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うたがわきしみうわごとだものⅡ

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感じたことあれこれ。日常。コラム。創作日誌。エッセー的な。作品にはならないうわごと系の。二個め。文芸を志す方にオヌヌメ。
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#創作日誌

『着想の裏側』

本日通勤途中に書いたじわじわもやもや系の「ほぼ140字小説」の着想の裏側について。あ、そんなこと考えて書いてんだ、と思っていただければ幸いです。しっかし、長い間テキスト書かない間に改行の仕様変わってたんだね(笑) <ほぼ140字小説本文> 人身事故で電車が止まるたび、またかよと思う。生きていて嫌気がさす日もあるのだろうが他に方法は無かったのかと責めたくもなる。だが違った。“あれ”は常に口を開けていたのだ。ストレスや疲れを溜め込むとまるでテレビのチャンネルが噛み合ったように忽

『文縁の友よ……ひとごとじゃないよね(笑)』

ネットだと本当に、 長文読んでもらうの大変だね。 本ならどれくらいのボリュームか 見当つけながら安心して読めるけど ネットだと、だらだらどこまで 続くのかわからないっていう ストレスかデフォルトでありつつ、 読まなきゃないわけで。 文章が研ぎ澄まされてうまくて、 物語にサスペンスもあって、 読みやすく改行や成型がなされてたりして はじめて読む気になるっていう。 じゃなきゃ、ネームバリューがあるとか。 やっぱネットだと、 140文字くらいで表現できる 詩とか超短編あたり

“感じる”ことにおいては自らを狂人であると称していた宮本輝。彼はシルクロードを旅するエッセーでこう語っていた。「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、という人間くらい始末の悪い人間はいない。しかし、そんな始末の悪い人間でなければ世の中を根底から変えることなどできはしないのだ」 と。

もっと死ぬほど悩んでもいいかも。ぜんぜん足りないかも(笑)悩んでるほうが、スポンジみたいに深く読んだり見たりできるし。それが血肉になって、もしモノカキが仕事になったときに、その悩み深き暗黒時代の血肉こそが、書き続けるための体力になり、作品に滋味を与えてくれるシワになるだろうから。

人間はみんな他者との関係性のひずみの中でうごめく生物なので。かかわりあって、影響しあって生きていかざるをえない生命体なのです。でも、どう生きるかは自分で決めるものだと思います。そして、それが良いかどうかも自分で決めていい。ただし、それで金を払うかどうかは世間が決めることかと。

ピカソは人に「俺の絵を、どう思う?」などとは聞かなかった。 「俺の絵をどう思うかはお前の勝手だ」と言っていた。

東京にきて右も左もわからず、声優なんか本当になれるんかなあとか不安でどうしようもなかった時「まだ土俵にも乗ってないくせに悩むなんておこがましいよ、お前のことなんかまだ誰も知らないよ。まず土俵に乗ってやってみて、できるかどうかさんざんやってみてから悩めよ」って言ってくれた人がいた。

ゴッホじゃないけど才能だけあっても運悪く見つけてもらえなかったり、世の中の歯車と噛み合わなければ、一枚、あるいは数枚のみしか売れず、不遇のまま死ぬということもあるので、僕がいうことでもないんですが(笑)モノカキとして世に出るためには才能だけがマストではないという意識が大事かもry

『ネーミングで半分世界観が決まると思う』

ゲーム作りの話になりますが、キャラとかアイテムとかのネーミングで、敵なり味方なりに例えば「ユニコーン」とか「ペガサス」が出るとする。それは既存の幻獣だし、誰のものでもない最終幻想の世界の住人なので(笑)誰にも許可をとる必要ないんだけど。 オリジナルのアイテムを作るときは、ネーミングの際は必ずぐぐって既存のものとかぶらないかチェックする。大事なことね。 シナリオはもちろん世界を定義する上でとても大事ーー(舞台設定からドラマや善悪が生まれるし)なんだけども、シナリオの本質は、

『物語を物語るポイント』

ちょっと忙しくなるのでこれだけ記載しておこうかな。 たまたま凛恋さんと江藤 香湖さんの作品で 同じようなアドバイスをさせていただいんですが、 そこらへんの説明にもなるかなあというものです。 まあ、独学ですが、物語的なものを物語るには3つのポイントがあると思うんですよ。 ビジネスでは結論から話せよとか怒られますが(笑) ・何を語らないか。 ・どの順番で語るか。 ・結末から逆算して練る。 あくまで一つの方法としてですが、 基本はまずこの3つができると、いいんじゃないかと。

『モノカキ系の才能のある若人は今すぐ読書をやめてください(笑)って話』

もうね、わかるでしょ? ね? あのう、ただでさえ才能に溢れた方々がさ 努力しちゃったら鬼に金棒なっちゃうじゃないの。 ね。 そしたら、僕なんかもう おまんまくいっぱぐれちゃうわけですよ。 ただでさえ遅読で読書が進まない僕なんか おいすがっても追いつけない背中ばっかりに なっちゃうからね。 なので、有能なる君たちは、読書を今すぐやめてね?(笑) とまあ、枕はその辺にして 今日は読書の話を少ししましょうか。 あるとき「読書をしない人間は傲慢である」 って言葉を聞いてドキっ

世阿弥「孤高を気取って大衆を喜ばせることを忘れてはならない。かといって芸を理解した人に背を向けて大衆向けの芸だけをやっていてもいけない。大衆が理解できるわかりやすいエンターテイメントの端々に、目利きが求める高いレベルの表現をのぞかせることで、その両方を満足させなさい」だってさ。

『深い物語の秘密(タダで教えます(笑))』

この秘密を体得したら、お金を払ってもらえるものが…… 描ける……かもしれない(笑) (どうでもいいけど今日はコラムばっかりやな(笑)) いや、実際僕がお金払ってでも読みたいってものは 必ずこれがずびびーんと物語に横たわってて 深い印象を残すんですよ。アイロニーっていつもいってる部分でもあるかも。 人間て、やっぱ、一面的はないんでね、 そこがちゃんと描けてる作品にはお金払ってもいいなって 思うんですよ。 どういった気持ちが描けれていれば「僕」が いいいなあと思うのか、端的

『表現者に向いてる人を判断する方法(あくまで個人的な見解なんでよろしこ (´ー`))』

どうもね。わかりましたよ。 表現者に向いてる人を判断する方法。 一言でいうと、「へえ、そうなんだあ」で終わらない人。 え? 今さらかよ!? って思うでしょ。そうです(笑) この歳になって今さらですが、なんとなく体感として、実感として、ようやくたぶん間違いないなと思い始めました(笑) 何か読んだり見たりしたときに、「へぇ、そうなんだあ」って受け止めて理解するだけで終わっちゃうタイプの人と、すぐに頭の中で「でも自分ならこうするなあ」とか「それは実はこういう角度からみたら違う