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縄文人は芸術人

群馬県北部から長野県方面へと伸びる国道145号線は真田街道とも呼ばれる。
その名の通り、群馬県の沼田市から長野県の上田市までは真田家の旧領。
JR吾妻線、鄕原駅にこんな表示。

駅は遺跡でもあった。

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ハート形土偶が発見された地。現在は東京国立博物館保管。高さ30センチという結構、大きな土偶。
これは何を表しているのか。そんなことを考えていると、過去に書いた縄文時代の記事を思い出す。


群馬県北部には縄文時代の遺跡が点在。ヘッダー画像は矢瀬遺跡に再現されている縄文人の住居。
住居にも過ごしやすい工夫がしてある。
誤解されがちなことですが、ローマ人が巨大な石造りのコロッセオを作り、中国人が王朝を営んでいた時期に、日本人は未だに原始人みたいな生活をしていたというものですが、根本的に間違っています。
縄文人は平和に共存して、豊かな芸術センスを持って日々を楽しく生きていた。
縄文人は歴史なき原始人や野蛮人ではない。歴史を遺さなかったのはその必要がなかったから。人間の歴史は戦争の歴史。自然と共に生きた彼等は互いに争って奪い合い、殺し合うことがなかった。そう思っています。
巨大な建造物は数多の奴隷労働の賜物であり、王朝とは支配権の取り合いでしかない。共生社会を一万年以上に渡って営んでいた縄文人には縁のないこと。
現代人よりも遥かに高い精神性を持っていた。
原日本人と言うべき縄文時代とそこに生きた人々を妄想した記録が上記の『縄文ブラン』
それを英訳した記事を公開。↓

郷原駅近くの国道沿いにはハート形土偶をモチーフにしたモニュメントもあります。そちらの画像も掲載。
どうぞご覧下さい。

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