【エッセイ】大切なものが見つかる”断捨離”のススメ
1月もあっという間に後半💦
ども✋お久しぶりです!
今回は最近私が始めた「断捨離」についてのお話。
「断捨離」って普通によく使う言葉だけど、詳しく言うと、ただ不要な物を捨てるだけではなく、それによって得られる「物」への考え方なんですよね。
これはヨガの指導者で思想家の沖正弘氏(おき まさひろ 1921年-1985年)が提唱した思想。
ちなみにこの方、戦後日本におけるヨガの草分け的指導者だったそうです🤓
いわゆるこの「断捨離」を少しずつ始めた私ですが、現在もそれは絶賛継続中!!
「断捨離」を始めてから今まで、色々な物を捨てたり手放したりしました。
その中で改めて「不要なものへの執着心をなくす大切さ」を日々痛感しています。
不要な「物」を捨てるということだけでなく、あらゆることにおいての「執着心」を捨てることで本当に大切にすべきものが何なのかが見えて来たような気がするんです。
今日はそんなお話。
必要だったもの
何かを「欲しい」と思う時、それはその時に必要な物、もしくはどうしても手に入れたいものですよね。
その時の自分には必要だったし、どうしても欲しかったもの。
しかし、必要だったはずの物は、時間の経過と共にこれからも「必要なもの」なのか、それとも「必要のないものなのか」、はたまた「持ち続けるべきもの」なのか、または必要はないけど「なんとなく持ち続けたいもの」に分かれて来ると思います。
「断捨離」に必要なこと。
それは「必要のないもの」「なんとなく持ち続けたいもの」だけと思いがちですが、「持ち続けるべきもの」と思い込んでる中にも実はあるんじゃないかなって思い始めたんですよね。
よく整理整頓が苦手な人って、しばらく使ってないものや、存在すら忘れていたものでも、いざ捨てようとすると「また使うかも」「思い出があるから捨てられない」と理由を付けて手放せないことってありますよね。
さらに手に入れるのに苦労したもの、高かったもの、もう手に入らないかもしれないものなら尚更、手放せない。
物だけではなく
それは「立場」だったり「プライド」だったり「思い」だったり形の無いものにも色々当てはまるかもしれません。
冷静に考えてみると、これから人生を生きていく上で本当に必要なものや人って実はそんなにたくさんはなくって、むしろ最小限で良いのかなって思うんです。
手放せない理由
まずは「物」で例えて考えてみます。
今はもう使うことも無くなったもの。
苦労して手に入れたし、もう買うことも出来ない、手放したくないなってものがあったとして、それは必要なものではなく、「持ち続けたいもの」「手放したくないもの」と言えますよね。
ただそうやってただやみくもに何でも持ち続けていると
「あ”ぁ置き場所ない!!」
なんてことがおきたりします。
思うんですよね。
形のある無いに関わらず、人間持ち続けられるものには限りがあるよなって。
そこで必要になってくるのが「断捨離」
「物への執着心をなくす」
この作業って初めはかなり大変です。
実際始めてみると「使うかも」「必要になるかも」「思い出があって捨てられない」のオンパレード💦
使ってもいないし、存在すらも忘れてたくせに、思い出もクソもあるかい👋って何度自分にツッ込んだことか笑
でも断捨離する為の”選別作業”こそが実はとっても大切なことだなって思うんです。
「手放したく無くない理由は?」
「本当に必要な物は何?」
捨てられない理由はよく考えてみると、ただ「物」への執着心だったってこと、めちゃくちゃ多い気がします。
では、”人間関係”で考えるとどうでしょうか?
実はこれも、「断捨離」が必要だなと私は思っています。
人間関係
「あの人は人当たりがいい」
「誰にでも好かれるよね」
って人、あなたの周りにもきっと1人や2人は居ますよね?
「誰にでも好かれる人」
では、こういう人居ませんか?
「好かれようと頑張る人」
これは猫を被ってるとかそういうことではなく、正確に言えば嫌われないよう、めちゃくちゃ気を使う人。
人に気づかうって、決して悪いことじゃないけれど、必要のない「気づかい」もある思うんです。
例えば自分を繕って”好かれる自分を演じてしまう”
それって不要なことって思いません?
万人に好かれることって有り得ないことだし、人にはどうしたって好き嫌いってありますからね。
実際私も、「生理的に無理~」みたいな、「あ〜この人何かダメだわ~」って思う苦手な人、居ます。
これは私自身の話になりますが、私は人に好かれようとはこれっぽっちも思わないんですよね。
それは好かれようと気づかうことで、本来の自分ではなくなるから。
もしそれで好かれたとして、それは本来の自分ではなく気づかう自分を相手は「こういう人」と認識しちゃいますからね。
なので無理に人に好かれようとせず、自然でいいと思うんです。
そもそも自分が無理しなきゃ付き合えないような相手とは、自分に影響が無いくらいの距離をしっかり空けるべきって私は思うんです。
本当に必要なのものは何か?
先ほども書きましたが、人間には抱えられるものに「限り」があると私は思っています。
例えば仕事。
私で例えて話すと、私は家族もいますし仕事以外にも家のことや当然やるべきことはたくさんあります。
そこに仕事も複数抱えています。
複数仕事をしていると、当然その時その時で優先順位を付けなければならない。
”今、まず取り組むべきことはなんなのか”
じゃぁ何が一番大切なのか?って考えたらどれも大切なことには変わりないんですよ。もちろん趣味でも慈善事業で仕事してるわけではないですし、生きていく上での糧なわけでもあるので。
それでも優先順位は付けざるをえない。
そうすると当然優先順位が低くなるほど生産性も低くなる。それでも何とかギリ出来てるのが今の状況なんですね。
”抱えられるものには限りがある”
生産性は低くなってもギリ何とかなっている今が抱えられる限界。
ではこの状態で生産性を上げていく為に必要なことは何なのか?
そこでもやはり「断捨離」する為に必要な「選別」をするんです。
「これは本当に必要なことなのか」
「無駄に抱えていることはないのか」
これは常に必要なことであり、現状維持ではなく「アップデート」が必要なことなのかなって思っています。
意外とあるんですよ、これ。
例えば自分だけで抱えずに人に頼る、あるいは任せてみるこれだけでも生産性上がりますし。
どうしても必要なことを見極められれば、おのずと本当に今取り組むべきことが見えてくると思うんです。
それでもまだ、抱えきれないとしたら。
そりゃもう腹括る!!
四の五の言わずに抱えるんです!!
抱える覚悟を決めることです。
それに尽きるのかなって私は思っています。
本当に大切な人
生きてく上で人と関わらずに生きてくことは、無人島🌴に自給自足で暮らさない限り無理ですよね。
仕事でもプライベートでも人付き合いは必要不可欠。
当たり前の話ですが、人の数だけみんな考え方も性格と何もかも違うし、気が合う人もいれば合わない人もいる。
夫婦だって恋人だって友達だってそう。
大なり小なり抱えてたりしますよね、この人間関係の問題って。
私はこの「人間関係」にも例に漏れず「断捨離」をしています。
自分にとって本当に必要な人は誰なのか。
その判断基準のひとつ。
それは「楽」であるかどうか。
「楽(らく)」は「楽(たのしい)」とも読みますよね。
楽しいって意味知ってます?
自分がそういられるかどうか。
その人といることで、不快だったり、不安になったり、悲しくなったりってやっぱり側にいるべき人じゃないなよなって私は思うんです。
おしんのように耐え忍ぶことが美しいなんて価値観持ち合わていませんしね、笑
そりゃ人間ですから腹立ったり、悲しくなったり不安になったりすることもあるけれど、その時はそれを「楽しい」に変えられる相手なのかどうか。
本当の自分で向き合ってくれる相手なのかどうかなのかと思うし、それは逆も然りで。
それをできる相手なのかどうかが大切なのかなって思います。
時に向き合い、そして同じ方を向いていけるのかどうか。
お互いが助け合いながら、時にぶつかることがあってもまた向き合いながらまた同じ方を向いて歩いて行けるのか、そしてお互いが成長していけるのか。
それは誰においてもそうなんだと思っています。
不満を持ってでしか相手を見ることができないのなら一緒にいるべき相手ではないし、不満を持つということは自分にも何かしらの原因があると思えるのか。
そこが人間的に成長できる鍵なのかなって思っています。
もしそれが出来ていないのなら。
自分自身「何を」「誰が」本当に必要なのかちゃんと「断捨離」が出来ていないのかもしれませんね。
最後に
私は、「断捨離」する中で大切なことに気が付けた気がしています。
あんなに手放すことを躊躇っていたのが嘘のように、一度手放してしまえばなんてことない、想像以上に平気です!笑
自分でも驚くくらい。
「なんであんなに執着していたんだろう」
とさえ思えます。
そして必要のないものを見極めることが前よりもうんとできるようになったし。
人間関係においてもそれは言えることで、無理に付き合う必要のない人とは付き合わないし、適切な距離をとる。
大切なものも、大切な人も、よくよく考えたらそんなには必要ない。
心から自分が必要と思えてこそ、
手放さず、
手離さず、
いられるものなのかなって。
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