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黒田長政バすき焼き

福岡市の西公園に光雲神社(てるもじんじゃ)。
御祭神は黒田如水と長政親子。
現代の福岡の基礎を作った戦国大名親子。


光雲神社。
柳生新陰流の稽古が行われていました。剣術をやっていたから、観ていると血が騒ぐ。

ところで島根県には鯖のすき焼きという料理があると聞く。
ということで島根県とは何の関係もないけれど、黒田長政と福岡の繋がりを妄想したという、超こじつけの記録。


材料

鯖    1尾
白菜   少々
葱    1本
しらたき 1袋
エノキ  1袋
豆腐   1丁
餅    小さいの4,5個
出汁醤油 400ml
酒    100ml
水    400ml
卵    お好みで

すき焼きに餅?と思うかもしれませんが、これは縁起物。
太宰府天満宮で餅撒きをしていて、其処で拾った。


好きな物を入れるのがすき焼き。ということで餅も入れる。

永禄十一年(1568)播磨国に誕生した松寿丸が後の黒田長政。
父親は黒田官兵衛こと如水。

現在、福岡と呼ばれているエリアの名付け親は長政。
元々は筑前国とか博多。
黒田家発祥の地が備前国(岡山県)の福岡だったことから、この地の領主となった長政が出身地の名前を持って来たのが始まり。
それが今では市の名前になり、県名にまでなった。
九州と縁が出来たのは父、官兵衛の頃。
切れ者の軍師だった父は秀吉に恐れられて、豊前中津の領主とされ中央から遠ざけられた。

鯖を食べやすい大きさに切る。

陰謀をよくした父とは異なり、長政は基本的に実直でしたが武断派と言われる通り、時にはかなり荒っぽい所業。
豊前の在地勢力、城井鎮房は秀吉や黒田家に反抗的。
伊予国への転封を命じられても本領安堵を求めて従わず。
ついに居城、城井城に籠って戦。
天険の要塞である城井城を攻め落とせず、黒田勢は敗北。よって長政は策謀を巡らす。
鎮房の娘、鶴姫を自身の室に迎えて本領も安堵すると言う条件で和睦。


野菜を切る。

舅と対面という名目で中津城に招いた鎮房を謀殺。
城下の合元寺に控えていた鎮房の家臣達へも討手を差し向けて皆殺し。
飛び散った血で寺の壁は赤く染まった。いくら塗り替えても血の沁みが出てくるので赤壁にしてしまったという。
鶴姫も処刑。
父、官兵衛が授けた策だったとも言われますが、この騙し討ちで豊前を平らげたものの、後ろめたさからか祟りを恐れて城内に城井神社創設。
筑前に移っても城井一族の祟りは続いたと言われ、それを鎮めるために建立されたのが福岡市の中心、天神の警固神社だと言われます。
非情ですが、そうしなければ領地を治める能力なしとされて、黒田家が秀吉に咎められたことでしょう。


鯖に熱湯をかける。臭み取りのため。

他にも秀吉死後、君則の奸として石田三成を除こうと福島正則や細川忠興らと共に襲撃。
福島正則と喧嘩したとか血の気の多さを感じさせる逸話。
正則と仲直りした時に互いの兜を交換。
正則の一ノ谷形兜を貰い受け、長政は自分の水牛の脇立て兜を正則に贈り、互いに交換した兜で二人は関ヶ原に臨んだ。


光雲神社で見た水牛脇立て兜。

秀吉亡き後、天下人になるのは家康と見た長政は徳川家のために吉川家を通じて毛利勢が積極的に西軍として動かないように交渉。戦場でも長政率いる黒田勢は石田三成の右腕、島左近を討ち取る活躍。
又、蜂須賀正勝の娘と結婚していたのですが、離別して家康の姪を新たに正室に迎える。これらの措置もすべて黒田家を発展させ、存続させるため。
父の如水が時折、思い切った行動を取ったのとは違い、堅実さを感じます。


材料と調味料を鍋へ。

こうして家康の覚えも目出度くなり、関ヶ原後に黒田家は豊前十二万五千石から筑前五十二万石へ栄転。
風見鶏的にうまく立ち回ったというだけではなく、武士の情けも知る人物だった逸話があります。
関ヶ原後、捕らえられた石田三成が大垣城の門前に座らされていると、其処に通り掛かった東軍の武将の多くは散々に三成を罵倒。
しかし長政だけは
「此度のことは誠に残念でした。しかし皆、自分の家を守らねばなりません。わかって下され」
と労いの言葉を掛けて、自分が着ていた陣羽織を掛けてやった。


いい感じに煮えてきた。

筑前に入った長政は名島城に入りましたが、手狭であり領地の外れなのでより中心に近い所ということで福崎と呼ばれていた地に新たに築城。それが福岡城。城下町もこの時に福岡と名を改めた。


黒田長政バすき焼き

牛肉のすき焼きと同じように溶き卵に絡めて頂きました。
使用した出汁醤油は実家から貰った物。作っているのは兵庫県でしたが、かなり甘めな味。これが九州好みということか。
鯖のいい出汁が出ている。
卵、豆腐や鯖からタンパク質。DHAやEPAという血液サラサラ効果が期待出来る成分が鯖には含まれる。牛肉よりも脂質が少ないのでヘルシー。
エノキダケや白菜から食物繊維。葱のアリシンで食欲増進で食も進む。
縁起物の餅から活動に必要な炭水化物を摂取。
肉食を控えている私には丁度よいすき焼きになった。

福岡で長政は家臣達と忌憚なく意見を言い合う異見会を定期的に行った。何を言われても腹を立てずに意見を言うべしという集まり。
時折、長政の顔が険しくなったり赤くなってくると、
「殿、お怒りですか」
「いや、まだまだ」
という遣り取り。怒りという感情を制御する努力をしていたということ。
長政が開いた福岡の黒田家は幕末まで存続。お家騒動もありましたが、石高も減らされることなし。
藩祖の堅実な風を維持していたか。そんなことを妄想しながら、黒田長政バすき焼きをご馳走様でした。


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