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萌え絵=ポルノ?ゲーム脳?ロック=不良の音楽? もっともらしい理由で若者の流行を叩く光景

目次
▽もっともらしい理由で萌え絵を断罪する人々

・萌え絵は、女性を性的消費するためのもの?
・萌え絵を擁護する女性は名誉男性?①萌え絵を描く女性絵師
・萌え絵を擁護する女性は名誉男性?②女の子を見ていたい女性
・萌え絵を擁護する女性は名誉男性?③男性向け/女性向けは超えられる壁
・萌えキャラのようにかわいく成れない辛さ?
・萌えキャラは性犯罪を助長する可能性がある?
▽ゲームをやると脳が壊れるというゲーム脳の流布
・一見してわかる乱暴な説も、時代の空気次第でウケる
・同じ操作を繰り返すゲームで、ゲーム脳になる?
・前頭前野の機能を確認するGo/No-Go課題
・一世を風靡した疑似科学 いまなお信じ続ける人々も
▽ロックは不良の音楽と言われた時代
▽まとめ

萌え絵を支持する側は「話が合わないから放っておいてくれ」と言い、萌え絵を批判する側は「市民的公共性に反するものだ」と叫ぶ。

こうした萌え絵批判の構図を見ていて、筆者は「これって、もっともらしい理由で若者の流行を叩く、いつもの光景だよなぁ」と感じるようになった。

大人が若者の流行を叩く光景は、日本でも何度か繰り返されてきたものだ。60年代にロックが流行ったとき、80年代にゲームが流行ったとき、そして今度は萌え絵である。

「萌え絵は女性の人権に関わる問題であり、ロックやゲームとは違う」と強弁する方々も居るだろうが、敢えて断言する。同じだ。

もっともらしい理由で萌え絵を断罪する人々

「萌え絵=ポルノ」と断罪して回っている人々は、もっともらしい理由を述べているものの、見えていないことが多いように思う。

キズナアイの騒動では、「へそを出したり、腋を見せたりして、男に媚びている」と指摘されていた。

しかし、世間体など気にしないで、女性は自分が好きな服を着れば良いというのが本来のフェミニズムだったはずだ。ミニスカートの女王と呼ばれたツイッギーは、はしたないと眉をひそめる世間の目を問題にしない女性の象徴であった。

だいたい、男に媚びている云々を理由として持ち出すこと自体、「女性の服装は男目線で選ぶもの」という性別に囚われた物の見方を感じる。

本人がかわいいと思う服を自分のために着ることについては、何の問題もないはずだ。自分がどう在りたいかで服装は選べばよく、男に媚びているなどという指摘は大きなお世話である。

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萌え絵は、女性を性的消費するためのもの?
萌え絵に対する批判としては、「萌え絵は、女性を性的消費するための絵だ」という、もっともらしい理由が繰り返される。

しかし、萌え絵はあくまで人の手によって描かれた【絵】だ。描かれた絵であるからには、次の一文を大前提にしないのはおかしい。

この萌え絵はフィクションです。実在の人物や団体等とは関係ありません。

仮に、性的に誇張された萌え絵を見て不快になったとしても、萌え絵はリアルの女性とは無関係であり、リアルの女性を傷付けているわけではない。

絵に感情移入して自分を同化させてしまう感性は決して悪いものではないが、それで自分の心が傷付くようなら、感情移入をコントロールする鑑賞術を身に着けたほうが良い。フィクションは、あくまでフィクションとして見るものである。

先の大前提は、BL絵やイケメン絵といった逆の立場でも同様だ。リアルではあり得ないようなイケメン絵が描かれたとしても、リアルの男性とは無関係であり、リアルの男性を傷付けるものではない。

もちろん、リアルに実在する人物をモデルとして描いた萌え絵ならば、話が別だ。その萌え絵がモデルとなった人のイメージを壊すものであれば、名誉毀損などの話になってくる。

しかし、フィクションとして描かれた萌え絵を捕まえて、不特定多数の女性の敵とする話の展開には無理がある。萌え絵はフィクションであって、実在の人物や団体などとは関係がない。

萌え絵を擁護する女性は名誉男性?① 萌え絵を描く女性絵師
男性ウケするように、へそを出したり、肩を出したり、ミニスカートをはいたり、「男にとって都合のいい女」を描いた萌え絵。そんな萌え絵を擁護する女性は、名誉男性である。

こうした主張は、萌え絵に抵抗のない女性たちの存在や、単にかわいいものを見ていたい女性たちを無視したものだ。

萌え絵を描く絵師の中には、子どもの頃からかわいいお姫様を描いてきた延長で、いまは仕事として萌え絵を描いている女性たちも居る。自分がかわいいと思って描いてきたものが、男性にもウケたという女性絵師たちである。

クリエイターは一定の思いを持って作品を作るわけだが、受け手はクリエイターの思惑通りに受け取るわけではない。自分が事前に想像していたのとは別の方向から褒められることだってある。

それを、「男にウケているから男に媚びた絵だ」と断じてしまうのは浅はかだろう。

萌え絵を擁護する女性は名誉男性?② 女の子を見ていたい女性
女性たちの中には、男性と居ると緊張するし筋肉にも興味がないから、かわいい女の子を見ていたいという層も存在する。

その動きは写真集ではたびたび表れており、石原さとみさんの写真集『encourage』では購入者の7割が女性、白石麻衣さんの写真集『パスポート』では3割が女性というデータがある。

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かわいい女の子を見ていたいという女性が街中でかわいい女の子を見つけて、女の子と目があった時、会釈でもされれば平穏な出会いとなるだろう。

しかし、リアルな街中では「キモいんですけどぉ?」と返されて傷付くリスクだってある。

だが、写真集などであればそうしたリスクを回避したまま、かわいい女の子を見ていられる。コンテンツになったかわいい女の子が、女性にとって癒しとなるケースは実際にあるのだ。

萌え絵を擁護する女性は名誉男性?③ 男性向け/女性向けは超えられる壁
コンテンツの世界では、男性向け/女性向けの壁が下がる、時には無くなってしまうことが起こる。

例えば、少年漫画から始まったテニスの王子様や銀魂には、多くの女性ファンが付いた。また、ラブライブ!や THE IDOLM@STER などの男性向け作品にも、女性ファンが付いている。さらに、プリキュアやアイカツ!などの女児向け作品に、成人男性のファンが付くことだってある。

娘に付き合ってプリキュアを見ていた FUJIWARA原西氏がプリキュアのファンになったことを熱く語り、ついにはアニメ本編にまで登場したのは有名な話だ (スマイルプリキュア 17話)。

萌え絵に関しても、かわいいものを見ていたいという女性ファンが付くことがある。萌え絵の愛らしさを男への媚びに結びつける人もいるだろうが、素朴にかわいい女の子と感じる人も多いのだ。

そうした心理を無視して、萌え絵を擁護している女性たちを「男尊女卑の立場に立つ名誉男性だ」と非難するのは見えている世界が狭い。

確かに、コンテンツを消費するにあたって、「これは男性向け」「こっちは女性向け」という壁を感じることはあるだろう。しかし、その壁は隙間のない鉄壁ではなく、障害走に使うハードルのような簡単に超えられるイメージを持つ方が正しい。

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萌えキャラのようにかわいく成れない辛さ?
「萌えキャラのようにかわいく成れないことを辛いと思う人がいる」というのは、一見すると、弱い立場にいる人に寄り添うような理由だ。

フェミニズムが訴えてきた女性のジェンダー・ロールからの解放。すなわち、女性であるということを理由として女性に求められる社会的役割から、女性を解放するという主張に通じると思う人も居るだろう。

しかし、萌えキャラは、女性に対するロールモデル・手本の提示ではない。

萌えキャラを描く絵師は、もっと素朴に「こういう女の子ってかわいくない?」と共感を求めているだけだ。

よって、受け手としては、そう思うかどうかを感じるだけでよく、「これが男性の求める理想の女性像で、自分もそうならなきゃ」と考える必要性は皆無である。

あなたはあなたらしく生きれば良いわけで、萌えキャラを女性のロールモデルであるかのように受け止めるのは過剰反応だろう。

もっとも、ネットのノリで「○○はオレの嫁」と萌えキャラが理想の異性であるだと公言する者はいる。

しかし、よく知らない他人が言っていることであれば、自分の人生には関わりのない相手であるため無視すれば良い。世の中には「△△はオレの嫁」もいれば、「□□はオレの嫁」もいるわけで、特定の萌えキャラが唯一のロールモデルとなることは無い。

仮に悩むことがあるとすれば、意中の相手がそう言っていた場合だけであり、それは2人で話し合って決める特殊なケースだ。

萌えキャラは性犯罪を助長する可能性がある?
「萌えキャラは性犯罪を助長する可能性がある」というのも、よくあるもっともらしい理由だ。

この犯罪助長説の元は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(1988-1989年)を犯した宮崎勤元死刑囚(2008年6月刑死)であると見られる。

宮崎元死刑囚の自宅には暴力的、性的、猟奇的な内容を含むマンガやビデオが大量にあったため、アニメやマンガ、ゲームなどが若者に悪影響を与えるのではないかと議論にもなった。

しかし、これは「もともと犯罪傾向が強かった宮崎元死刑囚が、アニメやマンガの収集もしていた」のであって、アニメやマンガの影響で犯罪に走ったというわけではないだろう。

実際、その犯罪傾向の強さに関しては、宮崎元死刑囚による家庭内暴力や動物虐待の証言があがっている (短気でカッとなると母親を殴る、妹の髪を引っ張って殴る、飼い犬への虐待、猫を虐待の末に殺すなど)。

一方で、宮崎元死刑囚が持っていたビデオテープ5793本のうち性を扱ったものは18本と報道されており、暴力的、性的、猟奇的なものはごく一部だった。『仮面ライダー』や『ウルトラマン』、普通のTV番組の録画など、大半は問題のないものであり、ジャンルに関係なく無作為に収集していたことが分かっている。

また、一橋文哉氏による『宮﨑勤事件—塗り潰されたシナリオ―』には、宮崎元死刑囚は収集だけで満足してしまって、テープのほとんどは鑑賞していなかったとある。

「もともとヤバかった宮崎元死刑囚が、ヤバいスプラッタービデオを持っていた」と事象を並べることは可能だ。しかし、「このビデオこそ、宮崎元死刑囚を狂わせた原因だ」という因果関係の立証は不可能だろう。

ところが、耳目を集める事件が起こるたびにアニメやゲームの影響を疑われることは続いている。

記憶に新しいものとしては、座間9遺体事件(2017年)だ。しかし、この事件において、容疑者の自宅からアニメやマンガ、ゲームが押収されたという報道はない。

ゲームをやると脳が壊れるというゲーム脳の流布

2002年、森昭雄医学博士が『ゲーム脳の恐怖』という本を出版して話題となった。

ゲーム脳とは
ゲームには以下のような作用があると考えられる
・ゲームでは視覚と運動の神経回路だけが働き、考えることがなくなる
・ゲームを長く続けると、前頭前野の活動低下が慢性化する

よって、週に3、4回、1日に2時間~7時間ゲームをする若者は、情動の抑制や判断力を司る前頭前野が機能しない『ゲーム脳』になってキレやすくなる。

ゲーム脳が背景にあると思われる若者の行動
・若い女性が電車の中で化粧をする
・若者が電車のドア近くの床に座り込む
・若者がストラップやアクセサリなどたくさん身につける
・男性が腰パンを、女性がローライズパンツをはく
・若者のカップルが人前で抱き合ったり、キスをしたりする
・若者が定職に就かずにフリーターになる

要は、最近の若者のけしからん行動はゲームが蔓延しているせいだと言う話である。

一見してわかる乱暴な説も、時代の空気次第でウケる
このゲーム脳がいかに乱暴な説であるかは、ゲームをやってきた層なら一見して分かるはずだ。

人前でキスをするようなリア充や、腰パンやローライズパンツなどイキったファッションをするのはリアルが忙しい層だ。そんなリアルが忙しい若者は、「週に3、4回、1日に2時間~7時間」などというゲーム漬けの日々は送っていない。

しかし、2002年は、次のようなハードやソフトが出てきた時代。高性能な次世代機が開発・市場投入されるほど、ゲームが流行していた。

ハード
・PlayStation 2 (2000年)
・ゲームキューブ (2001年)
・Xbox (2001年)
・ゲームボーイアドバンス (2001年)

ソフト
・鬼武者 (2001年)
・大乱闘スマッシュブラザーズDX (2001年)
・メタルギアソリッド2 (2001年)
・キングダムハーツ (2002年)
・ポケットモンスター ルビー&サファイア (2002年)

当時の大人たちは、「何度もコンティニューできるゲームをすると命の重みがわからなくなる」という危惧を持っていた。

そこに、「ゲームによって脳の前頭前野に支障が出ることを観測した」というもっともらしい理由を添えたゲーム脳が登場した。ゲームの流行に眉をひそめていた大人たちには、このゲーム脳が大いにウケたのである。

同じ操作を繰り返すゲームで、ゲーム脳になる?
森博士は、パズルゲームであるテトリスなどに熱中している人間の脳波を測ると、前頭前野が発する脳波が激減すると発表した。

ゲームでは、ルーティンとなった操作を繰り返す。そのため、目から画像情報が入って視覚野、運動野、延髄を経て、ボタンを操作するという回路が強くなる。前頭前野でいちいち考える必要性が無くなることから、その機能が低下すると森博士は説明している。

筆者としては、ここで反論せざるを得ない。

ルーティン操作でクリアできるゲームはあまりにタイトル数がなく、現実と乖離している。

メタルギアソリッド2やキングダムハーツなど、売れているソフト、プレイ時間が長いソフトには、同じ操作の繰り返しにならないものが多い。視覚情報に対する反射だけでメタルギアソリッドをクリアできるなら、ぜひプレイ動画をアップしてほしいぐらいだ。

メタルギアソリッドは、敵拠点に潜入して目的を果たして脱出するという、潜入任務を楽しむアクションゲームだ。

主人公が単独で敵拠点に潜入して行動するため、敵の動きを確認しつつ、敵に見つからないように動くことが基本となる (見つかると増援を呼ばれて1人対複数人の銃撃戦となる)。

敵拠点ではいくつもの区画や階層を進むことになるが、遮蔽物の位置も違えば、多くの敵が警戒警備のために歩き回っている。そのため、プレイヤーにはその場その場に適した臨機応変な操作が要求される。

特定のゲームを極めるために、40回、50回と繰り返しプレイしてルーティンにしていくという遊び方は存在する。しかし大半のゲーマーは、ある程度の試行回数でクリアをしてしまった後は、別の新しいタイトルを遊び始めるものだ。

ゲームの有害性を、同じ操作の繰り返しに求めるのは無理がある。

前頭前野の機能を確認するGo/No-Go課題
脳の前頭前野は反応の抑制と切り替えを司っている場所であり、その機能を確認するテストの1つに Go/No-Go課題というものがある。

具体的には、ランダムに文字が表示される画面を被験者に見せて、Q、P、Tが表示されたときはすばやくボタンを押してもらい (Go)、Xが表示されたときはボタンを押さない (No-Go) といったテストだ。前頭前野が機能していれば反応に抑制がきくため、Xが表示された時にボタンを押す間違いが少なくなるという結果が出る。

筆者の目から見れば、「画面に敵が現れたら撃って、味方だったら撃たない」という話であり、「これってそのままゲームでしょ?」と映るテストである。

Go/No-Go課題で前頭前野の機能を確認できるのであれば、Go/No-Go課題を繰り返すゲームは、むしろ前頭前野の機能を高めるのではないだろうか。

一世を風靡した疑似科学 いまなお信じ続ける人々も
「最近の若者はけしからん」という森博士の主張と流行りのゲームとをこじつけて、まとめて叩こうとしたように見えるゲーム脳。

しかし、それでも一世を風靡して、大きな声を手に入れてしまった。

ゲーム脳に関しては、津本忠治医学博士や久保田競医学博士、川島隆太医学博士などが批判を行っている。また、2003年度には第12回日本トンデモ本大賞にノミネートされて、次点に選ばれた。

それでもなお、いまだにゲーム脳を信じている人々が存在する。筆者は、これを、もっともらしい理由を考えついた際の教訓だと思っている。

ロックは不良の音楽と言われた時代

THE BEATLESが来日した60年代や、矢沢永吉氏のCAROLなどが活躍していた70年代。ロックは不良の音楽と呼ばれ、エレキギターは不良が持つものと言われていた。

60年代は、THE BEATLESの7番目のアルバム『Revolver』(1966年)のように、ドラッグ体験を元にしたサイケデリック・ロックが流行った時代だった。また、CAROLが打ち出したリーゼント・革ジャン・革パンツというファッションは、若者の心を掴んでヤンキースタイルとして拡がっていく。

こうした状況に当時の大人たちが眉をひそめ、ロックを不良の音楽と呼んで若者たちが触れるのを嫌うことは理解できなくもない。

しかし、それから半世紀を経た今はどうだろうか?

今日、THE BEATLESはロックが生んだ伝説のスーパースターとして語られるのが一般的だ。

さらに2016年には、フォークの神様やロックの神様と呼ばれるボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞している。

その破天荒な生き様が目を引く矢沢永吉氏は、血の気の多いファンをけしかけて暴走族同士の抗争に明け暮れるわけでもなく、ドラッグに手を出すわけでもなく、日本を代表するロックシンガーとなった。矢沢永吉氏による日本武道館公演は、2017年に142回となり、最多公演回数の記録を更新中だ。

1つの流行に対する評価が、ここまで変わるのが人間社会である。にもかかわらず、自分がいま感じた感想を普遍的なものと捉えて、それに同意しない人々を非難するのは止めておいた方が良いだろう。

まとめ

筆者は、現在の萌え絵が多く使われている状況は、萌え絵が2010年代における今風のスタイル・画風だからだと考えている。いずれ、次の新スタイルが流行るようになるはずだ。

また、オタク文化の中で育てられてネットを通じて広まった萌え絵の背景を考えると、「気に入らないから止めろ」と声を上げても味方は増えないと思っている。

萌え絵を見て楽しめる層にとっては、「あなたとはセンスが合わないんだから、放っておいて欲しい」という話であり、次の流行スタイルが出てこない限りは「そっちのセンスが時代遅れなだけ」と言われるのがオチだ。

一方、萌え絵を描いている絵師たちの多くは、ネットで自分の絵を発表することが当たり前の世代だ。こうした「自分は、自分で自分の絵を発信して、その良さを広めてきた」という絵師から見れば、「私の絵が嫌いなら、あなたが自分で描いて発表すればいいでしょ?」という話にしかならない。

ネットは、Twitter などの双方向サービスが整ったため、批判・批評がうるさい世界となっている。

しかし、筆者は、ネットはクリエイター優位の世界だと考えている。

なぜなら、議論している間に割って入って、「見たいのは、こういうのでしょ?」と解答案を出せるのはクリエイターだからだ。そして、その解答案に沢山の「いいね!」が付けば通るのがネットである。

萌え絵を批判するために、フェミニズム的なもっともらしい理由を捏ねくり回している暇があったら、自分で萌え絵の先を行く新しいスタイル・画風を作り出す方がはるかに生産的だろう。

そもそも、マンガ・アニメ界の巨匠である宮崎駿氏や手塚治虫氏が作品に散りばめたフェチズムやエロスの方は叩きにいかずに、若手作家の多いオタク文化から出てきた萌え絵を選んで叩いている時点で、もっともらしい理由としても貧弱である。

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