日本よ、お客様ぁ!!が過ぎないか

こんにちは。まっつんです。

先日コンビニに行きました。私の近所には外国人の方がたくさん住んでいらっしゃるので、たくさんの外国人の方がコンビニで働いていらっしゃいます。その日も外国人の店員さんがレジを打ってくれたのですが、袋詰めやお釣りの計算といったことにものすごく時間をかけていたのです。そして終始、とても堂々としていました。

いわゆる、「はやくしろよ!」といわれるレジだったと思います。恥ずかしながら私もコンビニの非常にスピーディーなレジに慣れていたせいか、「ちょっと遅いなあ」と思ってしまいました。しかし商品とお釣りを受け取りコンビニを後にしたとき、ハッとしました。

わたしがお金をかけて欲しがったのは、店員さんの早いレジでもなく、「お待たせして申し訳ありません。」の言葉でもなく、無印のクッキーと焼き鳥です。(余談ですがファミマのとりかわめちゃうまい、特に塩) 

コンビニも含むいわゆるあらゆる商売は、 払うお金-欲しいモノ、サービス の関係性が成り立っていたらそれでいいのではと思います。

あの店員さんは、その商いの本質をわかっていたのかもしれない。丁寧な袋詰めは、私がお金を払ったクッキーを割らないためだったかもしれないし、お釣りを注意深く確認していたのは、わたしが払ったお金が正確かを確認していたのかもしれない。

その方にインタビューしたわけではないので、単なる推測にすぎませんが…。お客様のために早く、お客様のために謝れ、お客様のために…がエンドレスにエスカレートしている状況に気づかされました。

いや、コンビニって早くするものじゃん!という意見もあると思います。でも、入口に「当店は10秒以内にレジを済ませます!」といった張り紙のあるコンビニってありますかね?

急いでるんだけど!とキレている人を朝のコンビニでたまにみかけますが、いや、早起きしなかったのが悪いんじゃん。それでも、すみません。という店員さんがいる。払うお金に含まれない無償のサービスを、私たちは求めすぎているのかもしれない。

多くを求める消費者ー多くをこなす労働者。この関係を打破できれば日本ってもう少し生きやすい国になる気がするんです。

消費者も単なるわがままなのではなく、多くを求めていいという環境に立たされるから多くを求めてしまう。そして労働者は、競争に勝つために「もっと多くを求めていいんですよお客様~」という企業の下敷きになる。そしてもっと深く掘り下げると、下敷きとなることで得るストレスを、仕事が終わってお客様という称号を与えられることで、何の罪のない人にぶつけてしまっているのかもしれない。

お客様は神様じゃないです。お客様が神様だったら、お客様と同じ人間である労働者も神様になっちゃう。日本中神様だらけです。なんのためにお寺や教会やモスクがあるのよ。

せっかく同じ国に生まれてきたんだぞ、お互いを苦しめるんじゃなくてうわべでも仲良くしようよ。自分のお金を使った商品がきちんと自分の手元に届けば万々歳、でいいじゃないですか。余計なものはいらない、超熟と一緒。というのが素人の意見です。

そう思うとマックのスマイル、お金とっていいんじゃないかね?笑 

まっつんでした。