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貧乏で鬱でぐちゃぐちゃだった人生から幸せになった話。あなたもならなければならない話。

みなさん、こんにちは。
いつも記事をご覧いただきありがとうございます。
本当はこの記事で自身の紹介をさせていただき、その後にいくつか記事を投稿する予定でしたが、編集の都合上順番が前後してしまいました。

ちょうどこの冬で上京してか5年が経ちます。自分の人生の一部を振り返る意味も込めて、noteにまとめてみようと思いました。


大学入試編


6年前、高校3年生の時です。僕は大学入試に落ちました。4年制の私立大学でした。
僕には後がありませんでした。家は母子家庭、年季の入ったアパートの2LDKに私、中学生の弟、母の家族3人で暮らしていました。大学の受験費用というのは国立で15000円、私立で30000円、北海道外での受験の場合、それに渡航費、宿泊費が重なります。
母子家庭の私たちの家庭にはギリギリの出費でした。母が友人に借金までして作ってくれたお金でした。

受験勉強で疲れていて、一人になれる環境がないことから軽い鬱病を発症していて、薬の服用もしていました。

なんとか残りの大学入試だけは、滑り止めでもいいから切り抜けよう。
大学にさえ入れれば、日本の大学は勉強が簡単だから、軽いうつ病も治っていくだろう。大学にさえ入れればアルバイトを始めて家族を助けてあげよう。大学にさえ入れれば、、、。

そう思っていた時の不合格、滑り止めまで全て落ちて「全落ち」でした。

不思議と落ち込んだという感覚ではなかったです。
「もう終わったー!!!」
「もー。どうしよー!あてもないけど北海道の札幌から出て農家に弟子入りでもしようかなー。」

そんなことを考え、小樽の地獄坂をお酒を持ちながら歩いていました。晴れていましたが、氷点下5°cでした。寒いのに。

家に帰り、母に不合格を伝えると
「そう。お疲れ様。」
とだけ言われました。
お金だってもうないのに、それだけ。
母は料理を作った後、近所のスパに行くと言って、しばらく帰ってきませんでした。

この時に僕は、僕たちの経済状況で大学に落ちたことの意味を理解しました。

この日人生で初めて朝まで家に帰りませんでした。すすきのを歩いたり、目的もなく豊平川沿いを歩いたり、意味もなく大通り公園を歩いたり。

母からは
「どこにいるの?安否だけでも教えて。」
「歩いてる。」
一言だけ返しました。

歩いてずっと考え事をしました。

大通公園さっぽろテレビ塔

ここからは3日くらい、ご飯食べませんでした。不思議ですね。お腹が減らないんです。なんとかゼリーだけ食べても、ベットから起き上がるのが辛いんです。
もう全部どうでも良くなってきたなー。

少し時間が経って少しずつ現実に戻り、戻らざるを得なくなり、少ないことから簡単に考えることにしました。

僕がとれる選択肢は3つであること、再確認をしました。そもそもこれしかないのですが。
①高卒で、フリーターから始めてお仕事をする。
②3月中旬からでも入れる専門学校、大学を探し、入学する。
③もう一度大学を受け直す。

僕は③にしました。
③にするのはいいけどお金がない。

僕は昼は学生ローンで借りたお金で予備校に通い、金曜、土曜の夜にすすきのでキャッチのアルバイトをすることにしました。
高卒で短時間で講習代、お昼ご飯代、大学入試受験費を稼ぐにはこれくらいしかなかったです。

少しグレーにも思えましたが、当時は違法性のない会社、業務であることを確認し、少しずつのコツを掴みながら仕事をこなしました。

行きの1時間のバスの中では昨日やった青チャートの問題を理解しながら読んで、昼は予備校に通い、夜はすすきので声をかけ続け、帰りはセンター試験リスニングを焼いたCDを1.5倍速にしてひたすら聞いていました。

この間にもいろいろありましたが(大学入試系の記事のときに詳しく書きます)、僕は3つの大学に合格しました。
東京都立大学、青山学院大学(入学金、授業料免除)、法政大学(入学金、授業料免除)

東京都立は都心から遠いこと、私立の大学でも奨学金をもらえたことを考え、私は青山学院大学に進学することになりました。
とても嬉しかったです。合格自体もですが、
母が「大卒が1人も出ていないうちの家系から、自分の息子が奨学金をもらって青山学院大学に行ったんだ!」と周りに青山学院のオリジナルグッズを配りながら自慢しているのも、今でも心にくるものがあります。

上京編

上京した日に登った六本木森ビルから見た光景です。「これが六本木か〜。」

家計が窮屈なことに変わりはないので、1日でも早く自分で稼げるようにならなければなりませんでした。
2019年3月、新千歳空港から羽田空港に降りた僕は、その足で、あるITベンチャー企業に面接に行きました。Youtubeなどの動画で拝見したことのある、高学歴な学生を雇ってプログラミングを学習させてくれるというインターンシップを行なっている会社でした。アポ無しでした。今考えればとても迷惑です。

事務の女性には「なんか変なやつ来ちゃったよ」と言わんばかりの表情でむかえていただき、無理やり採用担当者の方に繋いでいただきました。

「話だけなら、15分だけ可能とのことです。」ということで、海外用の重いキャリーケースを運びながら面接をしました。

「なぜ僕がプログラミングを学びたいか。」
「どうして上京したのか。」
「将来どうなりたいか。」
「おっしゃって」「申し上げて」
「御社」「弊社」
の違いもわからないレベルの話し言葉で、熱意だけを持って伝えました。

「じゃあ、最低賃金しか出せないけど、それでもいい?」

何事も伝えてみるものです。

そこからは毎日コーディングです。
1番最初はHTMLの画像やテキストを変更することでした。
バックエンド言語でも毎日8時間以上は関数を書きましたが、書けたとしてもGitが意味わかんないし。
周りは熱意補正がかからず採用された東大、早稲田をはじめとする高学歴集団でした。当然最初は落ちこぼれです。

とにかく会社では仕事量をこなし、家ではPHP、Nodeやvueも含めたJSなどの別言語を自己学習し、合間に学校の課題をやっていました。

その間に、あるプログラムでニューヨークへの3ヶ月のエンジニアのワーホリにも参加しました。
英語を学びたいと思う動機にもなりました。

上昇期編

2年が経った大学3年制の頃、社内の月間MVPなども何度もいただき、「ここの会社で今の自分に与えられる仕事は全てできる」と自信がついた私は別の会社への転職を考えました。
下流のコーディングだけでなく、上流、営業なども包括的に学びたいと考えました。日商簿記2級を取得したことで、会計処理についても触れておきたいと思いました。

虎ノ門にあるフィンテックスタートアップ企業に面接に行きました。

そこでも、
「なぜ僕がプログラミング、簿記、英語を学んだのか」
「どうして上京したのか。」
「将来どうなりたいか。」
少しだけマシになった話し言葉で、熱意と大学生ながらの実績を伝えました。

そのときに社長に言われた言葉は今でも忘れられません。
「君は成功しなければならない。それだけの努力をしてきたんだから。」

自分が努力していないとは思っていませんでした。
しかし、いざ他の人に言われると涙脆いのか、今までの嬉しかったことも悲しかったこともフラッシュバックして、面接中にも関わらず涙が出そうになりました。

そのような経緯で大学3年生の夏、幹部候補として今も勤めているこちらの会社にお世話になり始めます。
業務内容はありとあらゆる職種です。
開発、営業、メディア運営、経理、M&A基礎知識の学習、会食など
確かにエネルギーを使いますが、開発をずっとやっているよりも、なんだか自分には合っているようでした。

そこでは社長をはじめとする役員の方から、数々の施しを受けました。
行ったことのない会員制のお店に連れて行っていただいたり、テレビで見ていた芸能人、アイドルに会ったり、入ったことのないマンションの内見に行ったり。
「タクシーはいつでも使っていいからね」と言われたり。

明らかに学生にとって身分不相応でした。
僕はこういうのは楽しめちゃうタイプなので、それなりに楽しんでいたと思います(笑)

そこで半年ほどやって、「あまり大きくなければ自分で会社持てるかもしれない。むしろそちらの方が税金上お得なこともあるかもしれない。」
そう思って、前職のIT企業で一番優秀だったエンジニア(現リクルート所属)の先輩に相談したところ、
「僕のITスキルと、君の汎用性の高い能力があれば仕事は取れるよね。興味があるから一緒にやろう。」
そう言っていただき、大学3年生と4年生の間の春に、なんちゃって企業からでしたが法人を設立しました。
最初は合同会社でお家での登記でした。
free会計を使って、役所に何度も行き、税金のことを税理士に何度も電話したりもしました。
一般企業での勤務と、自分の会社、二足のわらじです。
とても大変ですが、大学入試に落ちて絶望して、家族にも申し訳なかったあの頃の大変さの比ではありません。

これから

最近の散歩コース麻布台ヒルズです。浪人の時の散歩癖が抜けません、、、(笑)

そんな起業した会社が次で3期目を迎えます。
事業内容は開発、オンラインプログラミング講師、リサイクル事業、飲食店コンサルなど、社員も増えていき、ジャンルも広がっていきました。
借り入れもありませんし、プライベートもとても幸せです。お金は人生の全てなどでは決してありませんが、多くの問題をお金で解決できます。
貧乏だった僕がいうので、温室育ちの方達が言うよりは説得力に自信があります。

今の会社に勤めて自分の会社を起こして、次のことができるようになりました。

  • 好きな友達に、お金を考えずにプレゼントを贈れる

  • 飲み屋に行ってお金を気にせず遊べる

  • 株式や仮想通貨など、自分が応援したいと思える事業に投資できる

  • 起業して初年度売上1000万円達成

  • 母親、祖母へハワイ旅行をプレゼント

  • 麻布十番のマンションへ引越し

  • いつでも札幌へ帰って友達の話を聞いてあげられる

まだまだやりたいことは山積みです。

私の目標に比べたら今の現状は何も達成していないに等しいでしょう。
上に行けばわかりますが、上には上がいるものです。上ばかり見てると、下からも追ってくるんです。

しかし、もし今人生が少し落ち目と感じている人たち、必死に取り組んでいるのに成果が出ない人たちの希望になればと思い、今までの私のお話を駆け足で書かせていただきました。

今頑張ってるのに結果が出てない方、絶対大丈夫です。
あなたの努力はあなたが想像していない形で、形を変えて必ず成果になります。

ふざけたことばかりですが、こんな僕もTwitterでも呟いているのでフォローしてくれたら嬉しいです。
https://x.com/azabuandprince?s=21

何かご相談に乗れることがあったらDMにてもお待ちしています。

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