偽善であったとしても

俺は活動を通して規範や社会的なレールから外れた人々を可能な限り肯定する言葉を発信していこうとしていますが、その根本的な動機は俺自身がそうであることによって他者から否定されたり攻撃を受けたりしたくないというところにあります。
俺は自分が何の努力もしていないから何の努力もしていない人間でも生きていいと言い、自分が学校でいじめられてきたような弱い存在だから弱くても生きていいと言っているだけで、要するに自分と同じ属性を肯定する言葉を発信し続ければいずれ自分を否定する声も小さくなっていくし、攻撃の手も止むだろうという希望的観測であり、結局は自分が傷つきたくないだけの偽善に過ぎないのでしょう。
それでも俺の言葉に救われたという方が一人でもいらっしゃるのであれば、例え偽善であったとしても、俺は言葉を紡ぐことをやめるつもりはありません。

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