見出し画像

「遊び」に対する充実感・配信に対する気力の薄さについて

 ここ数ヶ月ほど広い意味での「遊び」に対する充実感が薄く、そも充実した遊びとは何か(『遊び』をしている時間それ自体が虚無であり『充実』から最も遠いのでは?)と考えることもあります。
これに関しては自身の「好き/楽しい/これをしたい」といった感情に従って動くことが思うようにできなかった期間のほうが長かった(し、今もそうできていると言いがたい)ことが大きな原因であろうことは理解してはいるものの、それを知った上で「では何をすべきなのか」について考え実践するということが難しい状況です。

 配信活動についてもいつどのような配信を行うかあらかじめ決めて告知した上で予定通りに開始する、というプロセスに対してストレスのようなものがあり、このところは事前告知から一日以上延ばす流れが連続してしまっているので申し訳なさもあります。

こうしたやり方自体が俺の体質・気質に合っていないかもしれない、ということは大いに感じているほか、今より少し前までのスタイル(前日までの告知などは特にせず、開始直前にURLをTwitter上に流すだけ)のほうがリアルタイムでの視聴者数などは多少下がっても自分には合っているのだろうかとも思っているので、今後しばらく配信活動はそのような形で行ってみることも考えています。

 他にも有意義な/明確な目的のある配信をしなければ……といった意識を未だに捨てきれていない、ゲーム配信だとジャンルによってはプレイに集中して喋りにくいことや喋りが他者依存になる(頂いたコメントなどへの反応が中心になり、コメントがついていない時は特に何も話していない)ことがある、
そもそも配信の内容以前に俺自身の存在そのものを「『俺のようなバーチャル存在』を好む層」に対してリーチしきれていないのではないか(具体的にどうすればいいのだろう)、といった問題意識や不安があるものの、どれも短時間で改善できそうなことではないので少しずつ取り組んでいかねばならないのだろうと感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?