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Twitter上の(フリー)ゲーム制作論とは距離を置きたい

 俺は基本的に「痣身ユフィ」としてのTwitterアカウント等でVTuber・V視聴者関連、その他各方面で交流のある方々以外のアカウントを積極的にフォローすることは少ないです。
 プロデューサーさん側のTwitterアカウントでも俺の活動以前から交流があった方々を除いて、新規に個人フリーゲーム制作者のフォローを増やすことは基本的にしていません。理由としては「Twitter上における他者の創作論と出来る限り距離を置きたい」という感情があります。

「RPGの優れた導入」「よいゲームのシステム・シナリオ」といった話題で具体例を挙げることなく「こういったやり方は駄目」だけを強い言葉を交えて列挙するようなpostが流れてくると自分の作るものを無意識に「駄目ではない側」に置くことができない者としては無限にモチベーションが低下することにも繋がります。
「RPGの優れた導入」なら「DQ1の最初の部屋」といったように、発言者が知っている・実際に触れた具体的な「よい例」としてのタイトルなどが挙がれば(よくない例にしても『このゲームのアレみたいな』というのがあれば)触れてみて参考にすることもできますが、そうでなければ具体性が無いわりに他者のスタンスに対して過度に否定的な極論であるだけです。

「全ての人が最後まで遊ばないゲーム=悪いゲーム」ではない

 「フリーゲームなんてプレイヤーに合わなかったらすぐ投げられるんだから(ここに任意の主張が入る)であるべきだ」といった主張はフリーゲーム制作者のコミュニティ内においてよく見られる印象がありますが、特に前置きの部分に関してはよりよいものを作ってほしいだけならそんな事をわざわざ言わなくていいだろうとしか思えません。

 誰だって「周りに遊んでいる人々がいても自分は軽く触っただけで放置して遊ばなくなっているゲーム」の一つや二つぐらいあるでしょうし、それが必ずしもゲーム自体の欠陥に起因する問題ではないだろうと俺は思っています。
 そしてこういった「軽く触ってプレイしなくなっただけ」というよくある現象に対してフリーゲーム制作者のコミュニティ内では「投げた」とか「ゴミ箱行き」といったような必要以上にネガティブな表現が用いられているのが実際のところではないか、またハードディスク容量が少なかった時代ならともかく、今の時代に遊ばなくなったフリゲをいちいちゴミ箱に放り込んでる几帳面なプレイヤーなんているのか?という疑問や、その時代のノリを引き摺っているにしても言葉の強さに対して無頓着ではないかという感情もあります)とも考えているわけです。

 「軽く触ってプレイしなくなるプレイヤー」はどれだけよいゲームにも必ず発生しうるし、俺自身もそうなることがあります。「すべてのプレイヤーが最後まで遊んだゲーム」というものは恐らく存在しないのだから、一定数の人間に最後までプレイされなかったからといって即座に「そのゲームが悪い」ことにはなり得ないのです。

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