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コロナ禍に造血幹細胞提供(骨髄提供)をしてきました・⑤

※この記事は、最後まで無料で読めます。

ということで、前回からの続きです。予告した通り、今回は入院から退院までの話をしていきたいと思います。


3回目の適合通知

適合通知を受け取った当日~適合通知から75日目(最終同意面談) ⇨ _③_
適合通知から78日目(ドナー手帳交付)~同110日目(PCR検査) ⇨ _④_ へ



適合通知から112日目(入院)

起床

入院前夜の寝付きは良くありませんでしたが、起きてしまったので朝 5時半頃から活動を始めました。病院までの長い移動距離を考えて朝食はいつも通りのメニューを作り、しっかりと完食。シャワーを浴びるなど諸々の準備を済ませたのは午前 7時過ぎでした。


病院へ出発

自宅からはバスと電車を乗り継いで行くことになるため、各駅への到着時刻はダイヤ通りとなるはずです。いま出発すると病院にはだいぶ早く着くことになりそうでしたが、遅刻は絶対に出来ないため、午前 8時前に自宅を出ることにしました。

替えの下着などを入れた旅行カバンにノートPCなどを入れたブリーフケースと嵩張る荷物を抱えての移動は、それなりに大変でした。

駅に着いて切符を買ってホームに出たところ、間もなく出発する電車が定刻を待っていましたが既に立ち乗りも出ていて満席だったため、次の電車で行くことにしました。混雑を避ける調整が躊躇なく出来ることを思うと、余裕の有る時間に自宅を出たのは正解でした。

次の電車で旅行カバンを網棚に乗せて座席を確保すると、まっすぐ乗換駅まで乗車。乗換駅から病院まではどの便も乗客が多いと予想していましたが、午前 9時を過ぎて通勤・通学ラッシュも落ち着いたせいか、市の中心から外へ向かう下り方向だったせいか、座る余裕があって助かりました。

病院に着いたのは午前10時前とだいぶ早かったため、一旦、大きい荷物を預けて身軽に動きたいと思いコインロッカーを探しましたが、何処にも見当たりません。「これなら、ロッカーの場所を知っている乗換駅の方で時間を調整した方が良かっただろうか?」と後悔しつつも、病院に着いてしまったのは仕方がないので、大きな荷物を下げたまま病院近くのドラッグストアまで徒歩移動。そこで買い足しておきたい日用品を幾つか購入しました。

病院へ戻ると病院内にあるコンビニへ立ち寄り、ここで買うつもりでいたプリンを3種類1つずつとカフェラテを購入。ずっと移動続きだったため、コンビニ前の休憩スペースでカフェラテを飲んでひと休みすることにしました。


入院手続き

まだ待ち合わせ時間には早かったものの、午前10時半に病院の総合受付へ移動し、そこで担当コーディネーターを待つことにしました。

適当な椅子に腰掛けてMP3プレイヤーで音楽を聞きながら待つこと15分、担当コーディネーターと合流することができました。担当コーディネーターからその場で骨髄バンクから支給される支度金の 5,000円を受け取り、手術を終えた夕方に体調を聞くアンケートのために担当コーディネーターから電話を入れることなど、入院中のことについて説明を受けました。

2人で入院窓口に移動し、診察券と至近2週間の体温・体調変化を記録した健康調査シートを提出して受付完了。コロナ禍で担当コーディネーターは病棟まで同行できないため、入院窓口からは病院事務員の案内で移動することになりました。事務員から、市内で新型コロナウイルス感染者が増えていて、この病院でも感染患者の入院を受け入れていることなど説明を受けながら入院病棟へと移動。エレベーターを使って、病室が有るフロアまで上がりました。エレベーターを出るとすぐにナースステーションで、事務員とナースの間でやり取りがあった後、私は 3泊 4日の間使う病室へと通されました。

荷物を病室のロッカーに入れて少し待っていると、担当看護師が 2人組でやって来ました。

看護師に利き腕を聞かれたので「右」と答えると、点滴などは左腕にすることになるとのことで、右手首に患者識別用のバーコードが入ったリストバンドを着けられました。このリストバンドで取り違えを防止するため、入院中は汚さずに着けていて欲しいと説明がありました。なお、点滴を利き腕の逆にするのは、手術直後の寝たきりとなる時間も、利き腕を空けておけばテレビのリモコンやスマホの操作が可能で、ある程度は快適になるからです。

その後は、テレビカード式のテレビと冷蔵庫や、ノートPCなどの電源を取る際に使って良いコンセントと医療機器用に空けておくコンセント、浴室・洗面・トイレが一緒になっているシャワーユニットなど、病室の使い方について説明を受けました。また、病室があるのは血液内科のフロアで薬の影響によって免疫機能が低下している患者さんが居るため、カビを含んだ外気が入る窓を開けての換気は厳禁。窓を開けられない代わりに、病室の空調は24時間点けっぱなしで構わないとのことでした。

担当看護師も骨髄バンクに登録しているそうで、登録から何年ぐらいで適合通知が来たか、適合通知が来た時にどう思ったか等の話をしました。

担当看護師が帰ると、昼食までの間にテレビカードの購入と入院着のレンタル契約を済ませておきました。病室に戻ってレンタル窓口で受け取った入院着に着替えて、一息ついたところで、家族へ病院に着いて入院手続きを終えたことをメールしました。


昼食以降(血液検査、麻酔説明など)

お昼になって昼食が出てきた時にふりかけを買い忘れたことを思い出しましたが、忘れたものは仕方がありません。味が淡白だったこともあり、この昼食は半分ほど残してしまいました。用の済んだ食器は置いておいても係の方が下げに来てくれるという話でしたが、自分で配膳台まで返却に行っても良いという話だったため自分で返却することにしました。

食器を返してベッドテーブルの上が空いたため、ノートPCを出すことにしました。外付けHDDを置くスペースも十分に有りましたが、食事時などに横へ避けるにはベッドテーブルだけでは狭く感じます。そこで、病室の広縁のようなスペースに置いてあった机をベッド脇に移動させて、ノートPCの退避場所にしました。

ノートPCを起動して、問題なく作業できそうなことをひと通り確認していると、総回診が始まるというアナウンスが聞こえてきました。「白い巨塔で見たやつ!」と思ったものの、患者さんたちが対象できっと自分は関係無いだろうと思って気にせずPC作業を始めようとしたところ、病室の扉をノックする音が聞こえました。返事をすると、先触れらしい看護師から先生が挨拶に来られると告げられました。

少し待っていると、再びノックの音。返事をすると、血液内科長を先頭にして 5、 6人の医師が病室に入って来られて、「この度は、ご協力ありがとうございます」と挨拶を受けました。患者ならここで自分の体調の良し悪しなど話すことが有るのだと思いますが、健康なドナーだとこういう時の応対がよく解りません。取り敢えず、当たり障りなく「いえいえ」とお辞儀を返しました。白い巨塔みたいな大名行列ではありませんでしたが、ドラマや映画でしか見たことがない総回診は面白い体験でした。

入れ替わるように今度は婦長さんが挨拶に来られて、何か困ったことはないかと聞かれたため、シャワーを使える時間帯について聞いてみました。特に「この時間帯でなければダメ」ということはないそうで、夕食後に使う予定であることを伝えておきました。

午後 2時過ぎに看護師が来て、検温と血圧測定、血液検査のために採血管 3本分の採血がありました。点滴を左腕でする予定であるため、採血は右腕でやってもらいました。

午後 3時頃、採取医が先ほどの血液検査の結果を知らせに病室へ来ました。自己血を採ったせいか赤血球が薄めで術後に鉄剤を処方することになるかもしれないものの、明日は予定通り午前 9時から手術を行うとのことでした。手術を終えて病室には午前11時頃に戻っている予定で、病室には点滴などを繋がれた状態で戻ってくるとのこと。術後の経過に問題がなければ、明日の夕飯は通常通りになるという説明でした。

また、いま使っている病室ベッドを手術の最中に手術室へと運び、まだ麻酔で眠っている私を手術台から病室ベッドに移して病室へ帰ってくるという話でした。話を聞いていて、広縁から移動させてきた机が邪魔になりそうだと思ったため、採取医にそのことを確認しました。すると、病室の物は自由に使ってもらって構わないものの、ベッドの移動だけでなくベッド脇に点滴スタンドを立てることになるため、明日については邪魔にならない場所へ片付けておいて欲しいという返答でした。

採取医が帰ってしばらくすると、今度は院内コーディネーターが挨拶に来ました。ちょうど、経過表を出して今日明日の日程を見直していたところだったため、今晩からの絶飲食の話や昨晩はあまり寝られてない体調の話などをしました。

午後 4時頃、明日の手術で私の麻酔を担当してくれる麻酔科医が、麻酔に関する説明をしに病室へ来ました。

「全身麻酔についての説明と同意書」という文書を渡されて、順番に内容の説明を受けました。麻酔は全身麻酔で行い、気管チューブというプラスチックの管を通して呼吸管理をすること。手術時間が短いため尿道カテーテルはやらないこと。術後に吐き気に襲われたり、嘔吐したりということがあるため、嘔吐に備えてティッシュペーパーやタオルなど(入院案内で用意するよう書いてあった物で可)を用意しておくこと。気管チューブを使うことで喉に痛みや違和感が出ること。麻酔薬への反応として異常な高熱が出ることがあり、家族や血縁者でそのような症状が出た人が居た場合は知らせて欲しいことなど、麻酔科医からひと通り説明を受けて同意書に署名をしました。

ノートPCを広げてみたものの、ひっきりなしに来訪を受けていたため、作業はほとんど進められませんでした。

夕食前の午後 6時頃、担当看護師から今日明日のスケジュールについて説明を受けました。

明日は、午前 8時50分には部屋を出発して手術室へ向かうこと。病室を出る際は手術着を着用し、パンツは穿いていて良く、エコノミークラス症候群を予防するストッキングも履いて行くこと。財布などの貴重品は病室の鍵付き金庫に入れて鍵を掛け、その鍵を看護師へ預けること。私の留守中、病室にも鍵を掛けて誰も入れないようにすること。今晩 0時から絶食となり、明日の午前 7時からは絶飲食となるとのことでした。

この時、ドナーのためのハンドブックでは書かれていたものの採取医等からの説明では出てこなかった手術前の下剤について、気になったので質問をしました。すると、便秘が長く続いているということでもなければ、この病院では下剤を使って無理やり便を出すことはしないという返答でした。私が今朝もいつも通りで便秘はしていないと返すと、それなら、明日の朝もいつも通りで大丈夫とのことでした。


夕食以降

昼食の味が淡白だったため夕食は少し身構えていましたが、美味しい夕食でした。メニューを書くと入院した日時を特定する情報となりそうなので書きませんが、この入院初日の夕食によって入院中の食事は問題無さそうだと安心できたのは、とても良かったと思います。

完食して空になった食器を配膳台へ返しに行った後、今朝、コンビニで買ってきたプリンから 1つを選んで食後のデザートとして食べました。口にできる物で、自分で選んできた物を用意しておいたことは、入院生活中の小さな楽しみとなりました。

夕飯を終えると、看護師に伝えておいた通り、病室に付いているシャワーユニットを使って一日の汗を洗い流しました。検温の時間など病院側のスケジュールもあるだろうと思い、私はシャワーを使いたいと思う時間帯を事前に言っておくようにしていましたが、シャワーを使う時間帯について特に制約が無かったのは助かりました。汗を流してさっぱりすると気分転換になるため、気軽に病室を出られない状況も苦とならずに済んだと思います。


就寝

シャワーを浴びて歯を磨いてゆっくりしていると、午後 9時前に看護師が来て夜の検温と血圧測定をしました。昨晩はよく眠れなかったため今晩はちゃんと寝られるか不安はありましたが、身体を休めることは必要だと思っていたため、この日はそのまま毛布を被って横になることにしました。

就寝前の不安は悪い方に転び、まったく寝付ける気配がなく深夜11時を超えました。手術前に一睡もできないのは良くないと思い、ナースコールで看護師を呼んで眠剤を処方してもらえないか聞いてみました。しかし、看護師から採取医に確認したところ今日は処方できないとの返事だったため、「困ったなぁ」と思いつつ眠剤は諦めて、取り敢えず横になって身体だけは休めるように努めました。



適合通知から113日目(手術当日)

起床

いつの間にか眠ってはいたらしく、起きてスマホで時間を確認すると午前 6時前でした。「いま寝られたら、何時間ぐらい寝ていられるか?」と夜中にスマホを見たのが午前 1時ぐらいだったため、おそらく 4時間半ほど寝られたのだと思います。ここ 2日間で寝不足状態が蓄積しているはずですが、寝不足時の「ぼーっ」とした不快感は少なめでした。

ベッド脇にある洗面台で顔を洗ってヒゲを剃ると、午前 7時からの絶飲食前に麦茶をコップに注いで水分補給。ノートPCと外付けHDD をロッカーに仕舞い、ノートPCの退避場所として使っていた机を広縁に戻すなど手術に備えて病室の片付けを始めました。

午前 6時半頃に担当看護師が検温と血圧測定に来ました。「緊張していますか?」と聞かれたものの、ドキドキしている訳でもなく手も温かかったため「特に緊張はしていないみたいです」と返答。体温は36度 8分と高めでしたが、手術室でも採取医から確認があるだろうとのことで特に問題とされませんでした。noteを書いている今にして思うと、緊張の自覚はもう少し後で来ますが、この時の高い体温は緊張による体温上昇だったのかもしれません。

寝汗をかいた不快感があったため看護師にシャワーを使っていいかを確認し、手術着へ着替える前にシャワーを使うことを伝えておきました。

ゆっくりシャワーを浴びると午前 7時を過ぎそうだったため、最後に水道水で口を潤し、ここからは手術が終わるまで絶飲食。シャワーで汗を洗い流して気分もスッキリすると、手術着に着替えました。

エコノミークラス症候群を予防するストッキングも履いてBSで朝のニュースを見ながら時間を潰していると、午前 8時前に大きい方を催し始めました。昨晩 0時から何も食べてないのに便意を催すのは予想外でしたが、これから全身麻酔での手術があって術後もしばらくは寝たままであることを思うと、我慢してトイレに行かないのは無謀に見えます。

午前 8時50分には看護師が迎えに来る予定であるため、済ませるならさっさと済ませないと時間が無いと思い、急いで手術着とストッキングを脱いでトイレに入りました。出すものを出して、再度シャワーで身体を洗って、掛けておいたバスタオルで手早く身体を拭き、再び手術着とストッキングを着用し直すまで20分程度。想定外の便意にバタバタとしたものの、眼鏡とマスクも付けて午前 8時半には病室を出られる状態になっていました。

私が手術に臨む緊張を感じ始めたのは、この 2度目の着替えを終えてベッドに座って看護師の迎えを待っている時でした。急に胸がドキドキバクバクし始めて「え?今さらここで緊張が始まるの?」「こんな分かりやすい緊張は何年ぶりだ?」と、いま自分が感じている緊張が新鮮でちょっと感動を覚えました。

午前 8時50分。時間通りに看護師が迎えに来たため、手術室まで歩いて向かいました。


骨髄採取手術

昨日、病室へ入った時とは逆方向に案内されて、病室のベッドが余裕で入る大きなエレベーターを使って手術室のあるフロアへと移動。

ベッドの向きを変えたりするのに使うのであろう大きなスペースに面した手術室の前室まで来ると、看護師に促されて前室前のソファーに座ってしばらく待機となりました。そこで手術室で私の担当に付く看護師と合流して、リストバンドに付いているバーコードを読み取り、氏名・生年月日の確認を行いました。

3人に増えて手術室へ出発。前室で合流した看護師から、アレルギーの有無や手足の痺れの有無、全身麻酔をしたことが有る血縁者やその健康被害の有無、今朝の体調などを聞かれました。「緊張で手が冷たくなっているぐらいで、体調は特に問題ないと思います」などと返しつつ手術室に到着。

手術室に着くと、何人もの医療スタッフがきびきびと器具の準備をしているところでした。こんなに沢山の人が関わっている手術なのかと思い、ちょっと緊張度合いが増しました。

手術室に入ると、手術室で準備をしていたまた別の看護師から、バーコードの読み取りと氏名・生年月日の確認をされて、手術台の脇に用意されたベッドへ案内されました。そのベッドでは、昨日、病室に来て麻酔について説明をしてくれた麻酔科医が準備をしていました。ここで知っているお医者さんが居る安心感は格別で、麻酔科医と挨拶をすると、安心を通り越してちょっとテンションが上がったのを覚えています。

看護師にマスクと眼鏡を預けてベッドに仰向けに寝ると、手術着の面ファスナーをバリバリと剥がして心電図や点滴の固定が始まりました。

「便利に出来てる服だなぁ」と思っていると、麻酔科医に声を掛けられました。利き腕の確認をされたため「右です」と答えると、左前腕の外側から点滴を入れることになりました。使う針がちょっと太いとのことで針を刺された時は結構痛かったですが、しびれ等はなく、テープが貼られていって針の固定が済んだ頃には気にならなくなっていました。

麻酔科医にマスクを当てられて深呼吸をするように言われたため、深呼吸を続けていると頭が「フワッ」としてきました。麻酔科医からの浮遊感があったかどうかの確認に答えると、麻酔科医に「点滴から、眠くなる薬を入れますね」と告げられました。

ぼーっと「麻酔は点滴から入れるのかぁ」と思いつつも、「そう言えば、深呼吸だったな」と意識を深呼吸に戻して確か 3回目。

骨髄採取手術の流れ ⇨ _序章に記載_

次はもう、麻酔科医に肩を叩かれたり名前を呼ばれたりして起こされている場面でした。手術前に、こういう感じになるのだろうと予想はしていましたが、手術は本当に『寝て起きたら終わって』いました。

肩を叩かれながら「◯◯さん、終わりましたよ?分かりますか?」といった呼びかけに気付いて、「はい」とか「わかります」とか答えたところ。麻酔で寝ていた最中のことだったため詳しくは分かりませんが、点滴の固定等をしたベッドから手術台へ移動させて俯せにした時に鼻を潰す状態になっていたらしく、鼻も幾らか赤くなっていたようで、しきりに鼻に痛みはないかと心配されました。しかし、特に痛みも無かったため「大丈夫です」と答えていた気がします。この辺りは未だ起きたばかりだったせいか、自分がどう応答したのか記憶は曖昧です。

兎も角、私が応答したことで麻酔から意識が戻った確認は済んだため、私を寝かせた病室ベッドは「ゴロゴロゴロ」と勢いよく動き出しました。想定通りとは言え、寝て起きたらすべて終わっているのは妙な感覚で、場所は手術室だと分かるものの今が何時なのかは検討もつきません。自分から採取した骨髄がどうなっているのか気になりましたが、それを確認する間もなく、私を乗せたベッドは手術室を出ました。

昨日まで、手術直後は意識が朦朧としていて、半分寝ているかのような状態になっているのだろうと予想していました。しかし、ベッドがもの凄いスピードで移動しているのを感じながら、どんどんと覚醒は進んでいき、麻酔でしっかり眠らされたおかげか連日の寝不足気味の不快感も解消されて頭はスッキリしてきました。

とはいえ、ベッドで横になっているしかなく、目で左右の流れていく廊下の壁を追いながらどの辺りを移動中なのかを探るぐらいしか出来ることもありません。すると、その様子がおかしかったのか担当看護師から「おめめパッチリ?」と声をかけられました。おそらく、子どもみたいにキョロキョロしていたのだと思います。

病室に戻ってくると、病室の金庫に入れておいたスマホを看護師に取り出してもらい、家族に手術が終わったことをメールで伝えました。手術が終わった時間はその際に確認できており、病室でスマホを見た時間は午前11時50分頃。麻酔で寝ていたのは約 3時間だったようです。


手術直後

手術直後の私は、左前腕に点滴の針を固定してあって、点滴スタンドには抗生剤のパックと脱水防止用に輸液のパックが下がっており、口には酸素マスクを着けていました。この時にしていた点滴については、病室に戻ってきた時に、手術で助手に付いていた医師から説明を受けました。

担当看護師が毛布を掛けようとしてくれましたが、汗をかくほど身体が熱くなっていたことから毛布は断りました。すると、看護師は代わりに大きなバスタオルを持ってきて、さらに氷枕を用意してくれました。氷枕をするのは小中学生の頃に熱を出した時以来でしたが、タオルを通して伝わる冷たさが心地よかったです。

口がやたらと乾くと思っていたら、酸素マスクを着けていることに無意識に反応していたのかずっと口呼吸だったことに気が付きました。水は昼過ぎまで飲めない予定になっていたため、ひとまず口を閉じて鼻呼吸に変えることにしました。退院後に調べて知りましたが、ずっとブクブクと音を立てていた酸素マスクは乾燥した酸素を使っていて、ブクブクという音の源となっている水を入れた加湿器を通すことで、酸素に適度な湿度を加える仕組みになっているのだそうです。要は、吸っている酸素は適度に湿っている訳で、口呼吸から鼻呼吸に変えるだけで口の乾きは少しずつ改善されていきました。

酸素マスクを着けて点滴も刺さっている姿は、傍から見れば大変な状態に見えたと思います。しかし、私の主観的には、麻酔から起きた頭はスッキリしており、氷枕の程よい冷たさも気持ちよく、むしろ元気な状態でした。

とはいえ、基本的に私は針嫌いなので、元気に任せて無理に起き上がって点滴の針がズレるリスクを負うつもりはなく、大人しくベッドに寝たままでBS放送を見ていました。利き腕は自由に動かせたため、スマホで SNSを眺めることも可能でした。仰向けに寝ていて自分の体重で創部を自然と圧迫し続ける状態でしたが、創部が痛くて寝ていられないということもなく、このまま寝ていた方が止血・傷の回復には良いだろうと考えていました。

ただ、暇であることは確かで、BSの番組内容がつまらない日だったら、この退屈な時間こそが一番の苦痛になっていたと思います。手術前の想像では術後は疲れて寝ていると思っていましたが、実際の術後は目が冴えて眠気を感じることもなく、やってみないと分からないものです。

そんな術後で不快だったことと言えば、喉の痛みと、不定期に起こる体温の上げ下げでした。

喉の痛みは手術で挿管をした際に喉が幾らか傷付いたせいで、事前にそういうことがあるという説明も聞いていましたし、時折、薬の様な苦い味を感じるのも想定の範囲内でした。一方、体温の上げ下げは本当に不定期で、急に身体がカッカと熱くなって体温が上がってくるのを感じると、10分間ほど体温の高い状態が続き、ひと汗かくのに合わせて熱がスーッと下がっていくところまでが 1セットになっていました。最初に体温が上がってきた時は「これは、大丈夫なやつなのか?」と身構えましたが、何度か繰り返す内に「また来たか」と慣れてしまいました。

まだ酸素マスクが取れない内に、採取医が様子を見に来てくれました。創部の痛みや体調不良は無いかと聞かれましたが、特に痛みは無く大丈夫だと答えました。採取医によると、痛みには個人差があるもののピークは手術を終えた直後で、時間が経って後から強くなってくることはあまり無く、基本的には時間が空くほど小さくなっていくとのことでした。それでも必要な時はすぐに痛み止めを処方するため何時でも遠慮なく言ってください、と話して病室を出ていかれました。

午後 3時頃に抗生剤の点滴が終わり、点滴は輸液の方だけになりました。

抗生剤の点滴を片付けた担当看護師が戻ってくると酸素マスクを外すことになり、息苦しさなどを感じないか確認されたため、特に問題なさそうだと答えました。続いて、水を飲めるかどうかのチェックをするとのことで身体をゆっくり起こしましたが、この時に血が上ってこなくて「ぼーっ」とする感じがありました。倒れ込むほどではなかったため、冷蔵庫に入れておいた麦茶をコップに出してもらい、一口、二口と口に含んでむせることもなく無事に飲むことができました。夕食は普通に出してもらえることになりました。

歩行チェックもしようという話になりましたが、トイレを催していなかったため、こちらは少し待ってもらいました。絶飲食といっても朝 7時までは水を飲めていたし、輸液もしているため出るものなのかもしれませんが、この時は全く出そうな気配がありませんでした。ただ、手術の時にパンツを脱がされていたため、この時に広縁に置いてもらっていたパンツを看護師に取ってもらい、パンツを穿くことだけは済ませました。

30分ほど後だったと思いますが、歩いてトイレまで行けるかどうかの確認だけはしたいということで、再び担当看護師が病室へ来ました。横になっていた身体を起こして立ち上がろうとすると、胃がムカムカする症状が出てきました。すぐに吐くというほど酷くはありませんでしたが、ムカムカする症状と折り合いを付けながらゆっくりと立ち上がりました。足元のふらつきや、貧血を感じて倒れそうな感覚はありませんでしたが、胃の気持ち悪さは感じていました。看護師に歩けそうか聞かれたため「たぶん歩けます」と答えると、看護師は一度退室するため、トイレが出来たらトイレ内の呼び出しボタンを押して欲しいとのことでした。

トイレはベッドの隣のシャワーユニットにあるため、輸液の点滴スタンドを突きながら歩いて行き、引き戸を開けて、特に問題なく便座までたどり着くことが出来ました。手術着をめくって、腰を急に曲げるのは良くなさそうだと思って腰に右手を当てると、オムツみたいに大きなガーゼが貼ってありました。中身がゲルなのかプ二プ二とした感触で、それ自体が熱を発しているのか体温が溜まったせいなのか生温かく、まさにオムツという感じでした。退院後に調べてみたところゲルの創傷被覆材というものがあるらしく、たぶんそういった物を使っていたのだと思います。

パンツを下ろして便座に座ってみたものの何も出そうになかったため、パンツを上げて手術着を直して便座から立ちました。終わったことを伝えようと呼び出しボタンを押し、点滴スタンドを突きながらトイレを出たところで看護師が病室に戻ってきたため、トイレも 1人で出来そうだと伝えました。

午後 5時半頃、担当コーディネーターから電話が入り、術後の体調について聞かれました。採取部位の痛みは特に感じていないこと、声がガサガサしている通り喉に痛みがあることなどを答えました。

夕飯を待っている間に院内コーディネーターが、「この度は大変なご協力をいただいて」と病室に挨拶に来ました。私から採取した骨髄は無事に送り出したため、スケジュール通りなら患者さんへの移植が始まっている頃だという話でした。

とはいえ、私自身は自分から採取した骨髄を自分の目で見た訳でもなく、手術も「寝て、起きたら終わっていた話」で、いまいち「骨髄を提供できた」という実感に欠ける状況でした。確かに歩行チェックでトイレに行った時に創部に大きなガーゼが貼ってあることに気が付きましたが、別にその創部に痛みがある訳では無く、この頃は主観と客観が一致するポイントをまだ掴めていませんでした。


夕食以降

夕飯は主菜の味が薄めだったものの副菜の味がしっかりしていて、美味しく完食しました。歩行チェックの時に感じた吐き気もだいぶ和らいでいて、問題なく食べることができました。さすがに、点滴スタンドを突きながら空になった食器を配膳台まで持って行けるとは思えなかったため、食器は係の方に下げてもらいました。

夕食後に錠剤の抗生剤を処方され、適合通知から 118日目までは毎食後、抗生剤を飲んでいました。入院中は薬を飲み終わったことのチェックが有り、飲み終わった分の包装シートを看護師に提出していました。甘く見て感染症を発症して苦しむのは自分自身なので、抗生剤は処方通り飲んでいました。

輸液の点滴が終わったのは、午後 8時頃。点滴を片付けたところで、看護師から創部のチェックがありました。手術着をめくって創部を見せたところ、ガーゼに出血の跡が有るとのことでした。しかし、血は乾いた状態になっており、出血していたのはだいぶ前で既に血は止まっていると思われることから、このままで大丈夫そうだという見立てでした。

私的には特に痛みを感じていなかった創部の出血云々よりも、点滴の不快感から解放されたことの方が大きい出来事でした。点滴に痛みを感じることはありませんでしたが、針嫌いの私は針が刺さっているという事実だけで左前腕に気を遣う上、小さな緊張感がずっと続いていたため、点滴からの解放はホッとしました。

看護師が病室を出た後、冷蔵庫に手を伸ばし、楽しみに取っていた一番いいプリンを食べました。コンビニに色んなプリンが有ったおかげですが、同じプリンの 3個パックとかではなく、日替わりで違う物を選べるようにしたのは正解でした。


就寝

そろそろ寝る準備をしようと考え始めた午後 8時半頃、右腕に痺れが出てきました。全身麻酔の副作用だったようですが、痺れは徐々に強くなりながら午後 9頃には左腕にも拡がってきました。

腕の痺れが気になる中で寝ようとしましたが、手術以降、目も頭も冴えっぱなしでこちらも静まっていく感覚がありません。午後10時過ぎまで様子を見ていましたが、今日こそはしっかり寝たいと思ってナースコールを押し、眠剤を処方してもらいました。その際、ジンジンと痛いぐらい痺れる両腕のことも看護師に伝えましたが、看護師からは「朝になっても続くようなら、また言ってください」という返答でした。

両腕の痺れは、深夜 3時には引いていました。痺れが引いた時間が分かっている理由は、その時間にトイレに起きたからです。

ベッドからシャワーユニットに付いているトイレまでの距離は数メートル。眠気のある状態で起きるのは億劫でしたが起床時間にはまだまだ早いため、用を足してくることにしました。

腰を勢いよく動かさないように注意しつつベッドから起き上がり、普段の 6割ぐらいの歩幅でトイレへ。便座に座る際も、一旦、腰に手を添えて急に動かさないように意識しながらの動作。痛みは無いものの傷が開けば痛いだろうと想像はしていたため、腰の動きは慎重にしていました。

用を足して小さい歩幅でベッドまで歩いて腰を下ろそうとした時、最後の最後で油断。いつもより低いベッドとの距離感を誤って10cmほど尻もちをついた瞬間、腰に目の覚める激痛が走りました。

それまでは意識すれば違和感があるという程度で、ちゃんと骨髄を採取できたのか心配になるぐらい痛みらしい痛みを感じていませんでした。しかし、この尻もちで、間違いなく、それも結構な深さの穴が腰に開いているという実感を得ることになりました。

あまりの痛みに驚き、「これは、やってしまったかなぁ」と思いつつナースコールを手にした状態でしばらく様子を見ることにしました。激しい痛みでしたが、この瞬間までは痛くなかったため、勢いで押さずいられる冷静さは残っていました。

心臓の鼓動が強く早くなっているのを感じながら横になって 1分経った頃、だんだんと痛みが小さくなっていることに気が付きます。それから2分3分と時間が経つにつれて痛みは引いていき、ナースコールを構えているのが段々と大袈裟に感じてきて、結局、ナースコールは鳴らすことなく元の場所へ戻しました。

「あんな痛みが引いていくこの身体は何なんだ?」と首をかしげながら、胸の鼓動が治まっていくのを感じていると、採取部位の痛みも意識すれば「痛かった場所」と感じる程度に引いていました。さすがに仰向けに寝るのは怖かったため、体勢を横向きにした状態で再度寝ました。



適合通知から114日目

起床

この日、起きたのは朝 5時半ぐらいでした。

昨日は片付けたままにしていましたが今日はノートPCを使いたいと思い、広縁の机をベッド脇まで移動させることにしました。腰で持ち上げないように膝を曲げて机を持ち、そこから膝を伸ばして脚の力で机を持ち上げて移動させました。

机を運んでいる際にベッド脇にある洗面台の前を通ったため、腰の様子を自分の目で見てみることにしました。

手術着をめくって鏡越しに腰を見てみると、手で触った感触通りにオムツみたいな大きなガーゼが貼られていました。ガーゼの左下に看護師が言っていた血の滲んだ跡が有るのも確認し、ようやく自分の主観と腰に穴が空いている客観とを一致させることができました。

手術の翌朝に見た腰の状態。左下に出血の跡


朝食以降

美味しい味噌汁の付いた朝食を食べ終わると、使い切りそうなテレビカードを購入するために財布を持って、空になった食器を配膳台まで持っていくことにしました。

歩幅はいつもの 7割ぐらいに狭くしましたが、食器を乗せたお盆を抱えて歩くことに支障はなく、無事に配膳台まで持っていくことが出来ました。テレビカードは同じフロアにある食堂の自販機で売られているため食堂まで歩きましたが、めまいやふらつき等もなく、新しいテレビカードを買って病室まで戻ってくることも出来ました。

午前11時前に採取医が来て、ガーゼの貼り替えをしました。 4箇所ある傷口を消毒する時は沁みましたが、出血はほぼ止まっていて経過は良好とのことでした。ガーゼの張り替えを終えると、少し前に新しい入院着を届けてもらっていたため、手術着から入院着に着替えました。

手術翌日からガーゼは小さい物に変わりました


手術翌日の体調

私の場合は、基本的には身体に元気を感じる状態で、手術当日の夕食頃まであった吐き気もこの日には無くなっていました。喉は声に掠れが出る程度に痛みが残っている状態。この日に血液検査がありましたが、特に問題は見られないという結果でした。不定期にやってくる体温の上げ下げの方は、昨日ほどの頻度ではありませんでしたが未だ残っていました。

元気を感じる分、コロナ禍で病院内を歩き回れる訳では無くかなり暇を持て余す 1日となりましたが、幾つか気になった点は有りました。

痛みで座っていられないとか疲れを感じて寝ていたいということは無かったため、ベッドに座ってBSを見たり、ノートPCで動画を見たりして過ごす分には何も支障はありませんでした。また、入院してから手術当日までにあったことを、noteで記事にする自分に向けてメモしておく作業も出来ました。

ところが、動画サイトに上げるための動画編集をしようとすると、遅々として作業が進みません。文字だけで済むメモ書きと映像で考える動画編集との違いなのか、自分用のメモと自分ではない第三者に見せる投稿用との違いなのか、まったくイメージがまとまらなかったため、この日の動画編集は諦めることにしました。

せっかくなので、コーヒーを飲みながらBSと動画をハシゴしつつ、ゆっくりとした 1日を過ごしていました。昼食と夕食も共にうれしい献立てで食べる楽しみがあったため、食事は退屈を忘れる良い時間でした。

また、夕食前に経過表を見直していてシャワーを使えることに気が付いたため、看護師が夜の検温と血圧測定へ来た時に確認をしてから、就寝前にシャワーを使って汗を流しました。看護師からは、創部を洗わないようにすることと、ガーゼが剥がれてしまった時はナースコールで呼ぶように言われましたが、特に問題なく済ませることが出来ました。



適合通知から115日目(退院)

起床

いよいよ退院の日。朝は 5時半ぐらいに起床しました。

顔を洗ってヒゲを剃り、洗面台周りにある物で片付けてしまえる物は片付けていきました。後で暇を持て余すことになりそうでしたが、ノートPCと外付けHDDも電源コード等で手間がかかりそうだったため、ブリーフケースに仕舞うことにしました。広縁の机を膝の曲げ伸ばしで持ち上げて元の場所に戻すなど、腰を気遣いながらの作業でしたが、午前 7時前にはやることが無くなってしまいました。

朝のニュースを見ながら暇を持て余していると、朝の検温と血圧測定に看護師が来たため、朝食の後にシャワーを使うことを伝えておきました。

朝食を終えて食器を片付け、歯を磨いた後は、シャワーで汗を洗い流してさっぱりすることにしました。シャワーを使い終えたら、シャワーユニットに置いてあったミニボトルのシャンプーやバスタオルなどをまとめて回収し、旅行カバンに片付けました。

シャワーも浴び終わって普段着に着替え、レンタルしていた入院着を畳んで広縁に置き、午前 9時頃にはいつでも出られる状態になっていました。しかし、そこからだいぶ待つことになり、手術で助手に付いていた先生に最後のガーゼ交換をしてもらったのは午前11時頃でした。

ガーゼの交換を終えると、担当看護師とすぐに退院の話となりました。入院診療計画書や退院療養計画書、退院証明書など必要な書類を受け取っていることを確認された後、念のためにと痛み止めの錠剤を 3錠処方されました。この時の痛み止めは、結局、創部に痛みが出てくることが無かったため使う機会はありませんでした。

ペットボトルやプラごみなど、洗って分別までは済ませたゴミの後処理は病院に任せて良いとのことだったので、着替えなどを入れた旅行カバンと洗面道具を小分けしたトートバッグ、ノートPCなどを入れたブリーフケースを下げて病室を後にしました。


退院

病室から総合受付まで降りていくと、担当コーディネーターが待っていました。受付のソファーに座って、術後の体調を聞くアンケートに答えました。病院からの帰りについて聞かれたため、体調も問題無いのでいつも通りに電車とバスを乗り継いで帰ることを伝えました。すると担当コーディネーターからは、途中で体調が悪くなった場合は迷わずタクシーを使ってもらって大丈夫です、その際は領収書をもらって骨髄バンクに請求してくれれば対応しますと返ってきました。

担当コーディネーターとはその場で別れて、テレビカードの残高を精算し、旅行カバンは病院内のコンビニから宅配便で自宅に送る手配をしました。もっとも嵩張る旅行カバンを持たなくて済むようにしただけでも、だいぶ徒歩移動を楽にすることが出来たと思います。

術後にどのくらい動けるのか興味があったため、病院の最寄り駅では、改札からホームまでは階段を使ってみました。結果、特に疲労や貧血を感じることもなく、いつも通りの調子で帰宅できる身体の余裕を感じました。

しかし、同時に、調子に乗って途中で動けなくなるような事態は避けたいとも考えていました。そのため、予防として、乗換駅や地元駅での移動はエスカレーターを使い、電車も満員だった時は乗車を見送って待機列の先頭で待ち、次の便で座席を確保するよう工夫はしていきました。

地元駅に着くと、ドラッグストアに寄って大きな絆創膏を探しました。パッドサイズが45mm×35mmという物が一番大きかったため、ひと箱購入しました。私の場合、家族に手伝ってもらって、このサイズの絆創膏を左右に一枚ずつ貼る形で用は足りました。しかし、鏡に反転して映る創部を見ながら自分一人で絆創膏を貼るのはかなり大変だったため、一人暮らしで手を借りられない場合などは、腰の創部を一枚で全てカバーする大きいガーゼを当ててテープで止めてしまう方が現実的だと感じました。

適合通知から116日目(退院翌日)~同255日目(厚労相感謝状) ⇨ _完_ へ



術後の体調に関する骨髄バンクのデータ

ドナーのためのハンドブックには、ドナーの手術翌日の体調について下表の様なデータが載っています。こういった症状が出る確率だけでなく、こういった症状が出る体質を持っている人の比率という要素も有りそうですが、多くの方が歩行に問題のない体調だったようです。

ドナーのためのハンドブック(2022年10月1日 第8版発行)p58より


ハンドブックには、退院時アンケートに対する回答をまとめたデータも載っています。私は喉の痛みが少しあっただけですが、退院時では採取部位の痛みが少し残ったドナーが多いようです。

ドナーのためのハンドブック(2022年10月1日 第8版発行)p55より



次回予告

次回は、退院後のあれこれ。退院後も、術後検診や 3カ月アンケートなどが有るため、その辺りのことを書いていく予定です。(了)




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