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江ノ電と稲村ケ崎「霊夢」

私の夢に、35歳の時に自死した友人がちょくちょく登場する。彼女とはとても仲が良かった。親友と呼べる。私たちは、関西にある女子高で出会い、そのまま、数年の時間を、一緒に関西で過ごした。
お互い結婚し、彼女は九州へ、私は静岡へ。それぞれ別の土地へ行った。彼女が亡くなるまで交流があった。

江ノ電で向かう先


この彼女が、なぜか、夢の中で、江ノ電に乗ろうと私を誘う。
私は江ノ電には乗ったことがない。 映画とかで見る画面を思い浮かべるのか、電車は海沿い際を走っている。 海に行くの?と聞く私に、「ううん、〇〇ヶ崎で降りるよ。」という。 
私たちは、一緒に駅を降りる。 切符を渡したら、周りにぽつぽつと建物がある、細い道を15分くらい歩いただろうか、海がみえてきて、近くにこんもり茂った丘のようなところがあった。山道をしばらく歩くと、洞窟が見えてきた。
洞窟は、ごつごつした岩で、上に草が生えていてる。奥が暗いので、とてもいけない。また目の前は海といっても、磯とか、岩場という感じで、とても波が近く、波音が聞こえる。
彼女は「ついたよ。この洞窟に来たかったんだ。」という。

きれいな場所なのに、私はとても怖い。
気味が悪い場所だ。
大きな波の音も不安になる。

ここに何しに来たの? と言って、彼女のほうを向くと、白い防護服?シロアリ駆除服?みたいなのを着た、見知らぬ人が立っていた。
ここで、あまりの驚きと怖さに目が覚める。
時計をみると2時であった。

夜中の2時~3時に、冷や汗をかいて起きる夢

夜中の2時~3時の間に、冷や汗をかいて起きる夢は、霊界からのメッセージであることが多い。怖すぎるため、そのまま朝まで眠れなくなってしまう。

この夢のこと、つい最近まで忘れてたのだけど、2度目を見たため、もしかしたら、本当にある駅なのかも? と思い、江ノ電のHPを見てみた。

稲村ケ崎駅と、稲村ケ崎伏龍基地の痕跡

私は江ノ電に乗ったことがないため、駅名をきちんと覚えられなかった。けれども 〇〇ヶ崎・・・という最後にヶ崎がついた駅名であることはわかった。調べてみると実際にその駅名を見つけることができた。稲村ケ崎駅である。駅舎の様子が、私が夢で見たものと同じであった。Googleさんは優秀だ。そこから徒歩でいける洞窟を探してみた。すると、ちょうど徒歩15分くらいの位置に、稲村ヶ崎海岸公園という公園があり、そこに、「伏龍基地の痕跡」という洞窟があったのだ。

波打ち際にある、洞窟。ほかにも多数ある。

海底で自爆する伏龍


伏龍とは、海軍で真珠湾攻撃の作戦を練り、連合艦隊司令長官山本五十六の腹心といわれた黒島亀人軍令部第2部長が編み出したとされる、人間兵器らしい。太平洋戦争終戦の3か月前、日本本土を守る最後のとりでとして、海の中から、潜水夫が敵船の船底をめがけて特攻する「伏龍特攻隊」という部隊が編成され、その基地とされたのが、ここ稲村ケ崎だったのだ。
様々な資料によると、集められたのは、10代の学生ばかりだったらしい。この即席で考えられたお粗末な特攻服に問題があり、訓練で100名以上亡くなったという。実際に戦争に導入されることなく終戦を迎えたそうだ。
特攻服の写真を見て、私の夢に出てきたシロアリ駆除の人みたいなのは、この特攻服だったんだと思った。

伏龍といわれた10代の若い学生兵士たち

無念の死を遂げた若者たち


おそらく、稲村ケ崎の伏龍基地では、国のために戦争に行くつもりが、お粗末な国の政策と、上官による無謀な訓練で命を落とすという、無念の死を遂げた若者たちが多数いて、無念な霊がさまよっているのだと思った。

そもそも、海底にひそんで、敵艦船に、魚雷を持った人間が飛び込むという、まさに、竹やりで戦艦に向かっていくという、無謀でしかない戦略。テロリストでもやらんと思う。海底の深さを知らなかったのか? 海には波があることがわからなかったのか? 何よりも、命は一つしかなく、皆平等で尊い事に気づかなかったのか?

なぜ親友は私をここに誘ったのか?


理由はわからない。私も親友も稲村ケ崎には一度も行ったことがない。戦争も知らない。世の中には、やりたい事をして、天寿を全うできて、何も思い残すことなく死ねる人ばかりではないのだ。今の日本なら、やりたい事をして、天寿を全うできる環境はある。その尊さに気づけたのも、先人たちの過ちを繰り返さないという気持ちがあったからだと思う。
親友にも無念な気持ちがあったのか?その無念さがこの場所を引き寄せたのか? なぜこの場所だったかはわからない。
でも、夢で見た場所が実在して驚いたのはいうまでもない。


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