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俺のやっていることはどうしようもなくダサいのではないか

 という思いが大きくなり、昨年末にかけて苦しい状態が続いていました。昨年は現在使っている新しい3Dモデルを完成させたりしたとはいえ、それ以外の以前から続けていたような創作物に関する進展は限りなく少ないような状況であり、鬱状態で(一時期実家を離れていた時に近い)セルフネグレクト気味な状況が続いたこともあってか無力感が大きくなっていきました。

 そのような中で主に「(創作行為以外の)自分が楽しいと思うことをする」ことへの抵抗感であったり(だいたい小中高ぐらいまで続いたオタク趣味方面に対する主に母の露骨な嫌悪感や茶化しで嫌になった経験も含めて)、「毒親育ちと言いながらなんだかんだ実家を出られていない人間はダサい」といった言説や「親に対して不満を述べながら親の金に依存する子供」に対する茶化しがあちこちで蔓延り(今の俺が依存しているのは障害年金だとかそういうことは置いておくにしても)、肩身の狭い状況が続く中でシャカイ的なステージは何も進展していないような状況でこのようなことを続けていていいのか、それを抜きにしても俺のやってることってダサくないか、「小学生の時から描いていたキャラクターのゲームを作っています」みたいな中高生が言うならまだ微笑ましいであろうことを人間年齢で三十路に差し掛かろうという者が大真面目に言ってんだよ、ゲーム作ってるつったって所詮ツクールだし……(今がどうかはともかく一昔前はツクール製というだけで嘲笑するような層は結構いた)という思いが強くなっています。

 巧拙を抜きにすれば絵を描くこと自体はそれこそ幼少期からやっていたので、母からは「漫画に洗脳された(幼少期)」「そんな乳のでかい女(『=馬鹿』という偏見)ばかり描いてるから(それを好む)お前も馬鹿になった」などと散々言われてきたうえ小学生ぐらいの時期には周囲からも馬鹿にされてきたにも関わらずなお辞められていない程度には今更自分と切り離したりできなくなってしまった。それで未だにこんなものしか描けないのか、そもそもWebに絵を上げ出した動機はエロだっただろ、といった小さな恥のようなものが積み重なり続けてきました。

 2000年代のWeb上においてある程度メジャーだった創作系コミュニティの全盛期にそこに加われず(加わらず)過ごしてしまった(当時はまだ中学高校にもなって自分のPCをリビングに置かれていたので本当の意味で自由度の高い創作行為ができなかったことも要因としてはある)ということへの後悔が大いにあり、このような状況で未だに潔く腹を切らないのはまだ俺は本当の意味で「幼少期」や「青春」を取り戻せていないという未練あるいは怨念ゆえのことであると自覚しています。多感な時期に「好きなこと」や「したいこと」を公にできなくなるような生はこのような夢とも呼べない何かに未だにしがみついて惰性で生きている存在を産むわけです。

 実際に「ぽよ島」が完成したりすればこういった思いと無縁になるのか(恐らくならない)、今年は昨年よりはマシな進捗にはなるだろうか(これも恐らく)、などと思いながら相変わらずズルズルと活動を続けていくのだろうなと半ば諦め交じりに思っています。

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