかなかない機会である。

私が力を貸すことができるとすれば、

掴んだチャンスをどれだけ自分次第で進化させられるのか、その場だけのものになってしまうか
また、なぜ今回機会に恵まれたのか、
その【理】を感情ではない部分で伝えることのみ。

娘は発表までの1週間、
より多くの人に伝わるようにするには
どうすれば良いのか、
目指す姿はどうしたらできるのかを
自分なりに考え、想像し練習に励んできた。

彼女は大きな声で話せる自分はかっこいい
自分と定義していたので、そのかっこいい自分に出会うために取り組んだ。

当日、帰宅した彼女の顔は
一段とスッキリしていた。
やり切れたそうだ。

おともだちからも
とても良かったよ!声大きかったよ!と
声をかけてもらえたそうで、それはとても
嬉しかったそう。

そしてその後自信がついたようで
(とは言わないけれど)
事あるごとに、生活のさまざまな場面で
相手に聞こえるように、伝わるように
話す場面は格段に増えた。

まだそうじゃない時だってあるけど
やはり【経験】は大きな励みになっているよう。

間違いなくステージは変わった。
次の目標も作文の中で見据えてあるので、また
焦らずひとつひとつクリアしていくと思う。

実はこの頑張っていることは
1年生の頃からの本人の課題だった。
そして目標だった。
この4年で確実に進化させていっていた。

ずっとそれは根本で変わらなかったし
できなかった時もできた時も
自分を信じていたのは大きかったのだと思う。

できなかったときでも
卑下せず、判断せず、淡々とまた進む姿は
美しいなと思う。

私は親として、自己の感情でこどもの進化を邪魔をすることだけは避けたい。
彼らは驚くほど優秀だなと感じることが
多々あるし、過去の価値観や考え方で
接するのはお互いのためにならないんじゃないかなと思っている。

なので、私はものごとの理だけで
ひもとき、話をするように意識している。

我が子となると、それが難しかったりするけど、それしかできないなとも強く感じています。

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