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るるいえのはこにわ新メンバー加入の経緯と所感

言ってしまえば、ひとりでやっていけるほど、私は孤独ではなかったのだ。


経緯

なぜメンバーを増やそうと思ったか

一年前、私は《るるいえのはこにわ》という劇団をつくる羽目になった。花染あめりに声を掛けられたからだ。紆余曲折あって、第一回目となる公演企画『人間農場』が始動した。脚本・演出からデザインまで、私は多くの作業を行なったが、力量的にどうしても上手くいかないことが多かった。

第二回目となる『心のナイアルラトテップ』ではその時の反省を活かして、フライヤーデザインはスタッフに頼むことにした。それが新メンバー二名のうちの一人、兎瑠であり、この公演に星咲千煌も(別名義で)出演していた。

負担は少し減っていったものの、まだ足りなかった。「足りない」というのは、私がラクできる割合ということではなく、今後、劇団を運営していく中で、私の技量が足りないということだった。

私は優秀ではないから、すべてをこなすなんてことはできない。これから《るるいえのはこにわ》が成長していき、さらなる混乱と呪縛をもたらすためには、やはり仲間が必要だった。私に足りないものを足らしめてくれる仲間、切磋琢磨し合える仲間が。

そして私は、ずっと孤独であると思っていた。ある側面を見ればみな孤独であろうが、私は、ひとりで演劇が続けられるほど、孤独ではなかった。私と同じほうを向いている誰かの存在を知ってしまったのだ。それは私の弱さとも言えるだろう。孤独とは、自分一人で全責任を負うことである。けれど私は、創作の深みに潜るために、他者の人生を必要をしたのだ。「演劇はひとりだけでは作れない」ということ以上に、私には他者が必要だったのだ。

花染とは、新たなメンバーを増やすことについて何度か話をしていた。はじめに「もっとメンバーを増やしたほうがいい」と助言したのは彼女であったし、私もそれに同意していた。

そしてこの度、《るるいえのはこにわ》が更に進化するため、新メンバー二名を迎えることとなった。

なぜ二人に白羽の矢を立てたか

《るるいえのはこにわ》は「メンバー募集中」と謳ったことはないし、これからも謳うことはないだろう。「演劇がやりたい」とか「薊詩乃の作品が好き」とか、そういう理由だけで仲間にするわけにはいかなかった。

外部から俳優やスタッフをお呼びする際は、作品として同じほうを向けていれば良い。そういう素晴らしい人たちが座組として関わってくれていた過去は確かだ。しかし、《るるいえのはこにわ》として同じ船で旅をするのなら、基準が変わってくる。

ライフワークとして、この先も芸術や創作に携わっていきたいという想いがなければ、私は仲間にできないと思った。志を共にできるメンバーでないといけないと思ったのだ。それは、創作との向き合い方や、その人自身が持っている能力や世界観も含んでのことである。

生涯創作を続けたいと思っていたとて、老後のことや死ぬ間際の環境なんて誰にも分かりやしない。家庭を持つかもしれない。家族のことで手一杯で、週末に劇場に行く余裕なんてなくなるかもしれない。でも、人生の片隅に創作で楔が打ってあるのなら、創作を続けてほしかった。

それぞれにはそれぞれの人生がある。薊詩乃という現象は創作を続けていくが、そのすべての公演に参加する必要はない。休学するように、長期休暇を取るように、《るるいえのはこにわ》から離れる時間が他の人にはあっても良い。

だからもし、あなたの人生において、これからも創作や芸術を続けたいと思っているのなら……そしてそのとき、この薊詩乃とその作品達と一緒にやりたいと思ってくれているのなら、《るるいえのはこにわ》に入ってほしい。

──と、星咲千煌兎瑠の両名に話をしたのである。結果として、その二名は《るるいえのはこにわ》の名を冠するようになった。

所感:怪物

私は呪いたい。ほんとうは壊したい。

私の抱える怪物は、もはや私の心の中だけで完結するものではなくなった。それがたったの二人きりではなく、もう二人のメンバーの人生にも影響を及ぼすところと相成った。

私は《るるいえのはこにわ》のそれぞれが独立した人格と人権を持っていると分かっているので、私の怪物ごときで人生を破滅させる野生性は備えていないということも知っている。彼女らは自分で自分の人生を選んでいかなければならない。そしてそれができている。できているからこそ、薊詩乃と同じ船に乗ることを決断したのだ。彼女らはいつでも、それぞれの人生に戻ることができる。

けれど、私の怪物は、何者でもない私のなけなしの作家性とプライドを嗅ぎつけては醜悪な涎を垂らす。芸術とは誰かの人生を変えるためにある。まったくその通りだ。それを読んだり観たりした後で、心のうちに何もわだかまりを遺せないのなら、芸術である意味がない。だから私の怪物は、「私には他者が必要」と言った側から、その他者を破滅させようとしている。ただ、そんな芸術ができるなら世話ない。そういう悔しさや嫉妬心で、薊詩乃は言葉を書くことがある。

私の抱えていること、考えていることは、このような文章や戯曲や舞台作品でしか語り得ない。それらは怪物だからだ。怪物をそのまま口から吐き出せば、せっかく同じ方向を向いてくれている他のメンバーたちを喰らってしまうことにもなりかねない。

だから私は物語を書く。同じ船に乗り、遥かなるルルイエ神殿から浮上する彼女らを、半分では呪い、半分では護るために。

薊詩乃は望まれない悪意を続ける。


2024年4月27日 薊詩乃


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