#6 肉の重さ

10代の頃のわたしは、女の子でも男の子でも、棒っ切れのように痩せた手足の長い人に惹かれていた。

肉感的な脂肪を纏わないその体に、風のように走れるような、何処までも飛んでいけるような軽さと自由を感じていた 。

未分化な性別感も重要なポイントで、「脂肪」と「筋肉」が無いことに両性具有的ロマンスと、双方がジェンダー的なあるべき性の投影を負っていないところに性別的役割からの解放を視ていた。

しかし細く尖った体に魅力や憧れを感じつつも、自分もそうならなければならないというような、差し迫った願望は当時はあまり持っていなかった。
どちらかといえば顔の大きさとか、鼻の形とか、鮫肌とか、部分的なパーツの方に激しいコンプレックスがあった (さらに遠距離の自転車通学だったので、生活上の必要から足の太さ等は敢えて気にしないようにしなければならないというのがあった)。

本格的に痩せたい、というより痩せなければという強迫観念に囚われたのは20代前半

大学を卒業したもののなかなか正職に付けず、実家で有期雇用のアルバイトなどをしながらやり過ごしていた。
 自分のような正道を踏み外し、形もグニャグニャしてよく分からない人間が無為に生きていることに、生かされていることに罪悪感を覚え始めていた。息を吸って吐いているだけで耐えきれないほどの倦怠感と罪を感じた。

素晴らしい作品を創り出す訳でもなく、摂取したエネルギーが何か有意義なことに消化されるわけでもなくただ身体に栄養を蓄え、太っているのはおかしいという狂乱した気持ちに取り憑かれていた。
極端な食事制限と過重な運動で体重は減り、長い間、生理が止まってしまった。健康に不安を抱えつつも、妊娠する可能性の有る身体から「解放」された時は「女の体」から生活、人生を取り戻したようだった。

無価値な上に太って醜い自分が存在していることに耐えきれず始めたダイエットの反動で、わたしは摂食障害になった。不健康な心身と引き換えに痩せた体を手に入れても、自分が生きていていいと思える実感だけは、ポッカリと抜け落ちていた。

何か自分がここに存在していても良い理由を、兎に角造り出さなければならない。

自分が唯一一生懸命励めることは、絵を描くことだけだった。


他人から評価される事を目的にした絵を描き、上手くなるために閉め切ったカーテンの部屋で野菜やティッシュの箱をデッサンしたりした。

高校生の頃、個人宅の絵画教室へデッサンを習いに通っていた。
わたしは感覚過敏が有り、モチーフを数人で取り囲んで会話もせずにただ一点を見つめて、各々が鉛筆や木炭を動かす音だけを忙しなくさせる空間がとんでもなくストレスだった。
他人の動作音だけが耳元で忙しなく聴こえ続けるストレスで動悸がし、堪らなくイライラし、呼吸は上手く出来ず、正気を失わさせるような不快感を誤魔化すためにカッターで細く尖らせた鉛筆の芯先を太ももに刺したりしていた。
その時のストレスは未だに尾を引いていて、絵を描く事に不必要なプレッシャーを感じさせたり、吐き気に襲われたり冷や汗をかいたりしている。

極端な食事制限の反動で大量に食べては吐く行為は、段々絵を描くストレスを誤魔化すために過食しては吐く行為へと、少しずつスライドしていった。

こうした色々なストレスや強迫観念を引き金にしながら過食嘔吐は回数を増し、肉体的にも精神的にも痩せ干そり追い詰められていた。

そんな病的な日々が極限まで行き着いた時、肉感的な脂肪のある体を肯定したほうが、自分が自分であること、ひいては自分が女であることを受け入れられるのではないか?という考えに至った。

他人から必要とされなくても、本当に描きたいものを取り返さなければ健康的に絵を描き続けていくことが出来ないことにも、気付いてしまった。

わたしという魂を拘束し、「女」という現実に縛り付けてくるこの肉体に、きちんと向き合い肯定しなければならない

そう思い立ってからはそれまで避けてきた肉感的な女性を敢えてモチーフに選んで描くようになった 。

2014年のことだった。

続く

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