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理解できて当たり前…?

"あんたに私の気持ちなんてわからないでしょ"

よく耳にするフレーズですが、どちらかというと冷たい人間であるワタクシはそれを聞くたびに、"そりゃそうだ"と思ってしまいます。

もちろん、わかって欲しいのにわかってもらえず、モヤモヤとした感情や悔しさを感じるときは多々あります。またこの場合、わかってもらえない怒りというよりは孤独な悲しみを抱えていることが問題だと考えられるので、どうにかして相手の悲しみや孤独を和らげられないものかと考えます。

ただ、決して相手の心の内や感情を完全なかたちで理解することはできないと思います。

このようにいうと、そりゃあそうだと思われるかもしれません。"完全"にはわからないものでしょ、と思われる方も多いのではないかと思います。

しかしそれとは裏腹に、日常生活において感じるのは、自分の感情や考えていることは理解されて当然、と考えている人がかなり多いということです。

冒頭で"冷たい人間"と書きましたが、その理由はワタクシの感覚が一般的な感覚と比べるとかなり変であるからです。一般的に嫌がられることに対し全く不快に思わず、一般的に楽しいと感じるはずのことが苦手だったりします。(そういう人間もいるんです笑)

そのため、正直にいうとあまり他人の気持ちが理解できません。それと同時に、他人にワタクシの気持ちをわかってもらうこともまた努力を要します。本当に理解ができないために望まずに人を傷つけてしまうこともあります。また、自分の心の内を正直に話しても屁理屈をこねていると言われてしまいます。事実でないから否定しているのに聞く耳を持たず決めつけられることをとても嫌うので、そういったときはとても不快な気持ちになりますね。

しかしそのおかげで、わかる・わかってもらえるという感動を人より多く味わっていると感じます。

自分にだけわからないのはおかしい、他人はこれくらいわかって当然、という感覚がもともとあまりありません。そのため、些細なことでも理解できた・理解してもらえたときにはとても新鮮な感動を覚えます。例えるとすれば赤ちゃんが初めて喋ったときみたいな感じです。(それは大袈裟)

ここからなにが言いたいかというと、ワタクシはわかる・わかってもらえる(理解できる・理解してもらえる)という現象は当たり前ではないのだと考えていることです。

これが認知されればもう少し生きやすくなる人もいるのではないかと思っています。


今回はここまでです。お付き合いいただきありがとうございました。何かご意見ございましたらコメント欄にお書きください。

自分語りのようになってしまいましたが、どのような人間であるかを知っていただくのに丁度良かったかとも思います。

次回はこれに続き、"感情"について書いていこうと思います。^_^




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