"組織の終わり"をフェルディナント・テンニースの社会進化論を使って考察

海外にいると日本の新年度に対して鈍感になるのですが、多くの「新社会人向けツイート」を観察するのは楽しいです。


以前、僕がライターとして寄稿していた哲学系メディアで出会ったフェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」という概念がとても面白かったのでシェアします。
http://dream.navi.ryukyu/organization2/


フェルディナント・テンニースは組織構造を大きく2つに分類できるといいます。
・ゲマインシャフト (共同体組織:内向性)
・ゲゼルシャフト (機能組織:外向性)

前者のゲマインシャフト、日本語では共同体組織と言われていますが、僕は上記の記事にあるように内向性組織という言い方がわかりやすくて好きです。
組織に所属している人々は内側を向く、つまりお互いの関係性や組織のあり方について主に考察します。これは主に、家族、自治体、村、など、共同体として存続そのものを目指す組織に見受けられる形です。

後者のゲゼルシャフトは外向性組織、つまり外部(社会)に対してアプローチをする(機能する)ことを目指す組織です。これは身近なところでいうと会社などがあげられます。


ここからが本題ですが、本来はゲゼルシャフト(外向性)であるべき組織が、ゲマインシャフト(内向性)に変化していく様をよく見かけませんか?


これが上記の記事で言及されていることなのですが、僕は思い当たる節がありすぎてめちゃくちゃ腑に落ちました。「よりよい効率を求め組織に所属するも、組織内での自分の居場所を獲得するために奮闘する」という経験が僕にはあります。
組織管理側の視点に立った場合の「組織での居心地を良くするためにどうするべきか、考えすぎてしまう」なんてパターンもまさに、ゲゼルシャフトがゲマインシャフトに移行する兆候の一つです。(必要な管理ではあるが、そこがゴールではない)

ゲマインシャフトの目的は組織の存続ですが、ゲゼルシャフトの最終目標は社会に対して機能することですので、ゲゼルシャフトがゲマインシャフトに移行することは組織の退化であると言えるはずです。
最終目標を見失うこと以外の問題として、内向性の強いゲマインシャフトは変化を好まないために社会に置いていかれる可能性が高くなることが挙げられます。社会というものは常に変化していますので、これについていくためには常に社会に気を配り、その変化に対応する。変化に対応するというのは、それに合わせて組織のあり方を変化させることですので、組織存続の危機が伴いゲマインシャフトでは嫌がられます。

特にわかりやす言葉で今回の社会進化論の話をまとめるならば、"馴れ合い"という言葉が適切かもしれません。
本来は社会に機能することが目的のはずだった外向性組織(ゲゼルシャフト)は、"馴れ合い"によって組織が退化し打算的に行動できなくなる。また、変化を恐れるために社会から取り残されていくことにより、組織が崩壊します。


ここにおける組織の崩壊とは、外向性組織の崩壊を意味します。


最も厄介なのが、その外向性組織が崩壊(機能を損失)していることに気が付かないという問題です。ゲゼルシャフトがゲマインシャフトに退化した場合、ゲマインシャフトは組織の存続に適した形ですので、組織そのものが崩壊することはありません。ゆえに、機能していなくともそこに居残り続ける人間が多数いるのです。

新年度なので会社を例にあげますが、多くの新社会人は社会に機能することを目的に組織に属すでしょう。(それにより対価を得る)
しかし、新人歓迎会、飲み会などの内部でのコミュニケーションを多くとることに経て、もともと外向的だったモチベーションはどんどん内側を向いていき、その組織に居続けること、またその組織の上位に立つことが目的に変わってきてしまいます。


それって本当にあなたが求めていたことですか?馴れ合いによって本来の目的を見失ってはいませんか?大丈夫ですか?


というお話です。

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