らくだ

『はっとする日々4(声のオアシス)』――10年前の日記から抜粋――

※おばさんの「す」の話をしたら思い出したので発掘して抜粋UP


声の話。

私は小学生の頃から声にコンプレックスがあって、
ずっと自分の声が嫌いだった。
今では、好きになってきているが、
当時、カセットテープで自分の声を録って
聞いたときなどは、愕然としたものだ。

だが、数少ない友人たちが、
口々に「いや、いい」といってくれたり、
好きだといってくれたりして、
そのうち調子にのり、声優なんぞを
目指すハメになってしまったのだ。
※(実際はまったく別の理由で声優を目指したのだがそれがまた別の話)

いや、そんな話はどうでもいい。

うつ病の身内から自殺メールをもらった
昨日の今日でもあるし、
私はいつものように落ち着かない日を
過ごしていた。

がぜん、仕事にも身が入らない。
なのにお腹だけはすいて、近所の松屋にいく。

「いらっしゃいませ!」

店内に、女性店員の声が響いた。
その瞬間、何かが癒された気がした。

涼やかで、気持ちのいい声だった。

店員がテーブルに置いた私の食券を確認し、
すぐに料理が運ばれてくる。

「お待ちどうさまでした。
ごゆっくりどうぞ」

ふたたび、早春の風が一瞬吹き抜けたような
爽やかな気持ちになる。
さざめいていた心がほんわり凪いでいゆく。

マニュアルにある挨拶だとは思う。
それがこうまで胸にしみるのは、
彼女が義務ではなく、自然な気持ちで
他者に届けようとしているからかもしれない。

他の男性店員たちに目を向けると、
声量だけはあるが、何も届かない。
ただ口先だけで発声しているからだろうか。

私が働いているのは新宿という
やたら人であふれた街だ。
松屋を利用するのは、時間も金にもゆとりのない
ささくれだったサラリーマンが多い。
この私もそうだ。

東京のど真ん中で、スランプに陥り、
身内の病に心をばたつかせつつ、
孤独な戦いを繰り返している。

おそらく、多かれ少なかれ、
他のサラリーマンたちも何かを抱え、
この松屋に集っているのだろう。
みな、東京砂漠を放浪する
涙目のラクダのようだ。

ラクダたちが顔を付き合わせ、
黙々と丼をかきこみながら、
女性店員の声をじっと聞いている。

彼女の声がオアシスだ。

疲れきった心と体に、彼女のよく通る優しい声が
まるで一服の清涼剤のようにしみわたってゆく。

こういうことを感じられるなら、
時おり、心さざめくのも悪くないかもしれないな。
そんなことを思ってみる。

さて、体と心に養分がいきわたったら、仕事だ。
今日も明日も、自分との戦いは続く。

いや、その前に、しっかりお礼を返しておかねば。

おいしい声を、ごちそうさまでしたm(_ _)m

※無論、本当に書きたかったコラムはこれでもありません(笑)
いつか書けるかなあ

水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。